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バーゲンセールの春の雪

日の出の6時を回っているのに外はモヤがかかり、みぞれ雪が激しく舞っている。
走る車はライトを点灯させ雪の合間を縫って走っている。
季節はずれの雪が・・・

つい、この間までは
日本三大夜桜で有名な越後藩高田城公園にある数千本ある桜の木にはうっすらと桜色した蕾が顔をのぞかせていた。公園内にある木々も雪囲いで掛けられていた 荒縄が外され、散歩道には企業名が入ったボンボリが取り付けられ、八十四回を迎える百万人観桜会の準備がいまや遅しと進められている。
高田城を取り巻くお堀は雪解け水できれいになり、北帰行を諦めた白鳥に定宿にしているアヒルや鴨がのんびりと泳ぎ、春の息吹を感じるお堀の周りを一眼レフを抱えたシニアのみなさんが散策されていた。
近づく観桜会が始まると夜桜見物に大型バスが往来する。
みんなが待ちわびている。それを逆らうように突如と襲った大寒波の襲来です。

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天気予報を見ると三つのブロックに分けられた新潟県全域で雪だるまのマークが大きく輝いている。窓の外を眺めると冷たい風は吹いているものの、雲もなく天気予報が外れるのではと喜んだ。
何しろ、数日前には25度を越す真夏日が続き、春を通り越して初夏の陽気であった。時間がある時に素早く交換と思い、冬用のスタッドレスタイヤから夏用のタイヤに交換したのです。ハンドルも軽くなり燃費も良くなります。
しかし、この雪で走る不安を覘かせます。

仕事で行くことになる妙高新井地区。細い農道を抜けないと目的地に辿りつけません。その農道は農水路を利用する為に作られた一車線ほどの道が曲りくねった道。
行きは良い良い、帰りは怖い・・・で、途中でバックして引き返すことが出来ないほどの荒地でもあります。
突き当たりから坂道になり左にカーブします。雪の時の難所です。
颯爽と、夏タイヤを履いた愛車は積雪20センチの農道にわだちが出来ているので、チョット安心して突入したんです。
わだちを利用してタイヤを乗せて、第1のカーブ、第2のカーブをクリアして、突き当たりの難所で気合を入れて、ハンドルを切った瞬間にタイヤは横滑りして雪にはまってしまいました。・・・ジ・エンド・・・
助けを呼ぶにも、シ~ンと静まり返った雪原のようです。
トランクに積んだスコップを持ち出し、30分の格闘が始まりました。
四輪駆動でこのありさまです。
二輪駆動の普通車だったら日が暮れていたことでしょう。

夏の終りに行った妙高関川温泉地区は、この春の雪でひと晩で70センチの積雪を記録したそうです。空の上では見込みで生産した大量の雪が余ったのでしょうか、バーゲンセールの在庫処分のような雪の量です。この雪は4月5日ごろまで続くようです。
また・・・灯油を買いに行かなくちゃ。

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ビオトープで越冬したメダカのみなさん

雪の少なかった雪国にも春はやって来ます。
今年の雪は、あちらこちらに雪の華が咲き乱れる情緒ある雪景色でした。
寒さの嫌いな私は雪の少なさに念力が通じたと喜んでいます。
地球温暖化が叫ばれ、生態系にも影響があり、地球の悲鳴が聞こえて来るとは云っても寒さの苦手な私は頷きながらも、温暖化を歓迎しているのであります。

昨年、5月14日に出かけた四九市でメダカに遭遇して、偶然にも眼が合ってしまいました。笑顔を見せるメダカの表情に思わず買ったのであります。ポニョかも知れないと。
その時のメダカがホテイ草に卵を産みつけてたくさんのメダカを送りだしてきたのです。小さな水槽では飼えなくなり、ホームセンターに出向いてプラスチックの味噌樽を買い求めメダカ専用のビオトープを作ったのです。

10月15日にビオトープ造りに着手。
雪国は少しずつ寒くなりメダカも初体験である越冬に向けての家造りです。
潜り込み隠れるほどの小石と砂利を敷き詰めて水草を砂利の中に埋め込み完成です。
生きるために必要な酸素を小さなボンベが働いてくれます。
玄関先に置いたビオトープも日増しに寒くなると、すきま風が容赦なくビオトープに打ちつけます。水の温度も少しずつ下がり始め、メダカも段々と底のほうに移動していきました。
ビオトープの掃除を専門とする巻貝が3個ほど砂利に中で寝ています。
夜中になると、むっくらと起き上がり、ビオトープの塀をぐるりぐるりと掃除して行きます。この巻貝のおかげで藻の発生が止められてビオトープの中はきれいです。

