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歓喜の歌

夜半から雨が降り続ける肌寒い日である。
映画のクオリティは良く分からないが、楽しい映画を観てきた。
身近に起きる悲喜こもごもの切なくも愉快な音楽コメディだった。
主演の小林薫は素晴らしい存在感ですね。
飄々としてるのは熟知した独特な上手さなのであろうと思う。

いつもの事ながら私の机の周りは乱雑に書類や本が積み重ねられ要領の悪さが現れている。嫌々ながらも、ようやく重い腰をあげて書類の整理を行うと、見たくもない請求書に挟まるようにして、映画案内の葉書が来ているのに気が付いた。
前回、長江哀歌を主催した映画鑑賞会からの案内だった。
長江哀歌は冷え冷えとした映画館でストーブを抱きながら見入った中国の現実だった。
その帰りにアンケートに記入して次回の案内を戴くようにチェックを入れていたので送られてきたようだ。
葉書には・・・。
映画鑑賞会 第148回例会『歓喜の歌』5月31日とあった。
気が付いたのは29日。急いで連絡を入れて前売り券の購入を予約して当日を待った。
上映会場を見てビックリした。前回の長江哀歌はエロ映画専門の100年の歴史を誇る雨漏りのする映画館であったが、今回の歓喜の歌は総合スポーツセンターのコンサートホールとなっている。
総合スポーツセンターにコンサートホールなんてあったのかな?と思いながらも出かけると、1階には50メートル級の温水プールにアイスアリーナがあり、ス ケート会場を覗くとスケートの選手であろうか、リンク内を背をかがめて滑っている。どこかの知事がスケート選手の練習風景を見て、ミズスマシのようだと無 礼な発言で顰蹙を買い、次の知事選で落選してしまったが、良く見ると確かにミズスマシのように見えるから不思議だ。

また、広い施設のとなりにはインドア競技ホールがあり、新潟県の高校体操競技が行われていて公式競技が出来ると書いてあった。
間近に見る鉄棒や吊り輪・床運動は見ていて緊張した。
昔日であるが、寺子屋でのクラブ活動を思い出してしまった。
そんな、スポーツ施設の挟まれるようにしてコンサートホールがあった。
これが、またりっぱなホールでフカフカの座席に音響設備も素晴らしく、座ると同時に眠くなった。それほどに眠りを誘うような座り心地だった。

1時30分上映時間が近づくと、続々と席は埋まり満席ではないが席の大多数は埋まったように思えた。この日、一日だけの鑑賞会で三回上映される。

主催者からの説明がありました。
「歓喜の歌」は落語家・立川志の輔の新作落語の映画化で今年2月にロードショーされた映画とのこと。このコンサートホールは16ミリの映写機しかなくて、 いつもの35ミリフィルムでの鑑賞会では使えないとのことがあり、この歓喜の歌は珍しく16ミリのフィルムがあったので都合が良かったなどと説明があっ た。
確かに16ミリフィルムは画面が小さいですね。
・・・小さな画面ではあったが良い環境で観れることは嬉しいことだ。
しかし、35ミリになると、また雨漏りのする映画館で上映されるようだ。


2001

さてと・・・ストーリーと云いますと
外人バーで女性に狂った無能な男が左遷され、吹き溜まりと云われる小さな町の文化会館の主任がこの映画の主人公。
暮れも押し迫った12月30日に一本の電話が掛かってきた。31日の夜に行うコンサートの予約の確認だった。主任が電話を受けて「はいはい、大丈夫です よ、お待ちしています」と調子よく応えたが、31日の夜に似たような「みたまレディースコーラス」と「みたま町コーラスガールズ」と二つのグループが予約 として入っていた。
大晦日の会場がダブルブッキングしていた事が分かった。
無能な主任は、お遊び半分のオバサンたちの暇つぶしだとタカを括っていた。
しかし・・・。
二つのグループもこの1年間必死に練習してこの日を迎えるのに、一歩も譲らない。
安定した職場で適当にやり過ごしてきた無能な中年公務員は、コーラスメンバーの方が必死に働き、ミスすると真剣になって謝る姿を見て、徐々に心が動かされる。
意を決して、合同でやりませんか・・・と折衷案を持ちかけるが、観客が多すぎる事で会場に入りきれないことが分かり、折衷案も暗礁に乗り上げるかと思いきや、入りきれない会場の図面を広げて、一夜にして座席を増やす事を計画して実行に移す。
やる気のない男がやる気を見せた。

