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クマの昼寝

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東京出張は殆ど新幹線を利用する。
何年か前までは、不規則な時間に対応する便利さで車を利用していたが、JR東日本が新幹線車両の座席前の網ポケットに提供している、『トランヴェール』が読みたいのと、自由にお持ち帰りできるのが嬉しくて、せっせと新幹線を利用している。
何冊かまとめて持って帰り、ネットオークションでも売ろうかと、真剣に考えたこともあったが、悪魔の囁きに乗ることもなく今日に至っている。
いつもは、自由席を根城にしようと長蛇の列も厭わずに、脱兎のごとく座席を確保しようとした。それもトランヴェールが読みたい一心での行動であった。
最近は、若気がなくなり、寄る年波に飲み込まれ指定席を安住の地として胡坐をかいている。まさしく軍門にへりくだった成り下がり者です。

5月のトランヴェールは、「会津若松と五つの古道をめぐる物語」が特集として組まれていました。誌面は誰にでも分かり易く、丁寧に作られていて旅行専門の雑誌でも、これほど詳細には書かれていないような気がします。
会津若松と云えば、喜多方ラーメンと白虎隊しか思い出すことが出来ないが、飯坂温泉にあるホテルの若旦那(当時)とは同級生で、何回か泊まりに行ったときは、まかり間違っても会津若松に行った時に、鹿児島出身であることは決して口外するなと念を押された。維新の仇を取られそう・・・。
喜多方ラーメンを食べに行ったときも、やっぱり鹿児島の豚骨ラーメンの方が美味しいですよ、とは云えなかった。

話を元に戻そう・・・。

先ずは巻頭エッセイを読み始めます。
今月は、車窓に揺れる記憶と題して、伊集院 静「クマの昼寝」が書かれている。
若い時に、「夏の思い出」「雪の降る街を」などを作曲された尊敬する中田喜直さんとの創作で陽射しの歌を書き、森の中の木漏れ日が書きたいテーマだったと書かれている。ブナやケヤキの森の中で昼寝をしている自分を想像するが、森はクマの棲家で、彼らの森なんだと気がつく。せっせと子育てする母グマの邪魔をしては行けないと思い、森での昼寝はあきらめた。とある。

同じ夢を持っている人がいたのか安堵した。
森に入り、ハンモックでも吊って昼寝をしたいが夢であった。

市が環境に目覚め、里山の環境整備に力を注いでいる地区がある。
絶滅したトキが、中国の協力もあって地道な努力が実を結び放鳥するまでになった。そのトキが全盛のころ空いちめんに茜色した羽根を大空に染めいたのが、桑取地区だと聞いた。その桑取地区には上越の奥座敷として、ゆったり村がある。天然温泉の掛け流し、何よりも料理が美味しいと云われる。
野鳥の声を聞きながら温泉に入り、舌鼓を打つのも酔狂です。

ゆったり村から奥へと進むと、許可されたものだけが行ける細い山道が続いている。
環境に配慮した市民の森として管理されている森の入口です。
市民の森は、市から委託を受けたNPOの若い人たちが、朝早くそして、夜遅くまで企画立案と安全を管理している。

中腹ほどに、管理棟が見えます。電気がなく太陽光の自家発電装置が命綱です。
雨が降り続けると、心なしか自家発電した灯りが、ぼんやりとして周りに陽炎が出来る。
人間が作った管理等であるが、管理棟のすぐ脇の道は、紛れもなくクマの通り道です。クマは庭であり通り道であることを明確にする為に、証拠となる大量の土産を置いて去っていく。
クマの所有地であることを自覚させられる証拠の品です。
夏の間は、森の散策に訪れるたくさんの方に、実を拾ったり、かってに草木に手を伸ばさない欲しい等の注意事項を説明してクマの生息に配慮している。
クマを避けて、追いやるのではなくて共存できれば良いのになぁ~が本音であるが、
共存を願うとは云え、危険と隣り合わせの賭けでもあります。

市民の森で切り株を枕に昼寝してみたいが・・・クマのご馳走になりそうで
管理等での用事をすませると、早々と家路を急いでしまう。
私にとって、クマとの共存は夢物語に終りそうです。

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雨の摩天楼は嫌い・・・

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私にとってはジャックと豆の木を彷彿させる摩天楼。

降りしきる雨の中をトボトボと東京出張の始まりです。
改札口を出ると、コンコースの出口では、ひと塊の集団があちらこちらに出来ています。傘を差さないで行こうか、どうしようかと悩んでいるみなさんの頭には噴出しが現れて、傘を買おうか、いや止めようかと文字が踊っています。

酸性雨によって、生茂った森の緑もか細くなり、枯れ木に向って驀進中の私は、これ以上のリスクは負えません。素早く500円の透明の傘をゲットします。
透明の傘を見る度に、東京ドームの前身であった、天然芝の後楽園球場を思い出します。野球界の至宝と云われたミスタープロ野球こと長嶋茂雄の引退セレモニーがあった場所です。その後楽園球場では、雨が降ると売店には直径50センチほどの透明な傘が売られていた。まさに一人用の傘です。
雨の後楽園に行ったことがあり、100円をだして、いつもこの傘を買っていた。
雨の中での野球を観戦するには、ベストアイデアで発明賞をあげたいほどの傑作な傘でした。