しかし、凍てつく寒さは小石や砂利までも身を固くして余裕がなくなります。
埋め込んだ水草が1本1本と髪の毛が抜けるように離れて行き、浮かんできます。
浮かんだ水草は枯れて来て、汚れの元になるので拾い上げました。
12月に入ってからは餌もストップしています。
メダカは酸素の供給だけで生活をしています。
1月になると、水草はすべてなくなりメダカの隠れる場所がなくなりました。
メダカは寒さで静かに止まっています。
40数匹のメダカの何匹が生き残っているのでしょう。

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3月に入り、暖かさの戻った小春日和の日にペットショップに行き、ホテイ草を買ってきました。ホテイ草は1本100円です。メダカはホテイ草の根に卵を産み付けるはずです。
餌の供給が始まりました。
顆粒になった餌をひと摘まみしてビオトープに落とすと底に静かにしていたメダカも水面に出て餌を啄ばみます。越冬して初めて口にする食料です。

赤ちゃんメダカだった30数匹ほどのメダカも中学生ほどになりました。まだまだ親メダカほどの大きさには敵いませんが、日々成長しているようです。
冬の間は水草の隠れ家もなく、餌もなく、良く生き延びてきました。
越冬したメダカのみんなに食料を供給するのは私の役目です。
繁殖期が楽しみです。
ビオトープを増やさないといけないかも知れないですね。

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寝台特急富士(ブルートレイン)の思い出

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3月13日の金曜日。忌み嫌う人もいる13日の金曜日であるが、半世紀にも渡って慕われてきた寝台特急富士とはやぶさ(ブルートレイン)がこの日の運行を最後に終止符を打った。ラストランの勇姿を見ようと始発駅の東京駅と大分駅では、たくさんの方が集まり別れを惜しんだ。

寝台特急富士には並々ならぬ思い出があります。
薩摩の寺子屋では勉学とは無縁で遊び呆けていた私は、人目を避けるように花の都東京への脱出を計画して無謀にも負ける戦いの受験を思い立った。

私服の寺子屋であったので受験ともなると、借りた学生服でそれらしく身を包み、西鹿児島駅のホームに立った。学生の分際で寝台特急は夢の世界である。先ずは入門編として寝台急行たかちほに飛び乗ったが自由席は超満員。箱型に造られた四人掛けの座席は立錐の余地がなくデッキに座り込んだ。私と同じく受験に向かうのであろうか、デッキや通路には数多くの学生が立ち尽くし、参考書を広げていた。

2時間や3時間ほどの立ちっ放しは我慢も出来るが、この時の寝台急行たかちほは、終着駅の東京駅まで27時間の長旅であった。一日以上電車の中で過ごす事になった。
頭が朦朧として、新聞紙を床に広げて座り込み仮眠した事を覚えている。
東京駅に着いたときは、はやる気持ちは萎え心身衰弱。迎えに来ていた先輩の顔を見たときは地獄でお会いした仏様のようでした。受験準備で長逗留するお金もなく、着いた翌日に行われた飯田橋での受験は最低だった。
三校ほどの受験を終えて、鹿児島に帰省するも、懲りたはずの急行たかちほが待っていたが乗車拒否をしたくなった。嫌な顔をして駄々をこねる三人の後輩を憐れんで先輩が寝台特急富士に乗せてくれた。

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寝台特急富士は、まさに天国だった。
三人掛けのB寝台であったが、座れただけで生きている心地がした。
寝台急行たかちほの車両で二人掛けの座席の下に新聞紙を敷いて寝ている人を見たときは、いつしかわが身もおなじ事をしないと行けないのだなと考えていた。受験の名を借りて東京への逃避行を後悔したものです。

寝台特急富士は快適そのものです。
お腹が空くと、示し合わせて食堂車に行き車窓からの見る田園風景に心が癒され、オムライスを食べた。真っ白のテーブルクロスが掛けられたテーブルの上には、ナイフとフォークが置かれていたが、生まれてこのかた箸しか持った事がないので、物珍しいナイフとフォークを眺めて三人で笑った。

6時を過ぎるとアナウンスがあり、係員がやって来て寝台を作り始めた。
座席を立てたり、仕舞ったりすると三段のベッドに早変わりした。三人で(;-_-)v o(^-^ ) ジャンケン!! をして場所を決めた。天井が目の前に下りて来て、寝返りを打つと転げ落ちそうな狭いベッドの幅であったが幸せを感じた。