まるで秀吉の一夜で造った墨俣城を彷彿させ
西欧では準備を整えて一夜ですべての幹線道路を壁で封鎖したベルリンの壁が印象的

コーラスのみなさんのきれいな歌声が流れます。
由紀さおりは、さすがに張りのある澄み切った美声です。

翼をください
ハレルヤ・コーラス
ヤン・ソング
聖前夜
竹田の子守唄
美味ギョーザ
ダニーボーイ
赤とんぼ
おきらく、ごきらく
お祭りマンボ
トルコ行進曲
あの鐘を鳴らすのはあなた
交響曲 第9番 ニ短調 作品125 第4楽章「歓喜の歌」

けっこう感傷に浸り感動的になります。
エンディングでクレイジーケンバンドの歌う「あの鐘を鳴らすのはあなた」は良かった。
本家本元の和田アキ子より雰囲気のある歌唱で良い感じ。
ちょっぴり涙もろくなりそうで、私なりに★★★★です。

小林薫は素晴らしい役者ですね。
人生の流転を演じられる好きな俳優です
・・・何度かあるところで同席したので云えるのかも知れないですね。

次回の映画鑑賞会は7月中旬にあるらしい・・・。

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雉との出会い・・・。

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朝もやの中を片側8キロにも及ぶ土手の道を中国製のMTB527号に跨り颯爽と風を切って走り抜けると、河川敷の草むらから小鳥たちの朝の挨拶が甲高く聞こえてくる。
透き通った空気を切り裂くようなお母さん鳥の声が響き渡り、小鳥たちへの食事の用意で忙しいのであろう・・・。
小鳥たちの朝は、早くて忙しい食卓のようでもあります。
お腹いっぱいになって静かになる時間はあるのかな~
鳥たちの甲高いさえずりを聞きながらペダルを漕いでいると、遠目に尾の長い
カラフルな鳥が見える。

この河川敷にはたくさんのキジが生息していて自転車に乗り走り抜けるだけで10羽ほどのキジに出会うことがあります。
キジと云えば、日本の国鳥です。しかし、国鳥のキジは天然記念物でなくて、狩猟対象の鳥です。世界を見渡しても国の鳥でありながら狩猟できるのは日本だけのようです。
キジにとってはありがた迷惑の話ですね。
国鳥として祭り上げられ、狩猟時期になると狙い撃ちされ最期を遂げる。

土手の道路を散歩中のキジは人気を感じると、いそいそと草むらに隠れてしまう。
その日も・・・。
土手に座り河川敷を眺めていると、どこからともなく
川べりの葦の茂みに沿った草むらから「ケーン」の鳴き声が聞こえてくる。
そのケーンケーンと鳴く独特な鳴き声は、ほんとう独特です。
「キジも鳴かずば撃たれまい」
あの鳴き声では、すぐにばれちゃいますね・・・悲しいさだめ。
狩猟しやすいように鳴くのでしょうか可哀想ですね。

しかし、用心深い鳥でもあるようです。
ひとたび、人気を感じたら、背を一段と低くして、ゆっくりと用心深く草むらに隠れ潜んでしまいます。
飛ぶことは苦手のようですが、逃げ足は素早くすぐに見失ってしまいます。
通り過ぎるまで身を潜めています ほんと可愛い奴です。