雨と云えば、新宿に鈴源なる傘屋があった。
にわか雨が降るたびに、一日何十万人・何百万人に通行を誇る新宿地下街にワゴンに積み込んだ傘を販売していた。
その当時から、鈴源の傘はひと雨100万円と云われると噂が流れてきた。
新宿駅ビルに入店していた鈴源は傘1本で勝負して、月の売上が3000万円を越す売上表を見せられたときは、ひと雨100万円を納得した。
透明な傘が主流となった今では、ひと雨100万円は懐かしむ過去の栄光として語り継がれていくのであろう。

仕事を終えると、出張のたびにお世話になる社会人時代の友人宅に身を寄せる。
友人と酒を酌み交わし、昔話に花が咲く。
辛く、厳しい過去でも笑い話として部屋中を笑い声が響き渡る。

しかし・・・。
友人宅に行くには、いつも勇気と覚悟がいる。
絶景な眺望が自慢の彼の部屋は32階の高さにある。ベランダに出て下界を望むことは決してしない。下を見ると、おいでおいでと手招きされているように思えて、足が竦む。
地震があったらどうしようと、未知への恐怖が脳裏をかすめ、眠れぬ夜を過ごすことになる。
その為にも、必死になって酒を飲み前後不覚になることを願うんです。

雨の日は、下界がかすんで見える高層マンションで格安で提供されても遠慮する。
せいぜい6階ほどの高さが似合っています。
死へと急ぐことはしたくない。それでなくてもゴールの灯りが時たま見えます。

3度目のヨーロッパ出張の時に、アラスカ上空で機体が揺れ、余りの恐怖にここで下ろしてくださいと叫び、笑われた経験を持っています。

無事に、この地に帰還した。
おやすみなさい。

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出生届け

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今日、あるニュースを探すためにローカル紙を隅から隅まで探していたら
面白い記事に出会いました。

22日~25日出生届。

① 未波     みなみ
② 尚人    なおと
③ 珠花     しゅか
④ 悠斗     はると
⑤ 蓮夏     れんな
⑥ 紗耶     さや
⑦ 愛叶     あいか
⑧ 煌希     こうき
⑨ 悠陽     ゆうひ
⑩ 心結     みゆ
⑪ 奏空     そうすけ
⑫ 凛桜     りお
⑬ 陸斗     りくと
⑭ 拓睦     たくむ
⑮ 翔和     とわ

可愛い赤ちゃんに付けた名前です。当用漢字として何人まで正しく読めるでしょうか
最近は漢字ブームで、難しい漢字ほど人気が高いようにも感じますが・・・。
単語登録でもしない限り、変換では一発で表示されないでしょうね

はたして、将来的に子どもが喜ぶ名前なのか、不思議な感じです。
ずいぶん前に、惡魔で出生届をした馬鹿な親もいましたが。

男が産まれました。3200グラムの元気な赤ちゃんです。
出生届は1ヶ月ほど余裕があるだろうと高を食っていたのです。
実家から、姓名判断の大家から良い名前を戴いたと云って、五つほどの名前を書いた手紙が届いた。覚えているだけで
「輝年」「寿之」「公寿」あとは思い出せない。
そんなに拘っていなかったのと、仕事が立て込んだせいもあって後回しにしていた。寿之が良いかなと思っているうちに二週間が優に過ぎ去った。

そろそろ区役所に行かなくてはと思っている矢先に田舎から電話が入ったのです。
出生届を出した?
まだ、出してないけどと云うと、良かった・・・。
姓名判断を得意とする霊能者から、これに決めなさい!と云われたと云ってきた。
『和範』
次の日に、慌てて区役所に届けに行った。
すでに、生まれて1ヶ月が経とうとしていた。

区役所では、えらい剣幕で捲くし立てられ、
出生届は二週間以内と決まっていると・・・ペナルティの罰金がつきますよと笑いながら怒られた(笑)
二週間以内を守っていたら『和範』の名前は付けることが出来なかった。

名前は不思議なもので、和範と決まるとすぐに、知り合いの四柱推命を勉強している友人から、和範に関する将来の指針が送られて来た。これが運命なのであろうか・・・。
和範はたいしたことがなくても、和範の子どもに偉い人がでるようです
はははは、それは私の孫となるんですね。
私は、偉い人を輩出するためのDNAを継承する中継ぎ人のような感じです。

本人曰く、結婚の意志はまったくないそうです
一生結婚しなくても良いとさえ云い切ります。
ま、これもまた、四柱推命に現れない運命でしょうね。

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猫の寿命

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世界最高齢の犬としてギネスブックに登録されている「シャネル」が6日、21歳の誕生日を迎え、自身の記録を更新した。人間の年齢で144歳らしい。

ニューヨークに住むダックスフントの「シャネル」は、オレンジ色のセーターと赤いゴーグルを身につけ、飼い主のデニース・ショフネシーさんが賞を受け取るのを見守った。
ギネスの広報担当者によると、審査員が獣医師の証明書や写真など確認し、記録の更新が認められたという。
「シャネル」は、生後6週の時に保護施設から引き取られた犬で、ショフネシーさんは「人間のように大切に世話をしている」と話している。

我が家の姫は16歳です。
猫は何歳でギネスブックなのでしょうか
先日、突然に背筋が伸びたまま硬直して痙攣を起しました。
突然死が襲ったのかと・・・
なす術がなく、途方に暮れていたのですが、長く続いた痙攣も少し治まると、
小さな声で鳴きながら、ある一点を凝視して長いこと同じ姿勢で起きてました。
霊か、なにかが見えていたのでしょうか

