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The Jewels of the Madonna

ヴォルフ・フェラーリのオペラの代表作「マドンナの宝石」間奏曲
鍛冶屋の義兄ジェナロはマリエラに恋をする。マリエラから私を好きなら「聖母の像にはめ込まれている宝石を盗ってきたらあなたのいうことをきく。」と云われて、宝石を盗んでくる。
ジェナロはマリエラを手に入れるが、しかし、マリエラはすぐに前から惚れていたマフィアのボスに言い寄るがふられる。ジェナロは犯した罪の深さに気づき自殺する。

だいたいオペラには不倫とかこじれた三角関係の話が多いですね。
そんな物語の間に流れる間奏曲。優しくも物悲しいメロディがなんと素晴らしいのでしょう。マドンナの宝石はオペラより間奏曲の方が有名になりました。
口ずさみながら仕事をすることもあります。

閑話休題
3ヶ月前、医者の都合で強制的に予約を入れられたMRI検査の日です。
MRIとは核磁気共鳴画像法と云うらしいが、CTスキャンとどう違うのかは分からない。体中にある貴金属はすべて取り外して下さいと云われ、咄嗟に埋めてある差し歯の金属は?と聞いてしまった。看護師もたじろぎもせずに、外せるものであれば外してくださいときた。
また埋め込むのが大変だからそのままにした。
下着1枚になり用意されているガウンを羽織り、閉所恐怖症の有無を確認もしないでトンネルの中に放り込まれました。
けたたましい音が鳴り響き30分ほど続きました。
横になると5分で熟睡する私は、予定通り爆音の中、夢の世界に突入です。
しっかりと夢を見ていました。
「はい!終わりましたよ!」の声を聞くまで爆睡です。

夢の中で「マドンナの宝石」が流れていました。

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道連れの猫

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林えり子氏のエッセイに「道連れの猫」がある。

「愛猫の看取りたる夜の長きかな」

愛猫つぶ子が猫年齢20歳(人間で云えば100歳を越える高齢猫)になって胸水症で呼吸困難になり、酸素ボンベを用意して、食欲もなくなったので水とミルクをスポイトで与えていたが、眼に見えて痩せていき可哀想だったと・・・。

「病猫の屈背ごつごつそぞろ寒」

その日は、買い物に出た際、忘れ物に気づきました。部屋へトンボ帰りしたとき、ふいに、今日は一日中つぶ子のそばに居ようと思ったのです。彼女の傍らに座り、背を擦りながら思い出話をたくさんしました。
思えば、この二十年間、どれだけたくさんの仕合せをつぶ子によって与えられたことでしょう。その恩返しをいまさせてもらっているのだと痛感しました。
この日、私ははじめて、猫の涙をみました。つぶ子の目が涙で潤んでいました。

そして、臨終まぢかの午後11時に、見舞いに来た友人が帰るわね、と云った時につぶ子の病状が急変しまう箇所があり、愛猫つぶ子の思い遣いだったのでしょうか・・・
臥せていたつぶ子が立てなかった脚をシャンと伸ばし、著者の懐に飛び込むんです。
「元気になったの!つぶ子!」しかし、抱きしめられたのは、ほんのわずかな時間。
臥せていた場所に戻り、身を捩じらせて息絶える。
丁度、その日は父の命日でもあった。と記されている。

「二十年道連れの猫逝きて冬」

私にも永年連れ添った愛猫「姫」がいて15年の歳月が流れてきました。
内弁慶で外出嫌い、その上、放浪の旅に出て行った妹には大声出して怒って威張っていました。しかし、妹が他所の♂猫とのあいだに産んだ5匹の猫には親猫の ように舐めて毛繕いをして可愛がっていましたが、生まれた猫はすぐに里親が決まり、いなくなった日は、半日ほど鳴いていました。
信州の住まいから、単身越後にも篭に揺られて一緒に住み着きました姫も寄る年波には勝てずに階段から降りるのが苦手になっています。
寒いいま時期は炬燵を占領して寝入っていて、誰もいない昼間は炬燵の中に湯たんぽが入れられ極楽を味わっています。
そんな姫も、日ごとに鳴き声が大きくなり、しつこくなって来ています。
少しでも甘える日々が短いことが分かるのでしょうか・・・
マッサージする時間が、少しずつ延びてきているんです。

会社から戻ると、真っ先に姫の寝息を確認します。
体が呼吸で揺れていると安心しますね。
まだ、つぶ子の域まで5年ほどありますから。うろたえないようにしないと・・・。

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私は貝になりたい

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11月22日。
「私は貝になりたい」が公開された。
小さい頃の記憶が蘇り、フランキー堺の恐怖に怯え引きつった顔のポスターが忘れられない。十三階段をあがり絞首刑となって露と消えたことと、貝になりたいこととの繋がりが分からないまま時は過ぎた。しかし、フランキー堺の、何かを訴えている表情だけは忘れようとしても忘れられない。いまでも脳裏に刻み込まれている。

