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法螺貝からの妄想・・・

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物産展で山岳修行僧が奏でる法螺貝の展示会があり、興味が湧き少し覗いてみた。
大小色とりどりの法螺貝を見ると、法螺貝って食べた事はないが、果たして何人分の刺身が食べれるのかと呻ってしまった。

法螺貝を想像すると、修行僧が背中に背負って、犬の遠吠えに似て、神への扉を叩くチャイムの役目と、仲間へ伝達をするための手段と思っていたが、そうであ るとは云えないようだ。戦国の群雄割拠で常に勢力の地図が塗り替えられ、城を拠点に戦いは続き力及ばず落城となると、「降参!」「参った!」と白旗を揚げ るとなるが、実は、白旗を揚げる前に、単調な響きの法螺貝を吹き鳴らす事で落城を知らせたとある。玉音放送が法螺貝の響きと云うことであった。そんな落城 に呼応するように・・・

法螺貝については、神坂次郎「遠い日へのレクイエム」に、こんな記述がある。

航空飛行学校に甲種合格した著者は戦火のなかでの記憶として、強烈に残っているのは、卒業前の訓練飛行で、濃霧の筑波山に激突、殉職した六人の学生の葬送 のとき、格納庫に響きわたったラッパの音と、だ、だ、だぁン、と腹に響いた弔銃の銃声である。若くして倒れた飛行兵の手向けの葬送の曲ほど、かなしみに満 ちたものはない。
戦国のころ、落城のとき法螺貝を吹く役目があったようだが、不吉ゆえに、「生涯、一度も吹かぬのが幸いと思え」秘伝中の秘伝とされていたその音は、節回しというものが殆どなく単調で陰々として、聴く者みな、魂が地の底に引き込まれて行くようであると・・・

軍隊ラッパは法螺貝を引き継いで似ているようです。
軍隊ラッパは映画やテレビのドラマで「起床ラッパ」とか「進軍ラッパ」などを聞いた事があるが、メロディのない葬送ラッパは、地を這うような悲しみに打ちしがれる音だったんだと・・・。
「木口古兵は死んでもラッパを離しません」と日清戦争での突撃ラッパを吹き続けた。有名な逸話であるが、ラッパは鼓舞する道具としてなくてはならぬ、使命感をもったツールのひとつであったんだな。

学生時代・・・何が原因で起きたのか、今以って理解していない学園紛争は、我が寺子屋にも襲い掛かった。その中でも、我が寺子屋は最後の最後で学園紛争の最後の砦だったと聞いた事があった。学生達の暴動で校門は閉鎖され授業はストップした。
授業がなくなり、私は本音で喜んだ。その日からアルバイトと麻雀に明け暮れた。

ただ、授業が再開したかも知れないとの思いで、友とくじ引きで校門まで行って確認する役目を決めていた。校門に行くと、太鼓を叩いてガリ版で刷った檄文を 配り、スピーカー片手にがなり立て、激昂している生徒がたむろしていて、同志・同志と声を掛け、擦り寄ってくる輩もいた。場違いな私はゲバ棒を持つことは なかった。
遂に、寺子屋は太鼓の音と引き替えに終りを告げたように静まり返っていた。
寺子屋をやめようかと思った瞬間でもあった。

時は過ぎ、麻疹のようにうなされ、暴れ狂ったゲバ棒の連中は、冷ややかに見ていた私と同じく社会人となり、酒を飲み、博打に興じ、女の尻を追い掛け回しセクハラ全開を爆発させていた。
時代が違うとは云え、阿呆踊りのように心が狂った団塊世代は、同じ年頃として心を閉ざして敵艦に突っ込んでいった特攻兵の気持ちは伝わるのか・・・

神坂次郎「遠い日へのレクイエム」には、こんなくだりもある。

『人生は身を引き裂かれるような思いで、決断を迫られる場合がある。
知覧を飛び立った特攻機は、二百五十キロの黒く重い爆弾を腹に抱えて、泣くような、呻くような爆音をあげて、よろめきながら飛び立っていった。そして、誰も帰ってこなかった。
そんなある日、丘の上の女学校にひとりの飛行兵が訪ねてきた。そして、茶道をたしなむ老女教師に茶を乞い、老女が点てた茶をしみじみと喫したのち、挙礼の礼をして去っていった。
この二十三歳の学徒兵は、母ひとり子ひとりの家庭で、茶道の師匠をしている母の手で育てられた若者であった。その母への思慕を、若者は人生最期に一服の茶にすがらせたのであろう。
特攻兵として、飛び立った報を聞き老女は、憚らず声をあげて泣き崩れたと云う。』

法螺貝を見て・・・戦争・・・特攻隊まで来てしまった。
尽きることのない、私の妄想癖である。

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インドリンゴ・・・ターバンを巻いたリンゴ?