雉を撃つと云う言葉があるようですが、調べてみると登山者が山登りの最中にトイレに行きたくなり、野グソのする時の格好が雉を撃つ時の格好と同じことから野外トイレの事を雉を撃つと云うらしいが、登山をしないので雉を撃つ経験はまだしたことがない。
そう云う機会が来ない事を祈るだけです。

また、「けんもほろろ」と云う言葉も、「けん」も「ほろろ」もキジの鳴き声のことで、余りにも日常でかけ離れた鳴き声で、つっけんどんな返事を指すらしい。

そんなケーンの鳴き声のキジは優雅な姿をしているが、禽獣なのか、モグラや草むらを這い回るネズミを好物としていて、パクッと咥えるとひと飲みすると云われる。きれいな姿で出会うと何か一日が得した気分になるが、優美の裏には獰猛さが隠されている。
それにしても、遠くからでも聞こえるケーンの鳴き声はキジの弱点であろうか
キジもおのれの鳴き声に泣いているのかも知れない。

余談・・・。
■ 雉はなわばり争いのために赤いものに対して攻撃的になる。
桃太郎のお供するキジは実際のところ赤鬼の退治には役に立ったかもしれない。

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いもがらぼくと

Top

何気なしに耳を澄ませば、居間の方から、聞き覚えのある会話が聞こえて来た。
そっと居間のほうに行って見ると、いままさにテレビで「裸の大将」をみんなで観ている。
「なにしやっとな~」
「良いがな~こんぐらい」
あははは・・・田舎の言葉だ!
居間に座り込んでしまった。
裸の大将と云えば芦屋雁之助を知っているが、いま観ている裸の大将は漫才で見たことのある人だったが、この人もなかなか面白い。

私の田舎でロケをしたんですね。
昔、フーテンの寅さんのロケ現場になったことがあり、撮影現場と書いた立て札があり、観光名所になっていると聞いた事があります。それより以前は、『あの橋の畔で』のロケ現場になったと聞いた事があるが、どんなドラマなのかはまったく知らない。

古い町並みで遠洋漁業の港として栄えたので外国漁船も錨を下ろせるほどの港湾を要し、九州の小京都と云われる閑静な城下町でもある。
たいした産業もないので過疎に向かって進んでいるようにも感じる。

私の田舎は父親の仕事の関係で5歳でこの地に引越しして、15歳までの10年間を過ごした。見るもの、聞くもの貪欲に吸収していった多感な時期であったと思うので、いろんな事を覚えている。

いまテレビでは「いもがらぼくと」が流れている。
あれ~、まこち、なつかしば音楽がながれちょっがよ
私も酔っ払うと良く歌います。

「いもがらぼくと」と云えば宮崎の県民性を現す賛辞です。お人好しの賛辞。
隣県鹿児島では勇気を称える「薩摩隼人」熊本では「肥後もっこす」のように頑固一徹・変わり者。ところが宮崎の「いもがらぼくと」とは・・・軟弱です。
芋がらは里芋の茎(ずいき)を指し、ぼくとは木刀です。里芋の木刀とは、まるで頼りない人間性が宮崎の男のようです。
しかし、宮崎の女性となると「日向カボチャ」と云われます。
日向カボチャとは・・・国産カボチャの中でも高級ブランド品です。
国内で流通するカボチャの中で一番の高値で売買されるのが日向カボチャのようです。実が詰まり美味しいと評判です。

随筆家の佐々木久子さんは、宮崎の観光と食べ物についてこう記している。
 「宮崎でいつも不満に思うのは、焼酎と観光については、ヤイノヤイノとすすめてくがさるが、これぞ宮崎の酒にはこのさかなが絶品です、というものにめぐり逢わないことである。なぜ、堂々とかぼちゃをだして下さらないのだろうか。宮崎の郷土料理を宮崎の人が自慢なさってこそ宮崎への旅情は一段と深くなると思うのだが・・・」
それほどに日向カボチャは美味しいんです。