今回上映される「私は貝になりたい」に特別な興味はなかったが、友人から1通のメールを戴き、チョットビックリ!「私は貝になりたい」に出演していると云ってきた。
出演しているとなるとエンドロールのクレジットに名前が刻まれるようです。
その彼も、来年秋に始まるNHKスペシャル番組「坂の上の雲」にも出演するそうです。
友人が出演することで「私は貝になりたい」を少し調べてみました。
【あらすじ】
戦時中、召集令状に応じて軍務に服した高知の漁港の理髪店主・清水豊松は、終戦後に突然「戦犯」として逮捕される。上官に命じられ突き倒し、怪我をしただけの米兵。しかし、捕虜の米兵の処刑に関わったことの罪を問われ絞首刑の判決。
豊松は無罪を主張して嘆願書を何通も何通も書くが・・・

豊松は妻と子どもに遺書を書く
「せめて生まれ代わることが出来るのなら…
いいえ、お父さんは生れ代わっても、もう人間になんかなりたくありません。
人間なんて厭だ。牛か馬の方が良い。
いや牛や馬ならまた人間にひどい目にあわされる。
どうしても生まれ代わらなければならないのなら…いっそ深い海の底の貝にでも
そうだ、貝が良い
貝だったら、深い海の底の岩にへばりついているから、何の心配もありません。
兵隊にとられることもない。戦争もない。
房江や、健一のことを心配することもない。
どうしても生まれ代わらなければならないのなら、私は貝になりたい…」

運命を恨んだことでしょう
敗戦国の悲哀なのでしょうか、怪我させただけであるとも分かっているが、ある種の見せしめで抗弁するも却下され絞首刑としての判決はアメリカは正義だったのでしょう。

アメリカが独裁政治と何ら変わらない出来事を検証する番組があった。

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11月16日。
NHKスペシャル『微笑と虐待~証言 アブグレイブ刑務所事件~』を観た。
大量兵器があるからと、世界中を騙してイラクに侵攻していった米国。米兵がイラク人捕虜をアブグレイブ刑務所で拷問と虐待を繰り返し、そして虐待の様子を写真に収めていたことが内部告発によって世界中に配信され驚愕させた。

虐待に加担した兵士達はイラク人捕虜を全裸にして家畜のように扱い、満面の笑みまで浮かべて勝ち誇った表情をしている。自白させる為の手段であったようだが、虐待・拷問は毎日続いた。
捕虜収容所での虐待の日々は上官によって指示されていたが、携わった兵士たちだけを軍法会議にかけて虐待に加担した兵士7人は全員が有罪になり禁固刑で不名誉除隊になった。(現実は違うかも知れない・・・)
匿名を希望した告発者は、紛争を推し進めたラムズフェルド元国防長官に、憤懣やるかたない表情で名誉ある告発に感謝すると・・・皮肉たっぷりに告発者の名前を読み上げた。告発者の名前を読み上げるなんて、きっと暗殺の指令なんだろうな。
この瞬間から、告発者は暗殺者に狙われる逃亡者になった。
告発者ジョセフ・ダービー兵長が誤って貰った一枚のCD。その中には虐待の画像が保存されていて義憤に感じた彼は犯罪捜査部に送ったことで明るみに出た。

告発者は命を狙われる運命になり、裁かれた7人の兵士は不名誉除隊ではあるが、
命令系統を守り通したことで裏取引がなされたのではと噂されている。
画像に映った「7つの腐ったリンゴ」として実行犯のみ責任追求をしておき、アメリカ政府は逃げた。

「アブグレイブ刑務所」と「私は貝になりたい」が結びついてしまった。
負けた国の兵士がは勝った国の兵士を叩いただけで死刑になり、勝った国は負けた国の捕虜を拷問と虐殺を繰り返し行い謳歌している。
こんな国の属国になっている日本の将来は明るいのであろうか・・・。

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三島由紀夫の命日。

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11月25日が近づいてきた。三島由紀夫。 三十八回『憂国忌』

昭和45年11月25日。
市ケ谷駐屯地に赴き、檄文を撒き自衛隊に決起を促し
割腹自殺と云う壮絶な最期を遂げた。

社会人になってまだ駆け出しの私は高田馬場にある営業所の食堂で第1報を聞いた。
衝撃の余り午後の会議を欠席して寝込んだことを覚えている。
その日以来、街中に号外が配布され、三島由紀夫の特集記事を載せた雑誌が溢れかえった。食欲が失せ活字を拾うことの出来ない私は特集雑誌を買い集めていた。
今でも押入れの片隅に紐に括りつけられた雑誌の束が、静かに読まれる日を待っている。

三島由紀夫の思想はさておき・・・。

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                                      『奔馬』の舞台となった大神神社。

薩摩藩寺子屋に入ると、より三島由紀夫文学に傾倒して行き
寺子屋の図書室で貸し出しを受けた。
「仮面の告白」では衝撃を受けたし、「金閣寺」では小説の最高峰だとおもったりした。
そして「午後の曳航」「剣」「宴のあと」「鏡子の家」「太陽と鉄」等は好きです。
その中でも、大事にする愛読書があります。
豊饒の海 第二部『奔馬』は大好きな本です。
宇気比によって吉凶を占う、古人から伝えられた運命を・・・
豊饒の海は壮大なロマンを持った輪廻転生が描かれていて、輪廻転生を信じる私にとっては、まさに心の拠り所をもった内容の本です。
「いまのあなたを知り合えたのは、前世の縁かも知れないです」