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信州と云えばリンゴと蕎麦が通り相場でしょうか

働き蜂としてバリバリの丁稚時代に長野のお得意様から戴いたリンゴは蜜いっぱいで
今でも忘れる事が出来ない。
聞いたら「天取りリンゴ」と云われリンゴの木の上の方で実を付け燦燦と輝く太陽を
浴びているリンゴだと云われた。「天取りリンゴ」等と聞いた事なかったので
最高級の呼び名であろうと勝手に解釈をしていた。

九州の片田舎で育った私はリンゴには格別な思いがあります。
リンゴと云えばインドリンゴ!
大きくて今で言えばボケた味・・・しかし甘かったように
どうしてインドリンゴなのか?
そして、毎日が夏のようなインドがリンゴの産地だとは知らなかった。
インドはリンゴが沢山採れていいナァ~と子供心に思っていた。

22歳で東京に出て来て、リンゴのシーズンになってインドリンゴを思い出し
インドリンゴを探しましたがどこを探してもインドリンゴはなかった。
インドリンゴは九州だけに流通しているリンゴだったのか・・・
しかし、それほどリンゴが好きだったわけではなくインドリンゴの事は
頭を過ぎっただけですっかり忘れてしまっていた。
何しろ我が家の縁者にはミカン栽培農家がたくさんいらっしゃいます。
あまりリンゴを褒めるわけにはいきません。

しかし「天取りリンゴ」のフジを食べた時はビックリした
真ん中から切ったリンゴは薄く色が変色していて腐ったリンゴだと思った。
どのリンゴを切ってもベージュ色に変色していた。
インドリンゴしか知らない私は折角戴いたリンゴをゴミ箱に捨てようとして
送って戴いた方に失礼のないような礼状を心配して書き方に悩んでいた。

そんな思いを巡らせている時に付き合っていた彼女が尋ねて来た
「あっ 美味しそうなリンゴ♪」
「みんな真ん中から切ってどうしたの?」
「戴いたんだけど・・・腐っているようだから捨てようかなと」
「エッ 馬鹿じゃないの?」
「この蜜が美味しいんじゃない♪」
「・・・・・・?」

美味しかったです。
こんなリンゴを食べたのは初めてでした。
礼状を書く前に気がついて良かった・・・。

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時は流れ・・・
いつの間にか信州に流れ着きリンゴと共存している。
どこを走ってもリンゴの木が目に付き色づき始めたリンゴは手を伸ばせば
もぎ取れる、それも鈴なりで生っている。
お腹が空いたらそこらへんのリンゴをもぎ取って・・・等と不謹慎な事を思い
描きながらリンゴの木を眺めている。

10月下旬ともなると、リンゴも常に品種改良されて出回っています。
いまでは、ツガル・シナノスイート・秋映・早生フジと十両・前頭・小結が登場しています。 まだ・・・蜜がいっぱい入った大横綱のサンフジは11月中旬に登場でしょうか
それから・・・
その後であるが「天取りリンゴ」と云う言葉に出会うことはなかった
やはり、その農園だけで使われている愛称なのかも知れない。

私の・・・
仕事を手伝ってくれた若いK君の家はリンゴ果樹園の長男だったので
実験をしてもらった事があります。
リンゴのイチゴ味が無性に食べたくなり色づき始めたリンゴに
イチゴ・メロン・パインのエキスをそれぞれのリンゴに注射して
数日後、リンゴのイチゴ味を食べようと、そう食べる予定でした。
計画では世界一のリンゴ成金農家になる、そんな計画でしたが
・・・妄想の限界を超えたようです

インドリンゴについて・・・
このリンゴは名前がインドでもインドが原産地では、ないようです。
実はインドリンゴの本場はインディアナ州でした。
明治時代にアメリカの宣教師ジョン・イングという人がインディアナから
持ってきた種子がルーツとなり栽培するようになった。
このインディアナをリンゴの名に冠して「インドリンゴ」と呼ぶようになったのです。
また、この宣教師イングの名がなまってインドとなったとも言われています。

今でもインドリンゴは名称を変え品質改良され秋映などの一部の品種として
出回っている事を知りました。
インドリンゴ・・・王林に似た味だと・・・王林を知りません!
それでは、懐かしい『リンゴの唄』を