寝台特急富士は宮崎・大分を経由する日豊本線。はやぶさは熊本を経由する鹿児島本線を走っていた。ともに始発・終着駅は西鹿児島駅だったと記憶している。

上京して受験までしたが東京の学校に行くことはなく、遊び慣れた薩摩での四年間を選んだ。卒業後も薩摩に残り、薩摩での生活を夢みたが、図らずも東京の会社に採用され上京した。それからと云うものは社会人となり、帰省するたびに寝台特急富士を利用した。薄給の社会人であるために、憧れのA寝台に乗ることはなかったが、狭いB寝台で楽しんだ・・・しかし、三人掛けの座席の真ん中に当たったりすると落ち着かず困った。

後年、ナイフとフォークの使い方も覚えて、悠然と両手に構え食堂車で食べたエビフライは美味しかった。今もって忘れられない味として覚えている。その後、ブルートレインに乗る機会は少なくなったが懐かしい思い出として蘇ってくる。

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N響アワー・・・上原彩子

久し振りにN響アワーを観た。
ロシア生まれの作曲家でピアノの名手セルゲイ・プロコフィエフ ピアノ協奏曲3番ハ長調作品26が聴こえてきた。ピアノは、20代にして日本を代表するピアニストと評判の上原彩子。
プロコフィエフのピアノは激しい旋律で迫力があり響きます。
上原彩子さんは妊娠中であったとのことでしたがダイナミックな演奏に圧倒されました。最高の胎教ですね。

youtubeで上原彩子さんのピアノ協奏曲3番を探しましたがありませんでした。
しかし、20世紀を代表するピアニスト  マルタ・アルゲリッチがありました。
世界に誇るマルタ・アルゲリッチのピアノと上原彩子さんとは比べようもありません。
まだまだ足元にも及ばないのであります。

プロコフィエフ ピアノ協奏曲3番ハ長調作品26 マルタ・アルゲリッチ
第1楽章 第2楽章 第3楽章はyoutubeは非公開で削除されたようです。

youtubeで第3楽章だけでもお聞きください。

第3楽章

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牛とろフレークを食べた♪

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以前、テレビ番組「行列のできる法律相談所」で美味しい食べ物として牛とろ屋の「牛とろフレーク」の紹介があって出演している全員が食し、これは美味い!最高に美味い!などと口々に賞賛して、有名シェフまでもが、絶品!との声をあげた。番組内であるが、こともあろうか各自が個人的に欲しい・・・と、私は二つ、私は三つ、五つなどと注文をしていた。
まるで、通信販売のようなノリの良さで私を釘付けにした。
すぐに検索して「牛とろ屋」のURLをお気に入りに入れた。
先ずは、物は試しと注文しようとするが、なんとなんと(⌒▽⌒;) オッドロキー
3ヶ月先まで予約がいっぱいで注文する事が出来なかった。気になるので、一週間ほどこまめにチェックをしていたが、相変わらず予約いっぱいで注文する事は出来なかった。
そして、私は諦めた。

それから二ヶ月ほど経って、お気に入りを整理していたら忘れていた「牛とろ屋」が出てきた。何気なしにクリックすると偶然にも注文ボタンが表示されていた。
さっそく、注文した。配達の月が3月にはいる事を了承した。予定は未定の二ヶ月先の話。次に日に「牛とろ屋」を覗くと注文ボタンは非表示になっていた。ラッキーだったのでしょうか。
3月に入り、忘れた頃にメールが飛び込み配達完了のお知らせが届いた。
どうしても、食べたい!との熱意は少々醒めていたが期待する味に胸を膨らませた。

やって来ました。牛とろフレーク!
説明書では・・・。
牛とろフレークは、溶かしたら絶対ダメ!すぐに冷凍庫に直行!
アツアツご飯にふりかけるまでは冷凍庫から出さないで!

商品は、ハーゲンダッツのアイスクリームの容器みたいです。すぐに冷凍庫に直行。
キラキラ光る米どころ頚城産コシヒカリが出番を待っています。

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準備は整いました。
説明書どおりに熱々のご飯の上に、冷凍庫から取り出した牛とろフレークをたっぷり乗せて薬味をふりかけ、牛とろフレークが融けるのを待ちます。
「まてっ!」と云われた名犬ラッシーの心境が良く分かります。家族揃って、牛とろフレークが盛られた茶碗を凝視しています。
落語に出てくる梅干しを凝視してご飯を食べる話・・・同じ気持ちです。

ようやく牛とろフレークが融けて、食べごろになったようです。
合掌。いただきます♪
箸で掬いあげて、お口の中に入れてモグモグと・・・アレッ!!!
美味しくない!その上、熱々のご飯にガチンガチンに凍った牛とろフレークを乗せたのでご飯が冷たくなっている。まるで冷やご飯です。
定食屋で食べる鉄火丼の味です。それもご飯が冷たくてボロボロになった上に乗せられたマグロの切り身、それと全くおなじ味です。
ガッカリです。
家族5人、黙々と食べてはいたが、(*^¬^*)ウマイ!モウイッパイの声を聞く事もなく冷凍庫にお帰りになりました。
みんなの意見は、冷めた鉄火丼。似て非なるものであるが味は一緒のこと。
これも、メディアに踊らされ、通販の落とし穴に掛かった一般消費者だったようです
。美味しく食べてリピーターになった人にお会いしたい心境です。
我が家の冷凍庫にお帰りになった「牛とろフレーク」は、永久凍牛として保管されることになりました。