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       --------瑤子夫人の描いた海が「天人五衰」の表紙に使われています。

自決する昭和45年11月25日が豊饒の海 第四部『天人五衰』の最終稿。
新潮社の編集者小島千加子女史が11月24日の電話で三島由紀夫と最後の会話をしている。
「さう……それぢやあね……十時半頃来てくれるかい?」

約束の11月25日、10時30分に10分ほど遅れて到着した女史を待っていたのは
分厚い原稿の束が入った封筒をもったお手伝いさんだった。
時間を厳守する三島先生に失礼な事をしたのかと懺悔な気持ちを持ったそうです
・・・が、9時には出かけられたと聞いてホッとしたとも。
原稿の受け渡しで会えば何かを喋り、決心を鈍らせたかも知れない・・・。
ただ、それまで、一度として他人を介して原稿を頂いた事がなかったので、
一抹の不安が過ぎり、下記の故事が浮かんだと云います。

九仞の功を一簣に虧く」(九仞の功を一気に欠く)

女史の不安は的中してしまうのですね。

毎年、この日が来ると相当に慌てていたのでしょう・・・アナウンサーの早口で喋り捲る「臨時ニュースを申し上げます。三島由紀夫が市ケ谷駐屯地で自殺したもようです・・・」の速報が忘れられない。
事件現場となった東部方面総監室での凄惨な画像を何枚かもっています。
切腹後の生首が置かれている写真は惨劇を物語っています。
表に出すことなく、静かに保存しておこうと思っています。

合掌。

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                                          『豊饒の海』
月の海の名であると第一部「春の雪」の後註に記している。
月はこの小説の転生輪廻する円環の上にあって、直円錐状に、意識の隅々を照らしている。

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黄昏流星群「大人の恋ストーリー大賞」

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七月のお話。
愛読している漫画ビッグコミック・オリジナルに連載している弘兼憲史『黄昏流星群』が連載300回を記念して「大人の恋ストーリー大賞」の作品を募集していた。
募集テーマは「携帯電話」で、エッセンスを散りばめた1000字以内との条件だった。
未発表であれば、プロアマを問わない門戸を広くした募集。
愛読している『黄昏流星群』だったので応募することにしました。
他愛もない展開ですが・・・。
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台風が過ぎ去るこの時期は、アジを追ってワラサが登場する。ポイントを探しに夜の日本海に船を出した。降り注ぐ満天の星を眺めながら鼻歌気分で探っていると、携帯から閃光が走り着メロが鳴りだした。
知らない番号であったが、釣り予約の電話かも知れない。
携帯を耳に当てると、優しい声で、しかも懐かしい声が響いてきた。
「こんばんは。和範さん!お元気でしたか?」
「初枝です。もうお忘れになったのかも知れませんね。」

私と初枝は20年前までは結婚を前提で同棲していた。しかし生活する意見が少しずつ食い違いが起きてお互い背を向き合い別れた。主張するばかりで余りにも若い二人だった。
別れた私は都会を離れ、実家のある日本海沿岸の田舎に戻ってきた。魚市場で働いて割烹屋の娘と結婚したが離婚した。独身になり50歳を過ぎて漁師への憧れ が強くなり人生の荒波に立ち向かいながらも、海への情熱は衰える事がなく、船舶の免許を取得し念願の45フィート14人乗り6.5トンの遊漁船を手に入れ 釣船の船長として生活をしている。人気も上々である。釣り客の安全第一に考え、天気予報と潮見表を日夜ニラメッコしている毎日である。

忘れたわけではないが、初枝との思い出は流れ星のように一瞬で消え去る運命だったのかも知れないが、愛し合った二人は長い年月をかけた沈黙であったが初枝の声が蘇ってきた。

時を経て初枝の声に少しも変化はなかった。
星空を仰ぎ見ると幾つもの星が流れ、錨を下ろし波に漂う甲板の上で懐かしい声に聞き入っていた。初枝は、ここ1週間立て続けて私の夢を見たと云う。私の身 に何かあったのかも知れないと思い手帳を探り、友人に電話を入れて、私の携帯番号を聞くに至り、家庭の主婦でありながらも居ても立っても居られず携帯の番 号を押したと云った。
「元気で良かった」「とても心配だった」
取り止めもない話が続いたが、仲良かった昔が偲ばれ、目頭が熱くなった。忘れ得ぬ初枝の声も、いつしか涙声に聞こえて来た。
「いつか会いたいね」
「うん!会えると良いね」
これ以上、話をすると大声で泣きそうだった。しかし、このまま携帯を切ると、二度と会えないような気がした。それは、二人して同じ思いだった。
「佐渡は近いの? 佐渡に行きたいなぁ」
「ねぇ!満月の夜に船で佐渡まで連れて行って・・・」
早速、船舶手帳にある月齢を眺めて満月を探し始めた。
離れ離れの20年は、あっという間の20年であったのか、空を見上げると北の空にはカシオペアが現れている。
握りしめた携帯に星が降っているようだ。

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妄想もここまでですね。やはり天変地異が起きても作家にはなれないようです。