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オールディーズ・・・

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管理室の同僚からホテルのディナーペアチケットを戴いた。
「KENTO'S OLDIES IN YASUNE」
オールディーズでは有名なケントスの出張バンドが来るようです。
懐かしき青春のページ数が捲れてきます。
それに何と云っても顔見知りの料理長のフルコースです。ワクワクします。
チケットの販売が芳しくなかったので取引先に押し付けられたんだなと思っていた
ので疎らな客かな・・・と、勝手に想像したんです。

6時30分。ロビーに行くと頬を赤らめたひと昔前の若人が大勢。
周りを見渡すと煙草を咥えて饒舌に談笑されているようにも見えます。
時間通りに入場が始まり、我先にと足早に行かれる方もいて、なにやら待ちきれない様子です。心待ちにされていたのかも知れないですね。ご夫婦で会食に出かけるなんて滅多にない世代にホテルは粋な企画をしたようです。

会場には特設のステージが設けられドラムセットが今宵の主役達を待っています。
私の席はそれでも少し外れたところにありましたが、ステージは良く見える場所です。

ドラムの響き渡るような音と共に始まりました。
先ずはポール・アンカの「ダイアナ」が先陣を切りました。
拍手と爆音が入り混じ、場内は上げ潮の勢いです。
続けざまに女性ボーカルで「可愛いいベビー」「ダイナマイト」がありました。

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「可愛いいベビー」は懐かしいですね
日本語では中尾ミエが歌ってヒットしました。
中学2年の時に長崎方面へ修学旅行がありバスで行った。
高速道路のない時代でのバス旅行は狭い座席に押し込められとても窮屈だった。
そんな時でもバスの中は歌が主役です。
圧倒的な力を誇示して女生徒主導で進められて行きます。
私の初恋の人も・・・その中にいました。
私の住む小さな町でも、桁外れの金持ちはいらっしゃいます。
金持ちの子供は、当時では乗る事すら出来ない飛行機に乗って東京に遊びに行くと行った離れ業を見せ、着陸するたびに飛行機の翼に取り付けたビスが何十個も落ちるんだと聞かされた。
空の上では空気抵抗が強くて締めたネジが飛ばされるほど凄いんだと感心してしまった事がある・・・そのうちに翼が落ちるかも
冗談が冗談に聞こえないほど・・・未知的な話であった

アメリカン・グラフィティを観た時にマイクを握りしめて歌った彼女を思い出しました。
それほどに都会の16歳を演じる田舎のマドンナでした。

金持ちの彼女が東京で覚えて来たと云って「可愛いいベビー」を歌ってくれた。
長崎に着く間中、彼女のワンマンショーだった
男達はヨダレを流しながら彼女の歌に聞き惚れていた。
成績はさほどではなかったが、みんなを楽しませてくれる技を持っていた。
没落した彼女の家はひっそりと佇んでいる。
社会人として東京に働きに行った私は会社に訪ねて来た彼女と食事をした事を
思い出します。
可愛いいベビーを聞く度に・・・ワンマンショーの彼女の姿が目の前に・・・

ケントスの出張バンドは佳境を迎えています
ステージの上ではツイストが始まっていて・・・客席に強制しています。
オールディーズナンバーに侵された客席から次々と立ち上がり踊り始めたのです・・・・・。

止めてよ!
今からステーキを食べようとしているのに、真紅の絨毯の上で踊るは止めて!と、
心の中で叫んでいるんです。
隣でツイストを踊っている若いときはきれいだったおば様!止めてください!
埃が埃が・・・・埃・埃・埃がステーキの上に酸性雨の如く降りかかります。
美味しい埃のステーキを戴いて参りました。

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駅伝だったのか・・・

妙高市の市街地を走っていると、何かの催しがあるのか信号の角々で交通整理をしている。
通いなれた道ではあるが、交通安全運動でも行われているのか・・・。
すると、ボンネットに新潟県各市町村の名前が入った垂れ幕が貼ってある車が、何十台とすれ違った。すれ違う車を見ると、助手席にひとりを乗せている。市町村単位のラリーでも行われているのかと眺めていた。
車は猛スピードですれ違った。

信号で止まった。
信号機を操作していた警察官が近寄って来て、「駅伝が通るので暫く待ってください」と云われた。
駅伝のコースだったのか、それにしても市街地を堂々と走るものだな
赤信号を2分経っても、何も起こらない。私の後には数珠繋ぎで赤信号渋滞が起きている。