我が身を「いもがらぼくと」の軟弱者として謙遜し、母や妻を色が黒くて不細工だと云いながら、日向カボチャのように、頼りがいのある女性だと褒め称えます。
そんな「いもがらぼくと」をお聞き下さい。
* ある高校の修学旅行でバスガイドに教えて貰い、同窓会で合唱しています。

注!いま話題のfirefoxでは聴くことが出来ません・・・IEでお聴き下さい。

♪腰のいたさよ 山畑開き 春は霞の 日のながさ
焼酎五合の 寝酒の酌に おれも嫁女が ほしゅなった
もろたもろたよ いもがらぼくと 日向かぼちゃの
よか嫁女 ジャガジャガマコッチ エレコッチャ

♪鞍に菜の花 ヒャラヒャラヒャット 七つ浦から 赤毛布
可愛い嫁女は シャンシャン馬よ 今年ゃ田植も 二人づれ
もろたもろたよ いもがらぼくと 日向かぼちゃの
よか嫁女 ジャガジャガマコッチ エレコッチャ

♪種は万倍 とりいれ日和 まこちめでたや 出来秋の
飲みにござれや 祝いの酒を 嬶も珍らし 長着物
もろたもろたよ いもがらぼくと 日向かぼちゃの
よか嫁女 ジャガジャガマコッチ エレコッチャ

♪ヤイヤ霧島 大雪じゃがい 大根千切 手が痛や
おれも出年は すぐ人の親 きつや辛やと 言ちゃおれん
もろたもろたよ いもがらぼくと 日向かぼちゃの
よか嫁女 ジャガジャガマコッチ エレコッチャ





大きな港湾を抱える漁港も、大漁旗で賑わったカツオは、影を潜め、今では遠洋のマグロの漁業基地として賑わいを見せているが、年々減り続けるマグロの漁獲で見通しが暗くなる・・・。
そんな港に、来春、世界一の豪華客船「飛鳥Ⅱ」が寄港します。
二泊三日の小さな豪華船旅です。
すでに予約で埋まっているそうです。
飛鳥Ⅱを見に帰ろうかな・・・。

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お腹が空いて倒れそうだった・・・

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その日の私はとてもお腹が空いていて倒れそうだった。
財布を握り締め、明るい店内の戸を開けるとすぐに、入り口のカウンターに席を取り、
メニューを見る間もなく「豚丼」を注文した。
会社のすぐ側にあるこの店は滅多に顔を出すこともない吉野家さん。

料理の使い回しが大きな問題になり物議を醸しだしている様子を横目で見ながらある事を思い出していた。
会社の研修で1ヶ月間のリゾートホテルの接客を体験したことがある。
高原にあるホテルだったので山菜がメインの宴会料理となり、連日、農協とか、婦人会とかの団体がお見えになっていた。
宴会が終わった後の、後片付けも研修のひとつで、次の宴会が始まるので30分ですべての後片付けを終了させないと行けなかった。その為に、大きなバケツを左手に持ち、右手で料理の残飯をバケツの中に投げ込んでいく。
ただ、ひとつだけ後片付けの注意点をしつこく言われた。
それは、茶碗蒸しの手付かずは、テーブルの上に置くように云われた。
手付かずの茶碗蒸しを、素早く集めてテーブルに置くと、馴れた手付きで仲居さんが底の深いアルマイトの箱に茶碗蒸しを入れて厨房に下ろし、蒸し器で再生されたようだ。

一度、手付かずの冷えた茶碗蒸しを食べた事があったが、不味くて喰えなかった。
せめて、同じ不味くても温かい茶碗蒸しが食べたいと思ったものです。
今では、その時の名残でしょうか、旅行に行き、どこのホテル・旅館に行っても、
出される料理の最初に茶碗蒸しを食べる習慣が出来てしまった。
まったく、礼儀知らずの食べ方になってしまったようです。