発表がありました。
大賞(100万円)1編と佳作(10万円)2編が発表になりました。
100万円を手にされた方は神戸市在住の方に決まりました。おめでとうございます♪
さてと、私の作品ですが、3755通の応募作品の中の1通であるわけですが
1次審査でも通れば良いかなと思って出した作品でした、どの程度の評価を受けたのかどうかは不明です。
しかし、最終選考において、予想を遥かに超える多数の応募に「弘兼特別賞」として50篇を発表するとのこと。果たして・・・その50篇に入っているのかどうか、2月中旬に弘兼氏の直筆サイン入りの本が送られてきたら入選と云うことになるようです。
たぶん、この程度のストーリーでは無理だとは思いますが、初めての投稿で面白かった。

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蘇る悪夢・・・便所考

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演出家の今野勉氏が月刊総合誌東京人に書かれた「桃源郷と悪夢」を読んだ。
北海道夕張出身の今野氏は炭鉱育ち。古希を迎え、次々と同級生が亡くなって行き、「クラス会に出といたほうがいいよ。どんどん死んじゃうよ」との電話の声でクラス会に出席される。
そのクラス会では、懐かしい顔を見つける度に貧しくても楽しかった子ども時代は野山を駆け巡り子ども達の桃源郷で、桃源郷についての自慢話で盛り上がっている。
すると、ある男が、炭鉱の長屋生活での怖い体験話をし始めた。ところが、この怖い体験話は、実はみんなが体験している怖い話であった。
何十年も経ったいまでも、怖かった体験の夢を見ると云う。

四軒長屋の端に横一列に並んだ便所があった。冬などはカンジキ付きの下駄を履いて便所に行った。便所はカンジキに踏まれて踏み板が薄くなり下へたわむ。動くたびに薄い板が上下にバウンドし、板が割れて便壷に落ちるのでは、という恐怖は、悪夢となり甦る。

とある。
私の家は小学校4年の時に火災に合い、社宅に入った。
それまでは、1枚板のおつりの来る便所であったが、社宅は水洗トイレで天井からぶら下がっているチェーンを引っ張ると勢いよく水が飛び出してきた。
この地域では、いちはやく水洗トイレの設備がなされていると聞いた。

中学に入ると、新校舎が出来てトイレは最新設備の水洗トイレであったが、友達と悪ふざけして、女子トイレの扉を壊してしまい、教頭の命令で1ヶ月間女子トイレの掃除をすることになった。掃除をすることで摩訶不思議な光景を目にすることになる。

そして、便壷のある便所の事は忘れていた。
薩摩の寄宿舎では伝統を重んじるとして、便壷の便所が用意されていた。
こんなところで再度お目にかかるとは思いもしなかった。
寄宿舎は、○に十の字の家紋が板と云う板に扉・襖・障子・瓦に至るすべてのものに入れられていて、改築・改装がご法度で便所もそのままだった。
約束どおり新入生が掃除当番で辛かった。
豆電球だけ点いた便所は暗くて、何度も踏み外しそうになり、いま海に潜ることがあったらたくさんのサザエを採ることが出来るだろうと何度も思った。
それほどに息を止めての便所は拷問に等しかった。
昔の人の決闘に便所もあったと聞く。あの狭い便所に二人で入り殴り合いの
喧嘩をしたらしい。武術が長けていても身動き取れない場所での決闘は、
誰が優位なのか分からない。

今野勉氏の悪夢は、汲取りの便所を利用した事のある誰もが思った事で
考えただけでも、身震いする思い出である。

会社の同僚で環状七号線そばの青砥に住む友人宅は、高圧線が邪魔をして、つい何年か前まで便壷のある東京都内では十数軒だけ残る汲取り式便所であった。
何度か、友人宅に泊まったことがあるが、目の痛くなるアンモニアの匂いに慣れるのに酒をがぶ飲みして早寝するしかなかったが、匂いで蚊が来ないよと云っていた。
いまとなっては、懐かしい汲取りの便所であった。

便所と云って思い出した。
・・・・ある会話。
「おや、曇ってきたぞ」
「雨が降るかな・・・」
「降ってきたぞ~」
「雷が落ちるかな」
「落ちてきたぞ~」

画像は拾ってきました。

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誰もいない豆腐屋さん

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夕方になると、毎日のことでサンダルを履いて近くの豆腐屋さんに行く。
店の中は、掃除が行き届き、蛍光灯が煌々と作業場を照らしている。
入ってすぐ右にある大型の冷蔵庫をかってに開けて、目指す豆乳を手にする。
昨日の飲み終えた空の豆乳瓶の中に80円を入れて戻ってくる。
豆乳の瓶は、お酒のワンカップの大きさ。

朝の四時と云えば、ご近所では豆腐屋さんが一番早くに灯りが付き、換気扇から
白い蒸気が漏れて立ち上っている。
二年前までは、先代のご主人が健在で豆腐を作っていた。
作り終えると、ラッパを片手に自転車の荷台に豆腐を積み込み、お得意さんを回っていた。
住宅地の一角にある豆腐屋さんは小さな豆腐屋さんでもある。