よろけた足取りで、いつもの場所に行って水を飲んでいました。
水を飲んだことで少し安心はしたのですが・・・老衰も考えられます。

3年ほど前に病院での検診で老齢の上に腎臓が悪いので、もって1年
半年の命だと云われたことがあります。すでに3年を経過しています。
医者の推測する寿命のご託宣は当てにならないようです。、

何歳まで生きられるのか
心配は尽きません。

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オヤットサー

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おまんさ~!と響きわたった。

一瞬、タイムスリップして30数年前の薩摩にいるかと思った。

年端も行かない私は、15歳にして尊敬する西郷隆盛の地に流浪したが
薩摩の事はさっぱり分かりません。異国の地に行くようなものです。

関が原の戦いで西軍に付いたが、開始と同時に負け戦を悟り、敵中横断を敢行する。背走に次ぐ背走で、甚大な被害を出したが、戦いをしないまま傷だらけの兵士となって薩摩に戻った。
戦況を見て、負け戦をしないのも葉隠(鍋島藩であるが・・・)の精神であろうか。

西軍についたものの、戦いをしなかったことが功を奏したのか外様90万石の大大名です。薩摩隼人の名に相応しい身分です。
お目こぼしを戴きながら、それでも徳川の江戸幕府が嫌いで嫌いで・・・。
江戸からやって来る隠密を探索しやすく、見つけだす為にエイッとばかり、言葉を作っちゃいました。
これが、薩摩(鹿児島)弁の始まりとされる。

15歳の私は市内にいる親戚の家を住所として寄宿舎に預けられた。
向学心に燃えた連中ばかりではなかったが、歩いて通うことの出来ない市外や県外から方言まるだしの坊主頭が40人も集まった。
目を(<●><●> ;)(; <●><●>)ギョロ付かせた40人は40畳ほどの大広間に集められ、先輩の寄宿舎に於ける規則や先輩・後輩を意識する縦社会の説教が始まった。

「おはんらは、今日からこの日置荘(別称へぎそう)の寮生と云うことをわするんな!」と云ったらしい。
・・・云ったらしいと云うのも、後日、鹿児島県川内市から来ていた同級生から聞いた。
この時、はじめて「おはん」と云うフレーズを耳にしたが、「おはん」は西郷隆盛に関する本やら雑誌に良く書いてあったので意味はおぼろげに分かっていた。

先輩の説教は、殆どいや九割九分理解できなかった。
本や雑誌にはルビが振ってあり、話の流れを理解することは容易だったが、生の発言として早口で捲くし立てられる薩摩の言葉に脳は理解することを拒否していた。

それからと云うものは、同じ日本人でありながら日常会話が出来ないストレスに悩まされた。もう頭はパニックで、鬼畜米英語であるが、如何に英語の授業が易しく思えた。授業以外の大学ノート1冊は薩摩の言葉を理解することに費やされた。
同級生は100mのスタートラインに立っているのに、私は150メートル位置に立っていた。そんな感じだった。すべてに負けて当然のスタートだった。

いつしか、夢にまで薩摩弁が出始めると、薩摩弁専用の大学ノートは燃えるゴミとして処分され、似非ではあるが薩摩隼人として世間に紛れ込んだ。

おはんは、名前を呼ばずに相手の事を指すが、おまんさ~となると丁寧語となる。・・・が、いくら丁寧語でも目上の方には失礼となる。あくまでも同輩であり、後輩及び目下に向けた丁寧語である。

ひびき渡った、おまんさ~のフレーズに薩摩での生活を思い出した私だった。
薩摩では、おはんの丁寧語としておまんさ~があったが、この地では相手を指すのに”おまん”と云うのが一般的のようです。
そう云えば、良く云われるな、おまんは・・・・て、
おまんとおはんは、似て非なるようにも感じるが、おまんさ~で同義語となるようです。
そんな事を思っていた。

薩摩の言葉で一番好きな言葉は『オヤットサー』です。
これは、日常茶飯事でどんな時でも、このオヤットサーで意志が通じた。
朝の挨拶も、「オヤットサー イケンヤッタナ」と軽口を叩く
帰りしなにも、「マッゴッチ オヤットサー」と親しみを込めてさよならをした。

「オヤットサー イケンヤッタナ」 おつかれさん 昨日はどんな具合でしたか?
「マッゴッチ オヤットサー」 今日は大変でしたね おつかれさまです!
となる。

因みに・・・
家を守るお母さんのことを「ガマサン」と呼んでいる。
ガマガエルは昼間は池にいて静かにしているが、夜ともなると池から這い出してきて
家を背にして鳴く。家に向って決して鳴かないことから、家を守ると云う意味で
お母さんのことを、親しみを込めてガマサンと呼ぶんです。
私は、昨年母が亡くなるまで、母の事を、ばあちゃんと呼んだことは一度もない。
いつもガマサンと呼んでいた。

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クマケムシの死の横断

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今年も死の行軍はやって来た。

子孫繁栄の願いがどこまで通じるのか・・・。
草木が新芽によって生まれ変わる、この時期にクマケムシは生きるための試練が待ち受けている。クマケムシは勇気を得るための行動なのか、ひんやりとした草木を離れ、より良い環境を求めて道路を横断する。
どのぐらいの確率で渡り終えることが出来るのでしょうか
本能の成せる業なのか、ワザワザ死に向う過激な行動は、成虫しても同じ行動をするそうだ。