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先導する2台の白バイが右折してやって来ました。
急いで、デジカメを取り出し狙い定めて準備完了。
ゼッケンを付けた集団が大きく曲がって通り過ぎていきました。
駆け抜けて行った選手の後にマイクロバスが通り「第61回新潟県縦断駅伝競走大会」と書かれていた。
後で調べると、「第61回新潟県縦断駅伝競走大会」は妙高市役所をスタートして今日から始まった。どうりで、集団で走ってきたのはスタート直後だったからのようです。
晴れ渡った秋空の下での駅伝は気持ちが良さそうですね。

駅伝は好きです。
毎年、1月1日は実業団駅伝を観て、1月2日には箱根駅伝を欠かさず観ています。
そして、秘かに応援しているのが都大路を駆け抜ける高校駅伝です。
私のいた寺子屋は、あまりスポーツが得意ではないようで、どんなスポーツも地区予選で敗退します。
母校を応援できないので、いつも、実家のある県の小林高校を応援しているんです。全国高校駅伝では優勝7回を誇る強豪で県予選では圧倒的な強さで出場するも、近年の全国大会となると平凡な記録で終わっています。県立高校のために学区制で優秀な生徒が集められない苦労があるのかも知れないと思っています。
県には数多くの有名なマラソンランナーを輩出した旭化成がドンと控えているので、宣伝効果も重なり駅伝熱となって広がりを見せているのかも知れません。

中学生の時に、宮崎出身の村社講平(むらこそこうへい)さんが学校で講演があり、走る喜びを大いに語っていました。
村社講平と云えば、日本が生んだ長距離ランナーの第一人者です。何しろ、村社講平の歌までありました。歌詞もメロディも忘れましたが ♪むらこそこうへい・・・♪♪
と歌ったような記憶があります。
オリンピックで人間機関車と云われたザトペックは、ベルリンオリンピックで村社講平の走りを見て陸上を始めたと云われています。

村社講平さんは講演の時に、マラソンで走るときの息は続けて二回吐いて、二回吸うと教えられたように覚えていて、ジョギングする時も、癖になり二回吐いて、二回吸うようにしていますが
果たして、息の配分として良いのか、悪いのか・・・。
まぁ、鈍足ですから息の配分が、どうのこうのは、ないようです。

余談・・・
子どもが小さい頃、神宮外苑のそばに住んでいたので、いつも散歩は神宮外苑でした。
その神宮外苑では瀬古監督率いるSB食品の選手たちが練習で走っていました。
何周も何周も走る選手たちを待ち受けて、何周も走ってへばっている選手を相手に、途中から一緒に走り出すのですが・・・ものの5メートルを走るだけで引き離されていました。速くて速くて、追いつけません。
どんなに速いんでしょう。びっくりです。

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ある短編小説・・・

志賀直哉『城の崎にて』を青空文庫で読んだ。
城崎温泉の風情が伝わってきて温泉に行きたいなと思った・・・でも、城崎温泉に行く事はないかも知れない。

志賀直哉と云えば、小説の神様・・・その小説の神様に喧嘩を売った太宰治の「如是我聞」は面白かったですね。
横綱と前頭の喧嘩で眉間にしわを寄せて怒っている太宰治は可愛かった。
しかし、
学校で暗記させられた「走れメロス」。約束と友情が散りばめられた感動的な話でしたが好きになれなかった。無二の親友だったら、どんな情況でも受け入れてくれるのか
甚だ疑問を感じながら読んだような・・・当時は感動して読んだのかも知れません。
天邪鬼が住み着いている私です。

15歳で放逐させられた私は愛情の灯った家庭で談笑することもなく、異国の地で、
すきま風の入る薄暗い部屋でジュニア小説を読み耽っていました。
戦争を知らない世代ではあるが、まさしく軍隊的な呼吸を要求される団体生活です。
いつしか篭の鳥となり、孤独を味わっていた。
その反動として青春恋愛小説に嵌ってしまったようです。
貸本屋のジュニア小説は完全制覇していた。
しかし、嵌りにはまったジュニア小説も内容が似たり寄ったりで、マンネリ化し,だんだんと離れてしまった。
そんな時に寺子屋の図書館で読んだ本に・・・
志賀直哉「剃刀」がありました。
いま思うと、以下のような感想を抱いたのではないかと思いました。

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読み終わっても、最初は何が何だか良く分からない 何が起きたのか分からなかったし、作者は何が云いたかったのか理解できなかった。・・・時間が経つにつれ、ひとつひとつの言葉が浮かんで来て怖くなった。
閉じてしまい。
その後、読む機会もなく忘れてしまった。寺子屋17歳の時です。