先代のご主人が倒れて亡くなった時は、豆腐屋さんが続けてくれるのか心配だった。
なにしろ、二代目の若旦那は演劇に夢中になり、豆腐を作るより、演劇の役作りに忙しいと
評判だった。
加工食品にいろいろと問題が広がり、安心して食べられる食品が求められ、世界で話題になったクローン栽培の大豆にも波は押し寄せてきた。
国産大豆を使った手作りの豆腐が要求され、ご近所の世話役が演劇に夢中になっていた若旦那を豆腐作りの跡継ぎになれと説得して、若旦那は演劇を止めた。

朝4時から仕込む、豆腐・厚揚げ・油揚げ・ガンモは美味しいと評判になった。
独身の若旦那は豆腐作りの一から十まで一人でこなし、営業に出かける。
作った商品は店内に陳列され、値段表が冷蔵庫に貼ってある。
灯りだけの店内に、かってにお邪魔して、陳列してある商品を手にして、お金を釣り銭が置いてある篭に入れて貰って来る。
信用・信頼の取引である。

評判を聞いて来て、遠くからお見えの方がいるが、かってにお金を置いて、貰って来ることの不安が過ぎるのか、近所の方が、かってに店内に入り、かってに持って帰るのを不思議そうに眺めているが、若旦那が戻ってくるまで車の中で待機されている。
「三丁目の夕日」で、見られるような素朴な光景である。

私は予約している豆乳を頂いている。
私の分は、いつも冷蔵庫に仕舞ってある。
以前は、豆乳を商品として陳列していたそうだが、保健所の指導で豆乳の販売が出来なくなったと聞いた。そのために、不特定多数の方には販売できないが、予約されている特定少数の方にお分けしている。
その中の1本を頂いています。無調整なのでなんの味もしない。
にがりを入れれば豆腐が出来る。
今日も、暗くなり、夕餉の支度で台所に灯りが点く6時に、誰もいない豆腐屋さんのガラス戸を開けて、チャリンチャリンと音をさせて80円を空瓶に入れて、豆乳を頂いてきた。
健康になっているのかどうかは・・・甚だ疑問のつく気休めの豆乳です。

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津軽三味線・・・二代目高橋竹山

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以前、なにげなしにボタンを押したNHKの番組で古典芸能「琵琶の世界」を観た。
黒の和服に凛とした姿で琵琶を奏でる女性の姿と音色に心が打たれた。
後日、薩摩琵琶奏者の坂田美子さんであることが分かり、インターネットで追いかけた。
坂田美子さんのCDを買い求め、ライブにも顔を出して薩摩琵琶の音色に嵌った。
神津カンナがプロデュースした「薩摩琵琶の世界」が紀尾井小ホールで開かれて、聴きに行った。
その時の演目に長唄との競演があり、長唄の人間国宝杵屋喜三郎氏の演奏を生で初めて聴いた。仰天した。三味線って、こんなにも美しい音を奏でるのかと心臓がドキドキして三味線の音色が頭から離れなかった。
長唄と薩摩琵琶と和の世界にどっぷりと嵌ってしまった。

秘かに長唄のCDを手にして、聴き入り和楽器の素晴らしさの入口に立ったように思った。
そして、薩摩琵琶と長唄はMP3デジタルオーディオに入れて、出張の折り、電車の中で聴いている。

先日、関わっているNPOから「津軽三味線」の二代目高橋竹山さんが8年ぶりのCDを出したので記念演奏会を浄興寺で行うので、チケット買って!と云われた。

高橋竹山と云えば、頑固そうで四角張った顔。全盲でありながら津軽三味線を最高峰に押し上げた功労者、そんな程度しか思いつかない。
その高橋竹山を引き継いだ二代目が津軽(青森)ではなくて、車で走れば4~50分ほどの糸魚川市能生に住んでいる事は驚きです。

浄興寺は親鸞が説法を繰り返した由緒あるお寺で国の重要文化財に指定されていますが、NEO浄興寺プロジェクトなる組織を作り、浄興寺本堂でのイベントに力を入れています。
4月29日には 秋吉敏子jazzライブがありました。

11月3日、文化の日
浄興寺の境内は菊祭りが開催中で、沿道から境内とテントが張られ、丹精込めた菊の数々が展示さています。1時30分開演には続々とお見えです。
本堂の中には畳に置く長椅子と畳席があり、ほぼ満席の状態で埋まっています
殆どのお客さまは年配です。三味線とか民謡が好きなのでしょう。

レモンイエローの鮮やかな着物を着て二代目は登場されました。
しなやかな細身の体に、きりりとした佇まい、50歳を越えているとは思えない美貌にオーラを感じます。美人なんです。少し低音の流れるような語りに三味線一筋の年輪を感じます。
CD発売を記念してのライブは、どうしても、この浄興寺から始めたかったと・・・。

CD『三味線じょんから---竹山の汀へ---』

4月29日の秋吉敏子jazzライブに、ひとりのファンとして聴きに来て、この場所で三味線を弾きたいと思ったと、熱き願いが叶えられた事が何よりも嬉しかったと笑顔で話をされた。