クマケムシ(和名:ヒトリガ)蛾となり夜の蝶として華々しく夜空を舞う。
しかし、普遍的に他の蛾や昆虫と同じく、夜の光を求めて突き進む。まるで戦時中の特攻隊であり、イスラム原理主義の自爆テロ、最終的には自ら火に飛び込み焼け死ぬ運命にあるようだ。みすみす敵の餌食になる行為を指す「飛んで火に入る夏の虫」ということわざも、蛾の習性から生まれたようです。

若い時に、麻雀に凝っていた時には、腕が上がったんだって・・・、と甘い言葉に誘われて先輩に呼ばれた。まさしく「飛んで火にいる夏の虫」先輩のほくそ笑む顔を忘れられない。
給料が吹っ飛んだ。

クマケムシの横断中は、注意深く前方を見つめて轢かないように車を進めるが、お構いなしに通行する車に轢かれて轢死するクマケムシは数知れず、画像のクマケムシも撮影後の30秒後に即死してしまいました。合掌。

輪廻転生を信じる私には、こんな話もあります。
輪廻転生として、来世に戻ってくるまでには、幾多の試練があり、先ずは下等生物から生きるためのスタートします。来世を迎えるために、先ずはクマケムシの幼虫となって生まれ変わり、クマケムシとしてスタートします。蛾として成虫するとそれだけ、来世への時間が遅くなります。クマケムシの段階で轢死となって死を迎えれば、来世が一歩も二歩も近づくことになるそうです。
輪廻の早道もクマケムシとして、早めの卒業が大事なようです。
それを考えると、クマケムシの死の行軍も、轢死万歳!となるのかな

それにしても、横断するクマケムシのスピードは速いですよ
体全体が足なのか、イチ・二・イチ・二と掛け声をあげながら進んでいるようです。

しかし、世界を見渡せば、このクマケムシも、イギリスでは2007年8月以降、保護対象とすべき動物リストにその名が含まれている。絶滅が危惧される大事な虫なんですね。

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子ども図書館のはなし。

その方は物心がついた時から出版社をやりたい、と思っていたと話された。
図書館にある書籍は管理しやすいように背表紙をお客さんに見せて、ジャンル別に置かれている。沢山の本や雑誌を管理するには都合が良いが背表紙に付いたタイトルだけで、どれほど中見がわかるのであろうかと。
子ども図書館をイトーヨーカ堂の中に併設する時は、このことを一番悩んだと云われる。
絵本は表紙が顔で、背表紙を見せる普通の図書館にしては絶対にダメだ!と力説された。
それで、絵本架なる絵本専用の書架を作って、絵本の表紙が見えるように作ったと熱く語りかけた。

そうそう、私も絵本は可愛い表紙の絵がすべてだと思っています。

それにしても、イトーヨーカ堂の店内に子ども図書館とは奉仕の精神がないと出来ない発想です。それが30年も続いているなんて素晴らしいです。イトーヨーカ堂の社風と子ども図書館を夢として目指された童話屋の田中社長の夢は叶ったのです。

小さい頃に童話を読んだ記憶はないし、欠片すら覚えていない。
小学生になるとすぐに付録がどっさりと付いた小学1年生の雑誌を読んだ。いつも付録には豆本が付いてきた。手の平に乗るほどの小さな本にマンガが描かれていた。大切にしてブリキの箱に入れて保管していたが、我が家を襲った貰い火の火事で焼けてしまった。

病弱だった私は活字を拾い、雑誌を読むことが唯一の楽しみで、大人しく部屋の片隅に背をもたれて静かに本を読んでいたらしい。
そんな時に、母方の兄弟が東京帰りだと云って、子ども版「曾我兄弟」の本を戴いた。
曾我十郎・五郎の若干15歳にして親の仇討ちをする話です。
これが童話だったのか、それとも日本史の本だったのか覚えていない。

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建久4年5月28日(1193年6月28日)源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。

涙を流しながら、夢中になって読んでいたと父が笑いながら云っていたのを覚えています。
仇討ちに涙を流すなんて、小さい頃にして右翼の思想が芽生えていたのでしょうか(笑)
曾我兄弟の映画を見ては号泣して、助けに行かなくては・・・と周りを困らせたようです。
五郎斬首の指示をした頼朝嫌いは根強く残り、憧れの義経を殺した事で終生の敵となった(笑)

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学校から戻り、家の用事を済ませると歩いて15分ほどの距離にある明治屋書店に顔を出し立ち読みに精をだしていた。この時は、まだ小学校に図書館がなかった。
家が全焼して引っ越すことになり、小学校を転校した。
今度の小学校には図書館があり、授業が終わると図書館に入り浸り、いつの間にか自動的に図書部員として登録されていた。
小学校の図書館で最初に読んだのは「西郷隆盛」だった。憧れに憧れた。
この時から西郷隆盛は終生のアイドルとなった(笑)

童話を読むこともなく、曾我兄弟から入ってしまったのは、人生の誤りだったように思われる。図書館で夢中になって読んだ「トムソーヤの冒険」を、曾我兄弟の前に読んでいたら人生は変わって行ったんだろうな・・・。
復讐に燃える話より、未知への冒険心が役立ったかも知れない。

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熱々の五目あんかけごはん

賑わう表通りから、石畳のある神社を半周ぐるりと廻ると、一車線ほどの狭い裏通りが坂道になって海岸線に続いている。人通りの少ない、その坂道の途中にある車二台ほどのスペースに何の変哲もない入口が手招きをしている。、
小さな立て板の案内がありガラガラと戸を開けると帰宅を待ちわびて、お帰りなさい・・・と声が掛かりそうな雰囲気がある。
しかし、入口には二台ほどが駐車でき、看板もあるが車が止まっていると看板すら目に入らない。
この店は中華料理店です。