ある文芸書評に、志賀直哉にみる究極の短編小説「剃刀」の事が書かれていて過去の記憶が彷彿してきて目に焼きついてしまった。
また、読む機会が生まれて来ました。
もう、内容すら覚えていない作品です。
お友達の日記にある城崎温泉についての記述がなければ、「剃刀」の表題を見ても何も感じる事はなかったでしょう。

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新潮文庫『清兵衛と瓢箪・網走まで』460円。
珠玉の短編集18作品が集められています。

先ずは気を落ち着かせる為に「網走まで」を読みました。
網走まで・・・と表題にも関わらず宇都宮の友人に会いに行く話。
車中で出会う母子の観察はまことに絶妙です。
子供がトイレを我慢する場面・次の駅でモタモタしている子供に叱咤する母親。ほらほら 早くトイレに行かないと、汽車は出てしまうよ、ちびってしまうよ、等と罠に嵌ってしまい、出会いと別れが淋しくもありました。
葉書の投函を依頼する場面はほのかな愛情をも感じてしまった。
その後の母子はどうなったのかと気になる結末でもあります。

他の短編をひと通り目を通して「剃刀」のページです。

冒頭・・・
麻布六本木の辰床の芳三郎は風邪のため珍しく床へ就いた。それが丁度秋季皇霊祭の前にかかっていたから兵隊の仕事は忙しい盛りだった。彼は寝ながら一ト月前に追い出した源公と治太公が居たらと考えた。

腕が良いと評判の床屋の主人芳三郎が風邪で唸っている、ところから始まった。
稼いれ時に主の芳三郎が風邪で寝込んでいたところ、剃刀を研いでくれとの依頼が来る。
急な依頼ではあるがお得意さんである。どうしても必要なので主に研いで欲しい
風邪を引き、頭が朦朧としている中で急いで研いで渡すが、切れ味が悪いと云って研ぎ直しで戻ってくる。
無理をして研ぎにかかるが、どうしても上手く行かず、店まで出てきて作業をしていると、客がやって来て、髭を剃ってほしいと云われる。
頭の中は夢虚ろで疲れ切っている。それでも剃り続けていると・・・。
顔を傷つけてしまう。腕の良い職人気質の芳三郎は傷つけたことで気が動転してしまう。
どうしようもない程に心と体が磨り減ってしまうが、何とかしなければ行けない気持ちが昇華され、一閃が走る。
こんな風に追いつめられてしまう事を考えると、恐ろしく想像されます。

ドキドキしながら読んでしまった。
読後感では、より一層のドキドキが走ってしまった。
これが、志賀直哉の得意とする深層心理を突いた試みだったのでしょうか。
作家を目指す方への登竜門小説なのでしょうか・・・・
巧みな心理描写は巧妙すぎます。

末尾・・・
総ての運動は停止した。総ての物は深い眠りに陥った。
只独り鏡だけが三方から冷ややかにこの光景を眺めて居た。

私のひとり言
末尾の文章は凄いな・・・すべてを物語っている。感嘆してしまった。
人間社会において不合理さを説いたのかな・・・
分かりませんが、17歳の頃よりは少し理解したような気がしました。

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ドッキリの違反続出♪

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手の込んだ巧妙な悪戯があったようです。
外国のドッキリTVで良く見かける標識のドッキリを思い起こします。
大いに笑ってしまいました。大爆笑です。

偽の標識と気づかず反則切符。
愛知県安城市横山町の市道丁字路で、偽の一時停止標識が付けられているのに県警安城署員が気付かず、ドライバー5人に反則切符を切っていたことがわかった。
同署は標識を取り外し、反則金を返還するとともに、道交法違反(道路における禁止行為)の疑いで捜査している。

同署の発表によると、偽の一時停止の標識は、一方通行の標識を取り外して付け替えられていた。取り外された一方通行の標識は、道路反対側の進入禁止の標識の下に取り付けてあった。
取り締まりを受けた運転手が、道路上に一時停止の線がひかれていないことを指摘し、偽の標識と分かった。