いつもは、注文するとすぐに「お待ちどうさま!」と云って、出てくるはずの豚丼がいくら待っても出てこないんです。
後から入ってきた人の牛丼は素早く出てきて、食べ始めています。
お腹が空いて倒れそうなのに・・・
「あぁ~何て、運のない日なんだろう」
「素早く牛丼を頼んでいれば、すでに空腹から開放されていたのに・・・」
「どうして、豚丼は遅いんだろうか 豚バラを買いに行っているのであろうか」

遅くなってすみません!!!
ようやく目の前に豚丼が置かれましたが、チョット待てよ!
やけにご飯が多くて豚肉が添え物のように少なくチョコンと乗っていて、白いご飯が
大盛だ 豚肉は漬物か?と・・・。
箸に手が伸びて・・・食べようとすると ドンブリが熱くて熱くて手で持てないんです。
また、ご飯を食べようとすると舌が火傷しそうな熱さです。
なにやら、電子レンジでチンしたご飯であることが分かりました
それでも、お腹が空いているので、ご飯を掻き込みます。
「あぁ~生き長らえた!」そんな感じです。

またまた、チョット待てよ!
ご飯の中から玉ねぎやら豚肉の肉片が出てくるじゃない
どう云う事だろう・・・
豚丼の注文を受けたが、キャンセルされたのか、それともお盆の上でひっくり返したのか、手付かずの豚丼を使い回したな、と思った次第です。
ご飯の中から玉ねぎが出てくるのはビックリしますよ
空腹も収まったので、ご飯の中からニョッキと出てくる良い場面を残して
出てきたのです。
「分かってくれたかな・・・店員さんは・・・」

数日後・・・。
牛丼が話題になっている2CHを覗いて読んでいたら、沸々と思い出してしまった。
早速、吉野家本社に「質問・疑問なんでもコーナー」から、本名と正しい住所で、
事の顛末を書いて送信した。
小一時間ほどで返信が来た。この点は評価できる返信時間だった。
内容はと云うと、牛丼のように頻繁に注文の入るものは、煮込んだ状態で出せるが注文が少ないのは作り置きした具材を電子レンジでチンして出すことになっていると、しかし、ご飯をチンすることはマニュアルでは断じてないらしい。
程なくして、地元店舗の店長から電話を戴いた。
日時と座った場所を教えて欲しいと云ってきた。
その時間帯のビデオを確認したいとのことだった。
私はクレームを付けるつもりは全くない事を明言して、今後の注意事項として
気をつけて欲しいと伝えた。
それにしても、ご飯は熱くて熱くて猫舌の私は死ぬ思いで食べた。

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月夜の晩・・・

先日、知り合いのお宅に泥棒が入り貴重品を入れたバッグが盗まれた。
ときを置かずに近所の数軒も同じ手口で泥棒に入られ被害がでている。

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東京在住の頃に・・・泥棒の被害に会った事を思い出した。
事務所を構えていた時に事務所の駐車場で車の中の商品が何回となく被害にあってい
る。

いつも月夜の晩である。

その都度、警察に連絡を入れるが調書を取るだけで難しいですね・・・で終わった。
事務所のあるビルの前は独身の警察官が頻繁に通る道でとても安全と云われている地域でもある・・・独身寮があるのです。

・・・なのに、泥棒の被害にあう。
そして盲点である事が分かった。
この辺りでは深夜まで作業をする会社が沢山あり夜半でも車を停めて商品の出し入れを行っているのを良く目にする。

泥棒の主人公はその辺りの事情を良く知っている方のようです。
わざと車の荷台を大きく開けて目を付けた車をこじ開け商品をゆっくりと移動させる。
通りかかった警察官も横目で見ながら通るが・・・
「遅くまでご苦労さまです」なんて言葉まで掛けている。
これでは捕まらない
警察も共犯みたいな感じ