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12時を少し回ったランチの時間です。
中に入ると、和風料理の様式を醸しだしている座席は満席で、店内を切り盛りしている女性の方が1人で目配りしながら、せわしく動かれている。
座席はゆったりとした四人掛けで、古民家から持ってきた廃材利用なのか、しっかりとした柱が目に付く。
メニューを見ると、紛れもなくれっきとした中華料理店です。

初めての中華料理店に行くと、チャーハンか五目ごはん(中華丼)を食べるようにしている。
美味しくて相性が良いのか悪いのかと、味の良し悪しが決めやすい。
市役所の近くに中華料理「桂林」がある。行きつけの店でマスターとは顔馴染みです。焼肉もメニューにあるが、桂林の料理は美味しいと評判で★★★があげられる。
桂林以外で食べるチャーハンも五目ごはんも桂林の味を基準にしています。
桂林より美味しいか、不味いか、で判断します。

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五目あんかけごはん(880円)を頼みました。
満席だったので、待つことしばし・・・底の浅い鉄鍋がやって来ました。
鉄鍋はグラグラと湯気を立てて沸騰しています。
巨大なスプーンで掻き混ぜ、取り皿に盛って食べるようです。
まるで、石焼きビビンバをようですね、間違えたのかと思ってしまいました。
取り皿に盛ってレンゲですくいひと口運びました
ウウウウウウウウ・・・・・
掛かっているあんかけスープは鶏がらがベースのような感じがします。
これが、味がしっかりと乗っています。★★★の美味しさです。
鉄鍋にへばりついたコゲがまた美味しさを増幅させています。
桂林の中華丼(五目ごはん)と甲乙付け難い絶妙な味です。
食後に杏仁豆腐を戴いて、ごちそうさまでした。

妙高方面に向うラーメン屋は、2日で100キロほどのモヤシを使い、186個入りの卵を2日で3箱使います。大変な人気のラーメン屋のようです。しかし、大量に使うモヤシを使ったモヤシラーメンが有名とは聞いた事がない。
たまに仕事で呼ばれるので裏口からお邪魔して厨房に足を入れることになります。
それが、また雑飯の山で決してきれいとは云い難い食欲の失せる厨房です。
一度、ラーメンでも食べて行くかい!と、声を掛けられたのですが、遠慮したことがあります。
折角の人気のラーメン屋なのに、厨房が汚れていると気になります。
厨房がきれいになったら食べてみようかなと思ってはいます。

美味しく食べた、五目あんかけごはんのこの店に、友人が食材を卸しています。
彼曰く、厨房が狭いのか、ダンボールのひと箱に野菜も何もかもがゴチャゴチャにして、乱雑に突っ込んであるようです。整理整頓する暇がないのか。

厨房が汚いと・・・難しい判断に責められている私ですが
また、食べたくなるそんな味なんです。

聞かなかったことにして、また食べに来よっと!

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蛇は守り神?

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不動滝の祠にいた子どもの蛇ではないかと思った。
冬眠中の断食で痩せ細ったのか、それとも今年生まれた大柄の蛇だったのか
体長が1メートルを越す青大将でした。
池の水を飲みにきたのでしょうか、池のほうに進んできたので、もしかして、鎌首を持ち上げて水面を泳ぐ様子が撮れるかも知れないと、カメラ片手に待ち構えていたのですが、泳ぐ姿は見せてくれませんでした。

青大将の事を田舎では、カラス蛇と云っていました。
カラスを捕まえていたので、その名前が付いたのかどうかは謎のままです。
秋になると、カラス蛇は葉っぱの落ちた柿の木の枝にいるのをよく見ました。

小さい頃に母の親戚の家に行くと、天井の梁にカラス蛇が横たわっているのを見ました。箒か唐竹の細いのを持って来て、追い払おうとすると家人が、急いで飛んできてダメダメ家の守り神なんだから、そのままにしておくんだと云われた。
カラス蛇はカラスを退治するのではなくて、家に入り込むネズミを退治してくれると云っていましたが、それにしても、天井の梁に蛇がいる下で寝るのは勇気がいりました。
吸盤のようにへばりついている蛇も夢の世界に入り、寝違えて落ちてきたらどうしようと、そんな事を考えているとまんじりともせず、梁を見つめていたことを思い出します。
そんなカラス蛇を、捕まえては尻尾を握り、蛇風車のように振り回し、遊んでいた仲間に投げつけるなんて事も良くありました。春になると田んぼ一面にレンゲソウが咲き乱れると、カラス蛇もレンゲソウに群がる蜜蜂や虫を狙うのでしょうか、レンゲソウが咲き乱れる田んぼの中をウロチョロしているのを見かけます。後ろからスッと忍び寄り、カラス蛇の尻尾を捕まていたんです。

蛇を振り回す私を見ていた祖母は、悲しい顔をして話し始めました。
「ぎょんさま(祇園神社)はお参りに行くだろう?」
「ぎょんさまは大好きだよ、良くお参りに行くよ・・・」
「ぎょんさまは、蛇の神様なんだよ」
「蛇を投げつけて、殺すのは罰が当たるよ!」と云ったんです。

祇園神社は海の洞穴に出来た神社で、港町なので大漁と安全を祈願する人気の神社でした。その神社が蛇の神様なんて・・・知らなかった。
罰が当たるかも知れないと思うと、怖くなって蛇に謝っていました。
それ以後、蛇を捕まえることが出来なくなりましたが、子どもの遊びは無邪気なのでしょうが残虐で残酷ですね。