早速に、「津軽じょんから節」がはじまり荒波を被るような激しい旋律です。
怒涛の音が静まり返る浄興寺の本堂を埋め尽くしていきました。
これが、津軽三味線なんだ・・・太い音色です。
目にも止まらぬ激しいバチ捌きの音が心を捉えて離しません。
音色の余韻が押し寄せた波が引潮のように静かに離れていきます。
「三味線よされ」
「十三の砂山」(聞き間違いでなければ、とさの砂山とおっしゃっていた)
「津軽あいや節」
と心地よい響きは続きます。

11歳で始めた三味線が、初代高橋竹山のCDを聴いたことで、いてもたっても居られず
押しかけて内弟子になった話などをまじえて津軽三味線は続きます。

和服姿の津軽三味線は浄興寺を意識されての和服とのことで・・・
二部では本来の黒のロングドレスにシースルーのカーディガンを羽織っての登場です。
強弱の音に酔いしれてしまいます。

三味線だけではなく、三味線の伴奏で歌も入ったのですが、これがまた美声なんです。
それこそ50歳代の声とは思えません。まるでオペラ歌手のような華麗な歌声です。
薩摩琵琶の坂田美子さんも美声で有名ですが、高橋竹山の透き通るような声は、
紛れもなく一級品でした。
歌声を聴いただけでも価値のあるライブ、そんな感じです。

長唄の人間国宝杵屋喜三郎さんの優しい音色の三味線は細棹で繊細な音色でした。
津軽三味線は太棹で太くて激しい音色。
どちらも心を揺さぶる和の芸術でした。

最後の曲は即興曲とのことで、演奏の途中から拍手が鳴り止まず最高潮になり
アンコール拍手は本堂が揺れるほどの音が響きました。
酔いしれた二時間のあとはサイン会が行われていました。
CDを買い求め、戴いたサインを小脇に抱えて大事に帰途につかれる方が大勢のなか、
私はCDは買いませんでしたが、その日は余韻に浸り堪能しました。

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行方不明になったウサギ

Usagi

       雪国の野うさぎ

昼休みの時間にウサギが噛み付いて困ると云った話があり、ウサギの耳を持って持ち上げて良いのかと云った話題が広がっていた。
ウサギには並々ならぬ悲しい思い出がある。

  玄 関に通じる庭先から大きい物音が聞こえて来たのは寝静まった深夜の1時ごろだった。誰よも先に飛び起きた母は玄関の戸を開けて目指す場所に走った。
家族全員が起きて来て暗闇の中で灯りを求めた。

小学3年生の私は学校から生まれたばかりのウサギを貰ってきて親に懇願して飼うことになった。父は日曜大工でりんご箱より大きい小屋を作り、すぐに取り外し が出来る金網を張り、小水がきれいに流れるように右奥に小さな穴を開け斜めに設置した。

これで家庭菜園の肥料が出来たと母は笑っていた。
小動物を飼うのは趣味みたいなもので、ただ飼うだけではなくて躾や仕込をする事は得意だった。すぐにウサギを部屋に上げて遊んだ。
トイレに行くたくなる素振りを見せると、すぐに抱えてトイレの横に用意した新聞紙を敷いた洗面器の中に入れて用を足すのを見ていた。
パチンコ玉のようなコロコロとした真ん丸い糞がいっぱい転がっていた。
何度か繰り返すうちに、ウサギは独りで洗面器のトイレに行き、用を足していた。
ここまで来ると、部屋にあげても部屋を汚す事がなく、安心して遊ばせて良かった。

学校から戻ると、カバンを放り投げ、鎌を持って近くの土手に行き、ハコベや乳草を取り、八百屋に行って人参の葉っぱを頂いて来ることが日課になった。小便は不思議と洗面器の中ではしなくて、いつも小屋でしていた。ウサギの小便はとても臭いです。鼻を突く強烈な匂いがします。
その小便は斜めになった床から大きなブリキ缶に落下して家庭菜園の肥料となり家庭菜園で作ったナス・キュウリ・オクラが美味しく実った。
有機栽培だと云って母は喜んでいた。

春になると、ウサギを篭に入れて、土手近くの田んぼに行き、レンゲソウが咲き乱れる田んぼの中で解き放ち、食べ放題の世界を堪能させた。
その頃の私はレンゲソウの中を飛び跳ねるウサギを見ながら、レンゲソウの花に群がる蜜蜂をパチンと両手で叩き仮死状態にして蜜蜂の密を吸っていた。
天然の蜂蜜だった。
深夜にウサギ小屋から音がして・・・

家族みんなが可愛がっていたウサギが心配で飛び起きたが、金網が外れていたのでてっきりやられたと思った。しかし、懐中電灯を当ててよく見ると隅っこに小さく背を丸めて震えていた。
その夜は、抱きかかえ、ウサギと一緒に寝た。
あくる朝、母は社宅の隣に住む家に行き、談判していた。
この家には大型の秋田犬を飼っていていつも吠えていたので狙いを付けて間違いがないと母は怒鳴り込みに行ったようだ。
今度から首輪を放さないと約束してきたと云っていた。
何しろ、秋田犬の持ち主は市民からの苦情が一番怖い市長さんのお宅。