それにしても、この場所は違反パトロールが頻繁に行われていたようです。
良く捕まっていますね。
一時停止は、微妙な感覚があります。一時停止の標識の少し手前に白線が引かれて、周りの見えない位置です。その為に、少し白線をはみ出して止まる事が多いですね。
一時停止違反は、過去に一度だけあります。
しかし、完全な一時停止違反かと云うと、警察との意見が噛み合わない玉虫色の違反なんです。
その日は、時間厳守の待ち合わせがあり、T路地の一時停止を白線を越し、徐行しながら通りに出ました。右を見るとパトカーが停車しています。パトカーを確認して、止まるか止まらないかギリギリの微妙な感覚で左折しました。
すると、すぐさま、パトカーが後に付き、安全なところまで誘導され、一時停止の確認をして来ました。
警「一時停止をされなかったようですが・・・」
私「いや、しましたよ」
警「していなかったですよ」
私「いや、しました。ブレーキを踏んだし、ランプもついたはずです」
警「ブレーキのランプは確認しました」
この時、私は「勝てる!」と思ったんです。
なぜなら、パトカーから車のフロントは見えても、ブレーキランプの付く、後部なんて見えるはずがないからです。
それを根拠に、つこうと思ったところに、待ち合わせをしている方から無常にも電話が入りました。優先させるは、待ち合わせです。
ここで粘っていたら、勝てるでしょうが、待ち合わせの方と後々に禍根を残す事になるので一時停止違反を認めました。7000円の大損です。

この方も『道路上に一時停止の線がひかれていないことを指摘し』
はははは・・・とても、必死な気持ちが分かり、相通じるものがあります。

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こんな事もありました。
自営業を始めた若かりし頃に、深夜まで車を駆って得意先を回り、当時、住んでいた学習院下に戻ろうと目白通りを走っていました。

都内でも目白は高台にあります。その目白から明治通りを迂回するには遠回りなので、勝手知ったる抜け道を利用します。目白は坂の名所で目白通りから学習院下・早稲田に向かう坂は最高の近道です。その中でも『のぞき坂』と呼ばれる坂は都内で一番の急坂です。この、のぞき坂を下る時は、一瞬、前が見えません。ジェットコースターに乗っているような錯覚に陥ります。

目白通りを左折すると大きい木々の葉っぱに遮られる住宅地です。
その日も、深夜12時を回り、この、のぞき坂に向かいました。街灯が灯っているだけで静かな坂です。ヒェ~の感覚で坂を下ると、下った先に赤色灯を付けたパトカーがいるではないですか。
呼び止められ、この坂は時間規制の道路であると、午後11時から午前5時までは通行禁止になっていると云うのです。
私はキレました。
「違反を防止する観点から云えば、坂の上でやるのが普通だろ」
「それに、標識が見えなかったが、あるのか?」
少し、声も荒立ち、警官も私も捲くし立て声が大きくなります。
もうひとりの警官が口に手を当てて・・・深夜ですから、お互い小さな声で・・・

パトカーに同乗して標識を確認するために、坂の上に行きました。
標識はありましたが、木々の葉っぱに隠れて見えませんでした。
しかし、違反切符を切ると云いだしたのです、見えなくても標識は標識だと云うのです。
怒りの収まらない私は・・・実は、駐車違反の積み重ねで、次の1点で免停になります。仕事に差し支えするので、それこそ必死の攻防です。
でも、切符は切られました。心の中で怒りの涙が止まりません。

私にとって、免停を避けるための次なる策を練らないといけません。
翌日、朝早く、町会長の所に出向き、ことの一部始終を説明して、町会長に同行して目白警察署に出向きました。交通課長の机の上に取り上げられた私の免許証が置いてありました。標識が見えない!の一点張りが効いたようです。
助かりました。
ノルマのある違反摘発件数の折れ線グラフ。ノルマは止めて欲しい。

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ヴィクター・ウッテン『アメイジング・グレイス』

ベースソロで『アメイジング・グレイス』

ベース奏者憧れの当代NO.1ベーシスト。
ヴィクター・ウッテン(Victor Wooten)

ベースギターがリードギターになるなんて・・・。
この高度なテクニックはどこから生まれたのか。
3歳から手ほどきを受けて5歳では簡単なメロディラインが弾けたと云います。
天才としか良いようがありません。

ウィキペディアによると。
ウッテンのスラップ奏法は親指をギターピックのようにアップ・ダウンさせて弦をはじき(サムピング)、さらに人差し指・中指で弦を引っ張る(プラッキング)ことで四連スラップを行う。さらにハーモニクスやタッピング奏法、コード弾きを織り交ぜ、非常に高度な技巧を展開しながらも、ファンク色の強いグルーヴ感あふれるリズムを聞かせる。

楽器の弾けない私はチンプンカンプンです。

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燃えるような朝焼け

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10月に入りました。晩秋でしょうか・・・
妙高も少しずつ紅葉が始まり、緑で覆われていた葉っぱが色付きはじめ、10月末の新そばの季節には、からし色のまだら織り絨毯が染め上がる頃でしょう。
葉っぱと云えば、以前、新潮社が読者の方に無料で配っていた「波」に井上靖氏が葉っぱの端に文をしたためたのがハガキで、いつもハガキの事を「端書」と書かれていた。
浅学の私は葉書が間違いで端書が正しいんだと長いこと思っていた。