今もって、その時の蛇殺しの罪を被っているのでしょうか。
絶大なる効き目があると云われる白蛇の脱け殻を1匹まるごと持っていますが、効き目がありません。もう何年も何年も・・・貧乏は加速して大貧乏に拍車が掛かっています。

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代掻きの風景

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妙高の跳ね馬が太りすぎて山の斜面からはみ出したころ。
大きく区画に整理された田んぼには水が入り、代掻きの機械が入る。
待ちかねていたようにカラスも、代掻きの後を付いていきます。
土中にいた虫が水に浮いてくるのを待っているのですね。
これも、カラスにとっては決められた行事なのでしょうか。

代掻きが終わると、すぐにコシヒカリの田植えが始まります。
ひと昔は、家族総出で行っていた田植えも、いまでは1人ですむようです。
この地域の水は妙高の雪解け水だと聞いた事があります。
やはり雪解けの清流が美味しいお米の源だったようです。
孤軍奮闘の奥様も日焼け防止の重装備で暑いでしょうね・・・おつかれさまです。

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母の日に想う

Haha

5月10日は母の日。

毎年、母の日が近づくと、母からの電話で欲しいものが伝えられた。
欲しいものの殆どが、詩集やエッセイ集だった。
母が好んで詩を覚え、ファンだったサトウハチローの詩集は全巻揃った。
その母も、昨年暮れに天国に旅立ち、母の日に贈ることが出来なくなったのは寂しい。

お墓参りが趣味だった母の影響で先祖霊に手を合わせるのは、ごく普通の日常だった。
中学に入ると、ある目的があって高校は薩摩の寺子屋を希望した。
成績の悪い私は難関だった薩摩の寺子屋に入るために先祖霊にすがる事にした。

晴れて合格出来ますように・・・合掌。

決めた、その日から仏壇にお花の水替えとご飯を上げる役目になった。
花は枯れそうになると、庭に出て花を切り入れ替えた。
飽き性の私が、中学の三年間、仏壇の花の水替えをやり通したのは見事と云うしかない。
そのおかげなのか、目標とする寺子屋に補欠で滑り込んだ。

神様や先祖霊に約束すると大変です。
その約束が習慣になっているものを断ち切る約束ほど効き目が大きいと云われる。
神様は願いは聞いてくれるが、即効性がないので辛抱しきれない。
ついに願いが叶わぬと思って、約束を反故にする事が何度も出てくる、その度に神様は根性のない奴だと苦虫を噛み潰しておいでのようです。
「神様は約束は守りますよ。しかし、それはあなた次第です」と云われる。
辛い修行が必要なのですね。

・・・約束。
母との約束がある。遺言と云って良いものだ。
約束に向けて、思いはあるのだが遅々として進んでいない。
神様にお願いはしてあるのですが

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釣り人の大移動・・・

NHK大河ドラマ「天地人」の舞台になった春日山城址からは、三方に広がるコシヒカリの生産地として名高い頚城平野を抱きかかえるように日本海が広がっている。
交通の要として発展した港が直江津港で、庶民に愛された天地人直江兼続の功績を持って付けられた地名が直江津である。
直江津港は貨物の物流を中心にした港としての顔と、佐渡汽船を中心にした北海道・九州に向う大型フェリーの発着港の顔を持つ。西の岸壁には大型のフェリーが停泊してるのを見かける。

西風は湾外を主戦場とする遊漁船にとって厄介な風と聞く。しかし湾内に吹く西風は小魚を誘導する風のようです。西風に乗った波は、ゆっくりと東の岸壁に打ち付けられ岸壁に白い波がくだけ波となり足あとを残している。
直江津港が9.11アメリカで起こったテロの影響で一般の人の入場が禁止された。
日曜日ともなると、朝早くから車が押し寄せ、岸壁に沿って整列駐車している光景があったが、いまは鉄柵で門が閉ざされ、カモメがのんびりと船を係留するビットの上に佇んでいる。
直江津港から釣り人の姿がなくなり、寂しくなった港湾風景も時の流れなのであろうか、港の周りに点在する釣具屋さんはひっそりとしている。

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直江津港から西にひた走ると、穏やかな岩礁の周りに、三方を防波堤に囲まれた有間川漁港フィッシャリーナが見える。遊漁船を中心にしたヨットハーバーです。
日曜日の朝ともなると、満月の夜に集まる沢蟹のように、長野県から車が押し寄せ湾内の駐車場はいっぱいになる。

直江津港を追い出された釣り人達は能生港や名立港を含め有間川漁港にも現れていました。
テントを持ち出して、コンロの用意をされている方もいます。
ディレクターチェアに座りながら、のんびりと釣り糸を垂れている方も見られます。
青々とした海を覘くと、7~8センチほどの小アジなのか小サバが群れをなして泳いでいます。釣り糸より、タモ(網)を入れて掬ったほうが大漁になりそうな、そんな感じです。
我が家の年老いた留守居役『姫』のおかずに小アジが欲しい・・・。

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魚の入れ食いは、お腹の減り具合ではなくて、月の満ち欠けで決まると云ったロケット工学の専門家がいた。趣味の釣りが高じて、全国の漁港とのネットワークで連れた魚の種類や数量と月齢に併せて詳細に分析してほぼ100%近くの確率で、どこで何が釣れるか当てることが出来るようです。
ロケット工学の理論を駆使しての結果とは、やはり生命の源は月なのかな。