ウサギの成長と共にウサギ小屋も大きくなり、次は婿取りでもして子どもを産ませようと計画をしていた矢先に、ウサギ小屋からウサギが忽然と姿を消した。
母は仕事も忙しい振りをして何も云わなかった。
いつまでも泣き叫ぶ私を見て・・・「どうしても、お父さんの仕事で必要になった」と云った。
家族みんなで、あれほどに可愛がったのに、静まり返った部屋の片隅で泣き続ける私がいた。

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あかね色のシルエット

                                    失敗作の動画・・・。

今月のメンテナンスも約束の時間より少し早めにハンドルを握りアクセルを踏んだ。
曲がりくねった坂道を一気に駆け上がると、晩秋の雲が広がり、少し澱んではいるが白い波が砕け散る海の見える丘にたどり着く。海の見える小高い丘には、ところどころ潮風の影響でペンキが剥げ落ちた白い建物が顔をのぞかせている。
庭は船の甲板のように間伐材を利用した手作りのデッキが庭を占領している。幌が破れたディレクターズチェアが2脚あり、丸いテーブルを挟んで置かれている。
デッキを囲んでいる柵の上には風見鶏の風車が風の向きを捉えているが、風車が海以外の方角を指しているのを見たことがない。
海からの風が強く建物すべてが潮風で錆が始まっている。

風の音に消されて岩礁に当たる波の音はまるで聞こえて来ない。
海の方角に出っ張ったデッキに立つと耳をつんざく風の音が響いてくるが、寒くて震えてきそうだ。
「今日の夕陽はどうですか・・・?」
と、聞いてみるが、夕日も冬眠に入るらしく、薄く色を射しただけで見えなくなる。

冬を除いて、この場所から見える夕陽は、西の方角に小高い崖が邪魔になり、水平線に沈む夕陽を見る事ができない。しかし、空いちめんに広がった茜色を楽しむ事が出来る

水平線に沈む夕陽を見るには、一旦、浜辺の路地に降りて、波寄せに平行して走ると、沿岸を走る国道8号線に合流して幹線道路に吸収される。
西に進路を取り賑わいのある海水浴場を過ぎると小さな入り江にぶつかり、入り江には大きくせり出した岩礁が海に向かって伸びている。この岩礁の入り口にはパーキングエリアとして十数台の駐車が出来るように車止めが設置してある。
夕方になると、どこからともなく車が忍び寄り、カップルが下りてきて柵に寄りかかり水平線に沈む夕陽を眺めている。

あかね色に染まる少し前には
岩礁から見える浜辺の波打ち際は打ち寄せる波の飛沫で白線を引いたような白墨の縞が出来上がり幾重にも重なっている。
沖の波間に漁に出て、海面に浮かんで来た小魚をせわしくも突っ突いてお腹いっぱいのカモメが一日の漁を終えて入り江にある波消しブロックに身を寄せるように羽根を休めている。
今日の収穫でも話をしているのであろうか・・・。
必要な量だけ捕獲する生存に於ける自然の原理である。

岩礁から見る夕陽は若いカップルにはまたとない場所で柵には至るところに南京錠が付けられている。このまま離れないように・・・との願いなのか

その昔。工学部の友人はどんな南京錠でも100均で売っているようなフォークで開ける事が出来ると豪語していた。事実、合宿所にある台所の米びつには頑丈な南京錠が掛けられていたが、いとも簡単に開けて共犯としてたらふくご飯を食べた思い出がある。
恋人たちの南京錠をこじ開けるとどうなるのであろうか・・・。

岩礁を過ぎると
「露天風呂から夕日が見えます!」の謳い文句の看板が目に付く。この温泉は「うみてらす」
夕日の時間帯になるとたくさんの人で賑わいを見せている。
露天風呂から見る夕日は哀愁を与えてくれる。裸のままで見る夕日も良いもんです。
しかし、夕日の見えない冬は来客も少なくなる。その為に夏場500円、冬場300円の冬期料金が設定されている

あかね雲はロマンチックですね。
夕日の数々と、大橋純子の「シルエットロマンス」をゴチャゴチャにして作ってみました。
お粗末な動画です。直したい箇所がたくさんあるが、面倒なのでこのままで
それでは・・・

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虹と紅葉と燕温泉

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新潟・長野県境に架かる、れいめい橋は紅葉の絶好のポイントと云われていている。
暖秋で紅葉の時期が遅くなっているとローカルニュースは伝えていたが、ここ2~3日の冷え込みで、せっかくの紅葉が落葉しているかも知れないと思いつつ、仕事を兼ねて妙高れいめい橋に足を延ばした。
昨夜から雷を伴った雨は、断続的に降り続き、時折り激しく雨戸を叩くヒョウを見舞っている。天気予報を見ると雨のち曇り。妙高山を望むと厚い雲が覆い被さり、荒れ模様を予感させる。
上信越道の高速道路は信州方面に流れる車が爆音を呻りたてている。信州のどこに向かっているのであろうか。妙高ICで降りる。空を見上げると、雨は小降りになったが、山並みは遮るようにモヤが掛かり視界を狭くしている。
見上げる妙高山(2445m)は雲の隙間から険しい顔を覗かせうっすらと雪化粧が始まっている。
紅葉と相まって雲に雪景色と北国らしい情景を感じてしまう。
橋から見える下流を覗くと、大きい虹が張り出していて、ビックリした。
きれいに半円を描き、紅葉に架かる虹は溶け込むように霞んで見えた。
雨模様のモヤに遮られ、きれいな紅葉は見逃したが、雪化粧した妙高と虹を堪能してれいめい橋に別れを告げ・・・・薄利多売便利屋としての重い足取りで仕事先に向かう。