4時ともなると、暗闇の中に豆腐屋さんの灯りが湯気に混じりぼんやりと漏れてくる。空を見上げると、冬の星座の中心的存在のオリオン座が東よりの東南に燦然と輝いている。三つに並んだ星は、あたかも五目並べでもしているかのようである。
天上はすでに冬になっているのですね。

さぁ・・・仕事に出かける時間です。

国道と云えども暗い4時ごろは、時折り、長距離の大型トラックが疾風のように駆け抜ける。風圧で飛ばされそうな廃車寸前の愛車。
昨日のはなし。
三叉路の交差点に左側車線に2台の高級車が赤信号で止まっていた。
ノロノロ走ってきた私は3台目にキープ。フッとサイドミラーを見ると、赤色灯を点滅させながら猛スピードで走行車線を走ってくるパトカーが見えた。
それに、左ウインカーを点滅させて来た。
赤信号の交差点を左折するんだなと思った瞬間に先頭の位置に停車すると、
同時に、二人の警察官を降りてきて、止まっていた先頭の車と話をしている。
これは・・・何ぞや?
検問か?と思いつつ待っていると、先頭の車は誘導され、左折して停車した。
二台目の車は逃げようとしたが、制止され同じく左折して停車した。
・・・次は、私の番です。
そうか、先日の一時停止違反が防犯カメラによって確認され、逃げ回っていた私に逮捕状が・・・(笑)年貢の納め時が来たようです。
しかし、私の番になると、早く行きなさいと合図があるではないか
拍子抜けしてしまった。

普通、深夜パトロールするパトカーには大体において屈強な男が2人乗っているのに、いま目の前にパトカーには4人の警官が乗っている。
これは、強盗か何かの捕り物に違いない。好奇心がメラメラと・・・
野次馬根性まるだしで捕り物の一部始終を見たかったが、後ろ髪を引かれる思いでその場をあとにした。

ところが、会社に行くと、それを見ていた人がいた。
「仁左衛門さん 3台して何か捕まったんですか?」
見られてしまっていたようです。どこに知り合いがいるのか、分かったものじゃない、フクロウの目でも用意しなくちゃ。

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灯りのある市街地を走ると、異様な光景にぶつかります。
4時30分ともなると数千羽のカラスが電線に整列している。ヒチコックの「鳥」を彷彿させる怖くて恐ろしい見事な光景であります、それも、リーダーか誰かの指令を待っているかのように静かに整列して並んでいます。
少し、まどろんだ明るさが射す日の出の少し前に、一斉に東南の方角に旅立ちます。この時ばかりは、一瞬、空がカラスの旅立ちで暗くなり、それまで、ざわついた騒音が明るさに溶け込み静寂を取り戻しています。
日の出とともに空はいちめん、燃えるような雲が広がり1日が始まります。
燃えるような雲に向かって飛び立って行ったカラス軍団は、あたかも戦争に向かう爆撃機のようでもあります。

燃え上がるような雲・・・燃えている・・・どこが・・・パリかも知れない
                            加古隆『パリは燃えているか』

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めだか専用・・・ビオトープ完成♪

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ついに完成。
5月14日に四九市で買ったペットボトルに入れられたメダカ三匹。
1匹はすぐに死んだが、残された2匹が仲良かったのですね。それからと云うもの増えに増えて、小さな赤ちゃんメダカを入れて40匹ほどに増えた。

玄関先の棚にガラスケースを二つ用意して飼っていたが、冬の手入れが容易でないことが分かり、出来るだけ自然に近い形をと、メダカ専用の簡易ビオトープを作った。
メダカの新居作りだ。GO!
ホームセンターに行って睡蓮鉢を利用しようと思ったが、底が浅く、40匹も入れるとストレスになりそうなので睡蓮鉢は諦めた。いろいろと探しているうちに良いものを見つけた。味噌漬けのプラスチックの樽は、程よい大きさで底も深い。
これならばと980円で買って来た。
その他に破けた袋から飛び出している砂利を半額で買い、ペットショップではメダカ用のピンクの砂と砂でも成長する水草を買い求めた。
準備は整いました。

庭に置こうかと考えたが、降りしきる雪に埋もれてメダカも酸欠になるのではないかとメダカが可哀相になる。それならばベランダの隅に置いて雪囲いでもして、越冬の様子でもみようかと考えた。しかし、雪囲いすると太陽の光が届かず、光合成が取れなく酸欠になりそうだ。
やはり、小さな酸素ポンプは必要になった。