ご託宣。
月齢24の朝6時12分30秒有間川漁港西側の岸壁でマグロが釣れるかも
ありえる話だったらどうしましょう・・・(ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ

釣り人は能生漁港で撮影

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おしゃれな人に出会った

食事をご馳走するからと・・・、ご馳走の言葉に気を良くした私は運転手役を買って出た。
近在に住むいとこがやって来て奥社参拝と高原散策の道案内となった。
八百年の時空を超えて林立する奥社の杉並木を歩いた。
運転手役も疲れます。
手打ち蕎麦に舌鼓を打って、ひと時のそば談義に花が咲き奥社講のお参りは終わった。
食事のご馳走は、ざる蕎麦800円で処理されたようです。

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コシアブラは、どこかにないかね~の一声に反応した私は、赤倉温泉にあるコシアブラの木を思い出した。チョット寄りましょうかね。
ハンドルを左に切ると赤倉の温泉街です。
スキー場として盛り上がる赤倉も雪のないスキー場は石や木々の障害物も取り除かれ山肌がきれいに緑に覆われている。その中を二車線ほどの幅員が右に左へとうねりながら山へ山へと続く。
スキー場としてはコンクリートの道路は緩やかな山岳コースとして初心者がボーゲンで下りて来る。春先になると、この山岳コースには、木々の芽吹きと同時に、タラノメそしてコシアブラなどの天麩羅に格好の食材が顔を出す。
喜んだ一行は、はしゃぐ子どものようにコシアブラに手を掛ける。

遠くには志賀や斑尾の山並みにナウマン象で有名な野尻湖が眺望出来る妙高山の中腹に赤倉観光ホテルはある。以前は、ホテル御三家のひとつである、ホテルオークラが経営をしていて、赤倉にお見えになるハイソサエティ御用達のホテルであった。
後輩にY君なるニラレバ定食の好きな男がいる。
彼の父君は知る人ぞ知る名うての料理人であった。帝国ホテルでの総料理長の座を巡る争いに負けてホテルオークラの口利きで、この赤倉観光ホテルの料理長をしていた時期があった。
近年、ホテルオークラは経営から手を引いているものの、いままでの歴史の重みが引き継がれ、お客様の信頼を得ていると聞いている。

下界は、薄いモヤに囲まれているが、ぼんやりと見える彼方の山並みは水彩画を見ているようでもある。
人気のケーキセット(1,000円)を注文した。

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ご夫婦に子どもさん2人の四人家族で窓に向ってお座りです。
ご主人は、私の位置から対面にあたり、お互いが良く見える位置に座っている。
恰幅の良い中年の紳士で、家族の会話に入らずに、時折り笑顔を見せて座を和ませていた。
お子様は、小学校1年生か2年生の男の子2人でフード付きの可愛いヨットパーカーを着込んでいます。良く似ているところを見ると、お孫さんで双子なのかも知れない・・・。

ご主人が立ち上がると、ご家族みなさんは帰る支度をされました。
その時に、お孫さんと思われた子どもさんが・・・お母さんと呼んだのです
お孫さんではなかったんだ

奥さんが立ち上がり、こちらを向かれ目があいました。
年のころなら65歳~68歳
しかし、奥様のファッションセンスをみて感激しました。

イラストは描けば描くほどにイメージが変化して難しくなりましたが・・・

幼稚園児が着ているような、大きなショールカラーの白い衿。
その上には
キャミワンピースか、ジャンパースカートか、エプロンドレスなのか
分からないが薄いグリーンのチェック柄。後ろは長めのスリットが入っている。
その下にはティヤードスカートでしょうか、三段か二段にギャザが入ったスカート
山の中で肌寒いので、上から全体を包み込むように杢グレーのカーディガンを羽織っています。
圧巻は、薄いグリーンのチェックに合わせるかのように、グリーンでリボンが付いていている底の浅い靴を履かれていた。

薄いグリーンのコーディネイトがひときわ輝きを増している。
写真を撮らせて貰おうと何度か思ったが勇気がなかった。

パリに行った時に、KENZOのショップで70歳過ぎの女性が全身KENZOブランドに身を包んだのをみた時は衝撃を受けたが、それと、同じほどの感動を得た。

ケーキセットは美味しかった。
ご馳走と目の保養を堪能した1日でもあった。

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塩ラーメンは豚骨の味

連休前に来て下さい。
術後の経過を見るために処方される薬を飲んでいる。いつまで続くのであろうか・・・。
このクリニックは名医の誉れが高く、人気のクリニックでいつも混んでいる。
仕事の合間を縫って、11時15分飛び込んだ。
珍しく駐車している車は1台だけでラッキー\(^^\)(/^^)/チャチャチャと云った感じ。
待合室に入ると、すぐに呼ばれて前回に採血した結果の報告を受けた。
ひとつの数値を除いて、正常に戻っているとのことだった。
小躍りしたくなる思いです。
2週間おきの診察と処方箋が、経過が安定しているとのことで、今日から30日になりました。来月の診察のために、小水と採血を行い、30日分の処方を貰うころには、待合室にあるソファーや椅子は埋め尽くされていた。
あの時間だけが、タイムラグが起きて入り込めたのは、この上ない運の良さです。