ついに3回目の被害にあった時に気持ちが破裂した。
偶然にも所轄署にいる田舎の後輩に電話をかけて猛烈に怒った
すると来た来た・・・
鑑識を入れて総勢7人でやって来ました
たかが車中泥棒に対して念入りに指紋をとり汲まなく検査して行った商品がでてくる事は全く期待しなかったが念入りに被害状況を調べて行ったので気持ちは収まった。

翌年、忘れた頃に四谷署から電話があり、商品が見つかったので見に来て欲しいと云われ四谷署まで行き犯人と思しき人の商品がゴミの山と化して、さすがに「この商品です」とは云えなかった。

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雁木通りの四九市

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月のうちの4と9のつく日は、語呂合わせは良くないが四九市と云って越後高田藩の時代から活発に行われてきた路地の朝市があります。

朝市のある通りは雁木通りとして越後高田藩は有名で、豪雪から守る為に家の前に突き出した屋根がアーケードのように連なっている。
江戸時代から軒を連ねている家が何軒もあると云われている。・・・現に義母の実家も、この雁木通りにあるが築130~40年と云って江戸情緒満載の古民家で見物するには、それなりに凄いと感嘆の声を上げるが、住んでいる人は一様に狭い部屋がたくさんあって住みづらいと不平不満が出ている。
天井を見上げると黒光りした巨大な梁が屋根を支え配線が剥きだしになっている。
ウナギの寝床とは良く云ったもので表玄関から裏木戸までたっぷりと4~50メートルある。何しろ、通りと通りに繋がった家である。そして、家の中に1メートルほどの幅の通り道があり、あたかも家の中にある歩行者専用道路みたいなものである。
極めつけは隣とは共有する壁一枚で仕切られている。
自己所有の境界線はどこにあるのかヽd´ι`bノ ワタシワカリマセン

これは、豪雪で隣家との間に雪が入り込み、雪が凍って壁にひび割れが生じ、家の倒壊に繋がっていくのを防ぐ為に雁木の家は隣家との境は共有する壁で繋がっている。その為に火事には非常に神経を使い・・・うるさいほどに火の用心をしている。
100年以上、雁木通りで火事は起きてないことを自慢していた。

その為に、なかなか個人個人で取り壊す事が出来なく、古い家が改築する事もなかなか出来ずに古民家として現存する事になる。近くのある家は、そのままの状態をこぎれいに内装を行い古民家を喫茶室として開店していた。
義母の実家は古民家として古き良き時代の情緒はあるが、陽の当たる場所が少なく住むには勇気と根性がいる。

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そんな雁木通りに四九市なる朝市が100年以上の歴史を持って今も続いている。
300メートルにも及ぶ通りには大小さまざまな露店が軒を並べ朝の活気がみなぎる。
朝採りした野菜や果物・それに生花に自家製の漬物と、ありとあらゆるお気に入りの商品に店頭に必要なゴザを抱えて近在の村からおばあさんがやって来る。
朝の6時ともなると指定の場所にゴザを敷き、大事そうに包んできた野菜や果物を手馴れた様子で丁寧に広げ並べていく。
ゴザの上の籠には丹精こめて作った作物が盛られて、何年も使い回している100円の札が置かれているのが楽しみにしている朝市である事をうかがわせている。
義母の話だと・・・。
朝市に出店している近在の方は、お手洗いを義母の家で借りるので、市の終わる10時ごろには売れ残った、たくさんの野菜やら果物を置いて行かれるそうです。売れても、売れなくても、売上よりは、お互いの元気な姿でコミュニケーションの場として、茶飲みの話に来ているようだと義母はニコニコしながら話をしてくれる。

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私も思い出したように四九市に顔を出し、いつも100円の榊を買うことにしている。
先日の四九市では、メダカ1匹100円のペットボトルの容器を改良した水槽ボトルに3匹入ったメダカを買ってきた。餌が要らないのが買う決め手になったが猫には見つからないようにPCの上に乗せている。
メダカは睡眠不足になるかも知れない・・・。