----仕事中の為、中略----

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妙高に来ると必ず寄る蕎麦屋があります。
赤倉に向かう途中の小高い丘にある、そば処「東源」に行く。東源は靴を脱いで上がり、畳の上に椅子のテーブルが置いてある風変わりなお蕎麦屋さん。
2時を回っていたが、京都・横浜・足利ナンバーの車が止まっている。妙高に観光でお見えの方でしょう・・・決して、東源が目的とは思えない。
今日の東源も新そばとして、蕎麦の味は決して悪くないが、汁に合格点はあげられない。蕎麦の汁は七味だけを入れる私は、汁によって満足したり、ガッカリしたりで、この日も、汁が甘ったるくて蕎麦の風味を殺していた。
まぁ、こんな日もあるでしょう。

蕎麦を待っているあいだに、妙高散歩なるチラシを眺めていると、妙高1600m位置にある燕温泉に白濁の温泉・野天風呂があると書いてある。
燕温泉か・・・良く聞く名前であるが、行った事はありません。
冬期間は通行止めと書いてあり、思ったときが吉日で向かうことになった。燕温泉に行くには赤倉温泉を抜けるのが近道と書いてあり、果敢に攻めてみようとなります。
しかし、赤倉を抜けると心臓が竦んでしまった。
片側が断崖絶壁の道路を恐々と走ることになった。
二車線ギリギリの断崖を走る道路は曲りくねっています。高所恐怖症の私は、奈落の底から手招きされ呼ばれているような錯覚に陥るのです。

冷や汗をかきながら断崖道路を終えて、一度、来た事のある関温泉にでました。
ここからが燕温泉への一本道のようです。遥か彼方には妙高の街並みが見え隠れします。
山あいの木々は、まだら模様の紅葉で山肌のあちこちは落葉しています。
目指す燕温泉に到着しました。
『日帰り客の駐車場』と、大きな看板が見えました。
どうも、お泊りのお客さん以外は通行止めのようです。
坂道に出来た狭い駐車場に車を止めて、向かうは白濁の温泉です。
山小屋風の温泉宿が3~4軒並んでいて、硫黄の匂いが充満しています。
25度ほどある坂を上っていきます。歩く方はめいめいタオルをぶら下げ目的が温泉である事が分かります。

枯れたススキが黄色く色付き、萎れた穂が重なるように群れをなしているところに、大きな岩が現れました。黄金の湯と書いてあります。覗くと岩の左奥には3畳ほどの湯船が見えます。モヤの掛かった晩秋の陽射しを浴びて5~6人の男性が裸体を晒しています。右奥は女性の湯船のようですが、お湯の色が普通です。白濁ではなかった。
首には寒さ除けでタオルを巻いているので、すぐにでも温泉に浸かることが出来るのですが覗き込んで通過。
吊り橋が見えて来ました。
やはりタオルを持っている人が歩いて行きます。これこそが、白濁の野天風呂かな・・・
今にも崩れ落ちそうな崖の横を歩いて行きます。「落石注意」なる立て看板が目を引きます。

落石注意と云えば・・・。
30代の頃に聞いたラジオ番組だったが、落石注意(らくせきちゅうい)と読んでいたが、どうも違うと云っていた。これは、落石注意(おちいしちゅうい)が正式名称で落ちている石を注意することであると。落石注意の看板を見る度に、その時のラジオでのパーソナリティを思い出す。実際は、どちらが正しいのか調べる事はしなかった。

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吊り橋を渡ると、橋のたもとに佇む方がいらっしゃって、白濁の温泉を聞くと、川に沿って歩くと岩で造った露天風呂があると云われる、そして、混浴であると云うことも。
逸る気持ちを落ち着かせ、川に沿って出来た細い道を歩くと、岩陰に隠れるようにして白濁の湯が見えて来ました。6畳ほどの大きさでしょうか、4~5人の方がのんびりと入られています。そして、女性の方も入られています、お~凄い度胸!
肩から水着の紐が見えました。 そうですよね・・・当たり前でした。
重力に負けたみすぼらしい裸体を晒すには決死の覚悟がいるようです。
諦めて、温泉旅館の湯に入ることにしました。
700円の入浴料でしたが、1600mの高地にある温泉は湯船に湯花がいっぱいで満喫しました。ほかほかの気分で燕温泉を後にした。
燕温泉スキー場は、この場所からリフトが出ていた。それこそ、下界を眺めるスキー場でトリミングもされない雪男・雪女専用の山岳スキー場なのでしょうね
入浴した温泉旅館の歓迎看板には「日本山岳修験道甲信越支部御一行」と書かれていた。
法螺貝を吹きながら山伏の集まりが行われている。そんな温泉でした。

スライドショーを作ってみました。

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