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蜜のあわれ

3月16日にNHKドラマ「火の魚」の感想をココログに書いた。
もう1ヶ月以上経つのに、いまでも毎日4~50人の方が「火の魚」の検索でお見えになる。
終わったドラマであっても心に残る素晴らしいドラマであったことがわかります、それに比べて天地ほどかけ離れた稚拙なブログで申し訳ない気持でいっぱいです。

そこでドラマ「火の魚」の原作となった室生犀星「蜜のあわれ」と「火の魚」を読み返してみると。
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蜜のあわれ

「おじさま、お早うございます。」
「あ、お早う、好いご機嫌らしいね。」
「こんなよい天気なのに、誰だって機嫌好くしていなきゃ悪いわ、おじさまも、さばさばしたお顔でいらっしゃる。」
「こんなに朝早くやって来て、またおねだりかね。どうも、あやしいな。」
「ううん、いや、ちがう。」
「じゃ何だ。云ってご覧。」
「あのね。このあいだね。あの、」
「うん。」
「このあいだね、小説の雑誌巻頭にあたいの絵をおかきになったでしょう。」
「あ、画いたよ、一匹いる金魚の絵を描いた。それがどうしたの。」
「あれね、とてもお上手だったわ、眼なんかぴちぴちしていて、とてもね。本物にそっくりだったわ。」

の書き出しで、はじまる楽しい小説。そして、真っ赤な金魚と老いた小説家の官能?物語。

老作家(室生犀星本人だと思うが・・・)が、可愛がっている真っ赤な金魚が妖艶な美少女に変身して、ハンドバッグを買いに三越まで買いに出かけたり、石を噛んで歯が痛くなり歯の治療に行きたいとおねだりする。

巻頭の続きも、老作家が描いた金魚の絵で収入があったのに、何も買ってくれないと怒り、あたいにも何か買って!とおねだりをする。
「いったいきみは何を買うつもりなの、」
「お友だちの金魚をたくさん買ってほしいのよ。」
「あ、そうか、遊び友達がいるんだね。それは気がつかなかった。」

人間に変身した金魚は、ひとりでタクシーに乗ったり、ミジンコの餌を買いに出かけたりする。おじさまに会いたいと婦人が訪ねてきたりするが、嫉妬心が芽生えて会わせないように策を練ったりしてする。
そのご婦人は、とうに亡くなっていて、金魚は幽霊と会話出来るが、おじさまには幽霊は見えない。

時には、おじさまと添い寝をするが、その時は真っ赤な金魚になって尾ひれを触ってもらって快感を得たりする。
しかし、尾びれが怪我をして治療するに尾びれを広げようとすると、恥ずかしさで「見ちゃ!だめ」と怒る仕草をみせる

人間に変身した金魚は、おじさまの秘書になり講演に出かけたり、孫として、かいがいしくおじさまの世話に精をだす。外出先で水槽の金魚を見つけると、早く水を取り替えて!と、お願いしたりする
おじさまと金魚の恋愛小説なんです。

この続きとして・・・。

続けて「火の魚」を読む。

そこで最近偶然に繚乱の衣装を着用した一尾の赤いさかなのことを書いて、私の知った限りの女たちをいま一編ふり返ってみることにした
・・・中略・・・
そして、いまこれを一冊の書物となる時期が来ていて、装本の表紙絵を私は選んだ。或る有名な西洋画家に手紙を書いて一尾の金魚が燃え尽きて海に突っ込んで、自ら死に果てるところを描いてほしいといい、金魚は一尾で結構、ただし切火のように烈しさが見たいのですと勝手なことを書いて送った。

しかし、画けないと断られる。

001

烈しく死に至る金魚を装丁に使いたいとの一心から、魚拓を思いつく。
魚拓は死んだ魚を使うのか、生きたまま使うのかと、悩みは深い。
魚屋が持ってきた死んだ魚に墨を塗って、何枚も何枚も写すが、魚のぬらぬらが邪魔をして、気に入った魚拓が出来ない。

それでも、装丁で使う魚拓にうなされる。
そこに編集者に、折見とち子と云う婦人記者を思い浮べる。折見とち子の父は私と同郷で釣りを好み、釣った魚の大物は魚拓にして年月を記入すると聞いた、が、折見とち子の父は昨年、釣りをしながら脳溢血で亡くなった。
そこで、父の魚拓作りをいつも縁側で見ていた折見とち子には出来るかも知れないと、折見とち子に魚拓を依頼する手紙を書く。

・・・が、折見とち子から
「わたしは生きている金魚を殺せるような恐ろしい女ではございません、いかなる道理があっても或いは人間なら一人ぐらいは殺せても、金魚をまともに殺すという意識のもとでは、到底、これを殺すと云うことが出来るものではございません、作家であるあなたに向って、敢えてこのおしごとの上で、重ねてお聞きしたいことは、どうして死んだ金魚を見つけるかと云うひとつのことでございます。」

「どんなに極悪非道な人間でもいきなり握り潰して金魚を殺すことができても、晴れた美しい水中に喜んで泳いでいる彼女をどんな人でも、いきなり手掴みで殺せるものではございません・・・」と、断りの返事をしている。

この場面は、ドラマ「火の魚」でも、とりわけ生と死に向かい合う大事な場面として演出され、心の葛藤が交差する。

火の魚は、室生犀星と折見とち子との交流が書かれている。現実と思われる。
編集者の折見とち子(本名:栃折久美子氏)は後に製本作家に転身され、高い評価を受けた。
また「蜜のあわれ」は、詩人室生犀星の数多ある「詩」「小説」の中でも傑作だと評価されている。

ペットを擬人化する小説としては、少し内容が違うかも知れないが夏目漱石「吾輩は猫である」が有名です、しかし、この蜜のあわれに出てくる、おじさまと真っ赤な金魚の会話は微笑ましい。こんな金魚がいたら楽しくて嬉しいな。

おじさまにお小遣いをねだったり、拗ねてたり、はにかんで恥ずかしがったり、怒ってみたり・・・で何と可愛らしい金魚なんでしょう。

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