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のろまの君は栄冠を・・・

丘の上にある野球場で歓声があがり、車を停めて、チョット観戦したくなった
中学校なのか、少年野球チームなのか真新しいユニホームに身を包み、初々しく動きが機敏だ。ネット裏には親御さんが陣取り黄色い声援を送っている。
ピッチャーのコントロールが定まらず、四球を連発している。
ピッチャーに水でも飲ませてあげたいところであるが・・・。
野球場のとなりを見ると、400メートルのトラックがあり、選手が走っている。

足の速い人には憧れたな・・・。
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中学の時の同級生に、ずば抜けて足の速い友だちがいた。
毎年、市町村の中学校陸上競技大会で100メートル競走で3年間、向かうところ敵なしで金メダルの友だちだ。その友だちだけは、不思議なことに「実さん」と「さん付け」だった。
同級生みんなも、実さんとさん付けで呼んでいた。
足の速さが尊敬の証で、みんなの憧れの的だった。
恐れ多くも「実君」とは呼べなかった。

まるで、アイドルを見るような思いで、実さんが走る姿を眺めていた。
足が速くなりたい。と思いつつもDNAには忍者も・飛脚も血筋になく、鈍足を血統に持つ雑種系で運動会は好きでなかった。

足の速い人が身内にも、先祖にもいるとは聞いたことがないので、足が遅いのは親譲りだと思っていた。足が遅いのに、寺子屋ではラグビー部に所属していた。
相当に矛盾した話・・・。
ラグビー部は先輩の鉄拳が怖くて強制的に入部させられたタコ部屋だった。
純真無垢で真面目がとりえの私にタバコを与え、不良の道へ洗脳されてしまった。
来る日も来る日も50メートルダッシュで血反吐を吐いた。
それでも、足は快速にならず、鈍足のままである。

その鈍足の血を受け継いだ変人がいる。ほんとうに変わった子ども。
小学校の時、PTA主催のテニススクールがあり、わが鈍足の子どもも参加した。
「仁左衛門さんとこの変人君!テニスの才能があるよ」
「中学校に推薦しようと思いますが、どうですか・・・」と、聞かれた。
瞬間!親は妄想の中でウィンブルドンのセンターコートに立つ姿を夢見てしまった(笑)
スポーツショップに行き、テニスラケットを触り、握って振ったりした(笑)

中学に入学して、すぐにクラブ活動を決めてきたと云ってきた。
聞くまでもなくテニス部であることは予想していた。
・・・が、わが耳を疑った。
「陸上部に入ることにした」
「シューズを買って!」エッ~~~テニス部じゃないの?
鈍足が陸上部なんて、また、どうして。

「テニス部に入っても、上手くなるかも知れないけど賞は取れないよね」
「中学生活で、何か思い出を作りたいんだ・・・」
「出来れば、クラブ活動で賞を取れるようになりたいんだ」
・・・親譲りの鈍足で陸上は厳しいんじゃない?
「いろいろと考えている事があるんだ」
「賞を取るぞ~」
何を考えているのか・・・かいもく見当もつかずテニス部の当ては外れた。
ウィンブルドンの夢は潰えた。

2007090401
陸上部員の少ない中学校では、すべての競技にエントリーできて競争に参加した。
先輩のしごきもなければ、先生の指導もないと云う、ただ、黙々と走っていれば部活として活動しているようだ。
市の大会・地区の大会に出て、鈍足ではあるが度胸はついたようで、内緒で観戦している親に向かって手を振ったりしていた。2年生なった秋季大会が最後の大きな大会になり、念願の賞を取る事は難しくなっていたので、最後の大会と云うこともありピクニック気分でオニギリを持参して見に行った。
本人は思うことがあって、110メートルハードルには特に気合が入っていた。
今まで以上に練習をしたようだった。
何とか予選二つを勝ち残り、決勝まで進み7人での戦いの火蓋は切って落とされた。
スタート直後から4番手をキープしていたが、足が伸びていない感じ。

