« 冬の墓参り | トップページ | 五木寛之「親鸞」下巻 »

五木寛之「親鸞」上巻

001_2

全国各地にある二十七紙の有力新聞に連載され、二千万人以上の方が読んだとされる五木寛之「親鸞」(上巻)を読んだ。

地元では圧倒的な読者を誇る新潟日報にも連載された。時々事務所に置いてある紙面を捲り読んだことがあり、単行本になったら読んでみようと思っていた。

時は、平家にあらずんば人にあらずの世の中。平清盛が権威を奮っていたが後白河法皇との確執で世の中は混沌としていた。
経済は困窮、飢饉が蔓延し人々は疲弊していた。路地や辻には野垂れ死に死臭が漂っている。大八車に死人を乗せ河原に捨てるので、河原は死人の山となり野良犬が食い漁っている。そんな世の中に9歳になった忠範(後の親鸞)は出家することを決意する。

物怖じしない性格と何よりも美声であったことが幸いして地回りの風来坊たちに可愛がられ人脈を作り、その縁で、高貴な家柄だけが出家できると云われた比叡山への入山が許される。後の天台座主になる慈円阿闍梨の住む白河房で比叡に上がる為の稚児としての勉強が始まった。

忠範は和歌を歌う名手であった。その歌声は誰もが魅了され、人の心を揺さぶる響きがあったという。
白河房で慈円阿闍梨より忠範から範宴(はんえん)に改名される。

範宴19歳になった。比叡山に入山して七年。
修学の厳しさ、身も凍る寒さ、湿気、それに粗末な食事に耐えて修行に明け暮れるが、都ではたくさんの人が飢えて死んでいるのだ。
自分には仏性がないのではないかと自問自答するが解決する術がない。

比叡山では修行僧としての下位にいる堂僧であるが、学問においては右に出るものがいないほどの秀才ぶりを発揮していた。

慈円阿闍梨の命令で、都で人気の法然房に偵察に行かされる。
法然は、比叡山始まって以来の逸材で将来の天台座主が約束されていたが、突然、山を降りて都で法然房として草庵を作り、庶民の人気を集めていた。
念仏を唱えれば、悪人でも、遊女でも浄土にいけると説法した。

学問での念仏学を習得した範宴は法然の説く念仏は異質なものとして映り、
さほどの興味もなく聖徳太子の廟がある大和二上山にある叡福寺を訪ねる。
範宴にとって聖徳太子は憧れで尊敬する人物である。親鸞は終生、聖徳太子を敬い祈念祈祷した。

聖徳太子は高い身分を持ちながら「世間虚仮」と、溜息のような言葉を残したとある。世間虚仮とは如何なるものなのか

範宴は・・・。
比叡では稚児を愛でる衆道も盛んだ。範宴に良禅なる美少年が慕ってくる。色香に迷い良禅を抱きたくなる衝動にもかられる。大和二上山の山中で一宿をした寺では玉虫なる遊女に言い寄られる。玉虫に、いきり立ちながら手を出さぬのは、遊女で汚れて穢れているからだろうと、罵られる。一線を越えんとする範宴であったが、修行とはなんだろう。

人は、なぜ苦しんで生きるのか。どうすれば救われるのか。十悪五逆の悪人は、どこにいくのだろうか

絶えず、問答を繰り返し行に打ち込む。ギリギリのところで、いつも救世観音の化身と云われる聖徳太子の声に導かれる。後光を見ることになる。

範宴が比叡では学べないことを悟る場面がある。

「範宴、おまえ、あの女の心を忘れるなよ。ええか。おまえは、わしら卑しい人間たちを救うために坊主になったんやろ。ちがうか」
範宴は目を伏せて足もとの石や枯れ木をみつめた。川の音が妙に大きくきこえた。その音は、世間で苦しんで生きる無数の人びとの声なき声のように、範宴の胸にふかくひびいた。
「弥七さん」と、範宴はかすれた声で云った。
「なんや。文句があるなら云うてみ」
「いや、文句ではありません。わたしは、心をきめました」
「ほう」
「わたしはもう、お山へはもどりません」
「それで、どうするんや」
「まだ、わかりません。しかし、いま、はっきりと決心したのです。これまで比叡のお山で学んできたことを、これから俗世間に身を置いて考えます」
「夢にでてきた聖徳太子が、私のところにこい、と云われたのは、きっとそのことでしょう」
「お山をおりるのと云うことは、大変なことやど。覚悟はできとるんか」
「はい」

煩悩に征服され、悶々として寝れずに性欲に負けそうになったり、庶民を知るためにと、勧められるがままに酒を飲む、仲間が喧嘩に巻き込まれそうになると助ける為に向かっていく。
人間味に溢れた親鸞が生まれようとしているのです。

|

« 冬の墓参り | トップページ | 五木寛之「親鸞」下巻 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 冬の墓参り | トップページ | 五木寛之「親鸞」下巻 »