牛とろフレークの上手い宣伝手法。
昔から販促のバイブルと云われたランチェスターの法則。
例題として必ず挙げられる会社があります。次の日記で書きます。

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NHK「小さな旅」・・・中ノ俣編

NHK「小さな旅」は好きな番組です。
毎週、必ず観ると云う訳ではないです。ただ小さな旅のメロディが聞こえて来ると、なんと優しいメロディだと癒されてしまいます。自然で素朴な情景を、のどかな旅としてカメラは追いかけていきます。そこで生まれ土着として自然の中に溶け込み営んで暮らしている方々の朴訥とした会話が堪らなく大らかで素敵です。

「小さな旅」は偶然にも知っている場所が映し出されて正座してしまいました。

小さな旅「冬ごもり ことこと~新潟県中ノ俣~」 雪深い新潟県上越市の山里。

雪深い新潟県上越市の山里。冬の厳しい寒さを暖めてくれるのは、お年寄りの夫婦が長年作ってきた炭。夫が汗を流し作った炭を妻が背負い家々へ分け歩く。冬の間、地元を離れている人の家を回って火をたき続ける人もいる。家の柱を乾かし、春に帰る人々を待つ。冬はお互いのきずなを確かめ、春に向けて力を蓄える、手当てのとき。古くから“ことこと”と表現されてきた。“ことこと”と流れる穏やかな山里の時間を訪ねる旅。

中ノ俣と云えば、市街地から高低差のある大小四つの峠を越えて行きます。山の中に造られた道路は林に囲まれ、森の中を自在に走ったり、そそり立つ絶壁を視界に入れながら走るヶ所もありますが、灯りのない夜は危険度が増します。時代とともに稼ぎ手が街中に行き始め、過疎が進み限界集落と云われそうな山奥にあります。
そんな限界集落の烙印が押される前に立ち上がった里山再生環境プロジェクト。
廃校になった鉄筋コンクリートのりっぱな小学校の校舎が、そのまま環境学校として生まれ変わりました。
近在の小学校の生徒さんに自然を味わってもらいたい、自然の遊びを体験してもらいたい、自然の動植物に触れて「生きる」体験をしてもらいたい。
毎年、2泊3日の体験学習で何千人もの生徒さんが自然と接しています。
そんな豊かな自然が売り物の中ノ俣が「小さな旅」で紹介されたのです。
知っている場所が、「小さな旅」に取り上げられるのは、実に嬉しく感慨深いものがあります。

放送日から4日後、私は仕事で中ノ俣にある環境学校に出向きました。
環境学校の広いグラウンドにauの鉄塔が出来ることで、中ノ俣集落もau受信の設定に変更する。その変更に関わることで呼ばれました。

「小さな旅」の放送があった次の日から、大変な情況が・・・。
冬場には誰一人訪れることもない、炭焼き場には降って沸いたように県外の車が3~40台道路を占領して押すな押すなの大盛況♪だったようです。
売りたいけど、売れるほどの在庫がなくて、嬉しい悲鳴が集落に響いたようです。
環境学校にも、ひっきりなしに電話が掛かってきて、咽喉がカラカラになったと、大笑いをしていました。

これで、炭焼きでも有名になると嬉しいですね
この中ノ俣は、以前の日記「マリファナ(大麻)」事件があった場所です。

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中国障害者芸術団「千手観音」

「千手観音」  オンバサラタラマキリク

中国製の食料品は拒否しますが、それでも良いも悪いも世界に誇るmade in china
4000年の歴史は、だてではないですね。なにしろ列強としての三国志の時代、日本は弥生時代です。世界に誇る中国障害者芸術団の芸術。宗教を規制している中国においても千手観音は外せないようです。そして障害を抱えての踊りは何と素晴らしいのでしょう。圧倒され息を飲み感動した。

千手観音と云えば・・・菩薩として、如来になるための修行をされています。
人間社会において苦悩を抱えた悲しみの数々を一縷の望みを託し、投げた球がどんな悪送球であっても受け止めて、たちどころに解決の糸口を授けてくれると云う。
まさに、どんな願い事も聞き届けてくれる神様が千手観音菩薩です。

サンスクリット語「オンバサラタラマキリク」三唱。

一糸乱れぬ華麗な踊りに、まさしく後光が射している。

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