4番手でも大したものだな・・・なにしろ鈍足の家系なんだから
ところが、3番手を走っていた選手がハードルに足を取られ転倒したんです。
何が幸運を招くのか分かりません。
念願だった中学校の思い出の表彰状が子ども部屋に飾ってある。
三位ではあるが・・・秋季大会の大きな大会で夢にまで見た賞状です。
鈍足でも勝てる方法とは、ライバルの転倒を期待する事のようです。

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棚田の風景・・・そして姨捨山

山間にある得意先に間違えた商品が下ろされた。
暇をしていた私に白羽の矢がブスリと刺さり、間違えた商品を受け取り、本来の場所に届ける事になった。山奥にひっそりと佇む温泉場である。時間が許せば、ひとふろ浴びて詩吟のひとつでも唸りたいところであるが・・・用事は急を要した。
受け取るや、挨拶もそこそこにして、商品を積み込み、車に飛び乗り、林業道路の山道にはいり、二つの山越えをする事になった。

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山越えの途中で遭遇した棚田の風景。癒しの空間であった。
整頓された棚田には水が溜められ、手作業での田植えの準備が整っている。
いまや、棚田で作られるお米は天日干しの有機米として人気がある。
ようやく、手作りの大事さが認められて来たようにも思われる。

急いでの山越えであるが・・・。
これほどの棚田を眺めていると、いつしか、宵の月を見に行った棚田を思い出した。
・・・思いは信州戸倉上山田にほど近い、姨捨山に飛んだ。
姨捨山から見る月は千枚田の小さなそれぞれの棚田に映し出される事から「田毎の月」として呼ばれ、絶景にして風流。
粋人が訪れて、田毎の月を眺めている。

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「おもかげや姨ひとりなく月の友」    芭蕉

「このほたる 田ごとの月とくらべ見ん」  芭蕉

「そば時や月のしなのの善光寺」     一茶

「帰る雁 田毎の月の くもる夜に」   蕪村

「更級や姨捨山の月ぞこれ」       高浜虚子  

「名月の鏡にむかふ今宵かな」      伊藤松宇  

古今和歌集には「わが心なぐさめかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」

・・・しかし、姨捨山となると、どうしても、あの小説を思い出し涙する。

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深沢七郎『楢山節考』
人生は人と人のつながりで成り立っている。終りの来る人生は、人は誰かの為になって生き、誰かの為に死んでゆく このような事は、大人になって理解できたが、幼少の頃に読んだ楢山節考は、年寄りを山に捨ててくる話として捉えていた。

不景気のどん底、生活が苦しく、食べることもままならない極貧。
一族を守るために、七十を過ぎると山奥に捨てられる運命にある。

おばあちゃんを背負い、山奥に入っていく、1日分の食料を渡して、おばあちゃんごめんな・・・と、おばあちゃんやおじいさんを山奥に捨ててくる風習が根付いていた。
何の価値もないお年寄りは邪魔だとする考えがあった。

余談であるが
今の七十五歳以上の方に、それ相応の保険金の負担を強制徴収している国は姨捨山を実践しているように思えてならない。

捨てられるおばあさんは、捨てられる悲しみにも耐えて、それでも、悲しみに暮れながらも背負って来た息子に、帰り道が分からなくなると困ると思い、道すがらの小枝を折って来た。息子に・・・小枝を折って来たから、道に迷うことなく帰りなさいと優しく云う。

本も読んだし、映画も観たような気がするが、これぐらいの事しか思い出せない。
その後に、おばあさんがどうなったのか・・・
どのような結末の本だったのか詳しくは覚えていないが、高齢者に対する行政の失政を突いた本だったのかも知れない。

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そんな事を思い出しながら、棚田を後にした。
山道を走りぬけ、首を長くして、怒りを隠してお待ちのみなさまに、平身低頭で商品を届けた。あの美しい棚田を見なければ、もう少し早く届けられた。

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