このクリニックに来ると、どうしても行きたくなるラーメン屋があります。
このラーメン屋の塩ラーメンは懐かしい薩摩の豚骨ラーメンの味がするんです。

Kojima

食欲旺盛な薩摩での7年間の生活は、主食である豚骨ラーメンの日々でもありました。
鴨池に住んでいたときは、いつもラーメン「あけぼの」でラーメンライスを食べて英気を養い、将来に渉り食糧危機に備えて脂肪を貯えようと必死に食べまくった思い出があります。
ここで、フッと思い出しました。
薩摩の豚骨ラーメンには、必ず大根の漬物が一緒に付いてきました。ライスを頼んでいないにも関わらず、ラーメンに漬物が付いてきたんです。
その付いてきた漬物をラーメンの中にドップリと沈めてラーメンを食べていました。
いま考えると不思議な感覚です。
毎日、まいにち食べると体中が豚骨に染まっていたんでしょうか、受験で東京に出ました。
先輩に連れられてラーメン屋に入ったんです。東京のラーメンと云えば、醤油ラーメンですね。
「合掌して、いただきます」でラーメンを食べると、これが不味いのなんの、不味いんです。
一緒に食べた同級生も箸を置いて食べるのを止めていました。
豚骨に慣らされた味覚は、あっさり系の醤油ラーメンを受け付けなかったようです。

しかし、ここの塩ラーメンは薩摩の豚骨そのものの味がします。
薩摩の豚骨ラーメンは塩がベースなんですね。
だから、塩味は薩摩豚骨に近いように思うんです。

上越も個性的なラーメン屋が多くなりました。
激戦地区でもあるようです。
私は、こじまの塩ラーメンがお奨めです。

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まるで戦国自衛隊

休みのうちに整理しようと溜め込んだダンボールを積み重ねた時に、どことなく静かな携帯の着メロ「黄昏のワルツ」が聞こえて来た。
同僚のE氏からで、元気な声で、グッドモーニングなんて耳が痛くなる。
時計の針を見ると6時50分。
世の中の大多数の方は、まだ夢の中を彷徨っている時間です。

「ねぇねぇ5機旋回しているよ!」
「エッ!5機もいるの?」 行かなくっちゃ。

双眼鏡とカメラに望遠を取り付けて、いざ出陣です。

広大な妙高山麓は、殆どが立入禁止区域で自衛隊高田駐屯地のの演習場です。
仮想敵国を想定しての攻撃訓練が日夜に渡り行われています。
機関銃の弾が飛び交う場所です。

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国道が渋滞になると、妙高の山に向かい、演習場の脇を横切ると近道です。
「急がば廻れ」なんて言葉がありますが、私なりの解釈で、渋滞で眠くなるよりは、遠回りしてでも空いている道を走りなさい・・・となる。

国道を迂回して山道に入ると広大な演習場が眼下に広がります。
自衛隊の演習風景を目の当たりにする。速度を落とし、恐々として走ることになる。
なにしろ、数千人に及ぶ隊員は小銃を肩に掛けて睨んでいる。
いつ、なんどきに精神錯乱状態に陥り、発砲しないとは限らない(笑)

迷彩柄に施された自衛隊の車両がところ狭しと整列して、幌を被ったトラックの荷台には、迷彩柄に身を包んだ隊員が横一列に座わり、瞑想に耽り身動きしないでトラックの振動に身を任せているのが見えます。
演習地に露営として向う隊列は、隊旗を先頭に小銃を背負って行軍の準備しています。
行軍と云えば、
高田駐屯地では、毎年、夜間行軍に参加しませんかと、自衛隊行軍体験を募る案内が掲示板に貼られているのを見たことがあります。深夜、それも新月の夜を決行として日程は組まれ、30キロの行軍をすると書いてある。寝袋をはじめ露営に必要な必需品を詰め込んだ20キロあるバッグを背負って10キロ近くある模擬銃を肩に掛けての行軍。
体力と根性が試される。
一度、深夜の国道を走っていると、隊旗を先頭に夜間行軍の隊列に遭遇したことがあったが、顔を塗りたぐり迷彩服に身を包むとライトを当てない限り見つけることは困難に思えた。

我が寺子屋は保守系だったのか防衛大に入学する人が多い。
薩摩としての気概があるのかも知れませんが、防衛大は先輩から後輩へ引き継がれていた。夏休みの課外授業には、帰省した防衛大に行った先輩が学園(?)生活の満喫した話を聞かせてくれたが、高所恐怖症の私はビルの五階建ての高さの艦船の上から下を見る事が出来ず、尚且つ、閉所恐怖症で潜水艦に乗ることは死を意味していた。
防衛大の夢は断たれた。

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そんなこんなで・・・
急いで飛ばしてきました。
松が峯の沿道には、何人かのカメラ小僧が三脚を立てて待ち受けている。
ヘリコプターの羽根は目にも留まらぬ早さで高速で回転、今にも飛び立とうとしている。
沿道の土手を見ると、腰を屈めて山菜採りに忙しくしている。良く見るとこごみが群生している。こごみ・こしあぶら・タラノメと今日のおかずは天麩羅でしょうか。

森の中ほどから火の手があがりました。
周りは煙が充満していて、赤く染まっています。
ヘリコプターの出動です。
取り合えず、2機が飛び立ちました。
旋回しながら火の手の方向に向っています。

それにしても、残雪のある妙高山をバックにミサイルが搭載出来るヘリコプターが飛び立つ光景は絵になりますね。まるで、大好きな半村良「戦国自衛隊」を彷彿させます。

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帰り際に、沼地に寄ってみると、ミズバショウが群生していましたが、まだチョット早いようです。この連休が見ごろになるでしょうね。

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