水を溜めた味噌樽の新居は2日ほど放置され、カルキを抜きます。
いままでの住まいであるガラスケースの水を桶ですくい、新居に流し込んで行き、ここで秘密兵器の100均で買って来た小さい網目の柄杓を取り出します。
1匹1匹すくいあげて新居に引っ越しました
総勢40匹の大家族です。
このまま、水を変えずに春まで行く予定ですが・・・

果たして越冬できるのか心配です。
今のところ両親は健在ですし、2ミリほどの赤ちゃんメダカも元気に泳いでいます。
毎日、ひとつまみほどの少しの餌を与えていますが、栄養失調にならないように祈ります。新居の楽しさを味わってもらえれば嬉しいです。

しかし・・・

たくさんの水草を入れたので、繁殖期に大量のメダカが孵化したらどうしましょう
悩みは尽きません。
小学校の教材に誰か希望者はいませんか?

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オータムジャンボを買った♪

Jumbo_s

待ち合わせのモスバーガーに行くと店内はいっぱい。照り焼きバーガーを口に放り込みながら用件を済ませると、モスバーガーの目の前は宝くじの売り場があった。
大きく、オータムジャンボ発売中と書いてあるので窓口に行き、連番10枚とバラを10枚買って来た。宝くじを買うのは良いのだが・・・悪い癖で開封しないまま置く癖がある。
夏のサマージャンボも20枚買ったが未開封でタヌキの置物の下に敷かれている。
タヌキの念力を利用して、そのうちに番号が1等番号に上書きされる事を念じている。

ヨーロッパの宝くじの「ユーロミリオンズ」でイギリスの女子高校生が13億円獲得したと報じている。13億円とは凄いですね。ただ、日本以外は当選者を発表するので大人しく過ごせるのかどうか、他人事ながら心配ではあります。
ロト6と同じで番号を選択する宝くじのようで、ちなみに13億円獲得の抽選番号は1.2.14.29.31.33.37でした。
先月もアメリカでロトの必勝法を発明したと豪語する夫の数字に相乗りして妻が夫と同じ番号を買って見事に二人して1等の賞金を手にした。やはり、数字には魔力が付いていて数字のほうで買う人を選んでいるのかも知れないです。
この時の番号は6.10.11.19.21.49。
参考になれば良いのですが・・・。

ネット銀行でtotoのBIGを扱い始めたので、試しに2~3回購入した。
コンピューターが勝手に勝ち負けの数字を選ぶので、任意で選ぶ事が出来ないのが面倒臭くなくて良いなと思っていた。続けて3回ぐらい買っていて、前回、忙しさにかまけて購入しなかったら、その時に限って6億円の当選者が出たとメールが来た。
運・不運はいつも背中合わせですね。
さながらツキに見放された私でしょうか。

宝くじと云えば、友人に宝くじマニアがいて、毎月5万円ほど宝くじに投資するそうです。それでも、投資するほどに研究熱心でいままでに百万円が3回、50 万円以上は5~6回当てていると云っていますが、もともとがギャンブル好きなので引き寄せる運が強いのかも知れないです。必勝法を聞いても、決して教えな いです。人に教えることで運がなくなると考えているかも知れない。まさしく、麻雀でも波に乗っている時に、情けをかけて1回でも見逃すと、ツキが逃げてし まい、勝ち運から見放されると云います。
やはり運は大事なようです。

宝くじと云えば・・・。
高額当選に該当したことがないので、分かりませんが、こんな事がありました。

15年ほどの前か、もっと前かのお話。
知り合いのアクセサリーショップの社長は毎週、仕入に東京に出かけていた。その社長の友人がジャンボ宝くじを東京で買って欲しいと云って、社長に15000円を預けた。期限まで、少し間があったので社長は15000円を私的に流用してしまった。
だんだんと期限が近づくにつれて、やいのやいのと催促があり、最終日にようやく15000円を用意して、浅草駅の宝くじ売り場で適当に買い求め、友人に手渡した。
何事もなく過ぎた数日間。その社長に友人から電話が入った・・・。
あの宝くじはどこで買ったのか?
ピンと来た社長は、「当ったの?」・・・で1等1億円に当選していた。
お礼に100万円を頂いたそうですが、今でも買った場所を聞くのでしょうか。
1億円当てた彼は、まだ運があるのかな・・・。
それにしても、ある意味ショックではありますね。

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