« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »

イワシの大群を描く・・・

1103

「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛され500篇にものぼる詩を書いた、金子みすゞ。
失意のうちに26歳の若さでこの世を去った。金子みすゞの代表作に「大漁」がある。

 大漁

   朝焼け小焼だ
   大漁だ
   大羽鰮(いわし)の
   大漁だ。

   浜は祭りの
   ようだけど
   海のなかでは
   何万の
   鰮のとむらい
   するだろう

1101                   襖絵でない大漁の絵

5月31日。NHKクローズアップ現代は風の画家、中島潔氏がクローズアップされた。
中島潔氏が5年の歳月をかけて清水寺成就院に46枚にも及ぶ大作の襖絵を完成させ奉納された。
中島潔氏の絵と云えば、素朴な少年少女が風を捉えて、物寂しげに遠くを見つめる叙情的な絵は印象的です。

中島潔氏の観音の慈悲の心を絵にしたいとの希望を清水寺が検討を重ねて決定した経緯があるようです。
画壇においてどの派にも属さず、独学でこんにちの画風を築き上げられてきた。
司会の国谷裕子氏との対談は、積み上げられた歴史が語られた。
多感な18歳になった時に、深い愛情を包んでくれた母親が癌で亡くなり、その二か月後に父親が再婚すると云った辛い時期に家を捨て、田舎を捨てる。
幾多の職業に就きながらも絵を描いていった。
死にもの狂いに、生活を得るために必死に描いたと・・・。

故郷はなつかしがるのではなく、目を背けたるもの。母の死と父親の再婚と云った狭間が描く原動力だったようです。思慕する母への愛情なのでしょうか。

対談の中で、こんなくだりがある。
「私は、温和で優しそうに思われるが、実は憎しみを抱えている人間でもあると・・・」
「父親が死んだ知らせが届いたときは、父親に対してはなんとも思わないと思っていたが、知らせを受けた時はかなり動揺したと」父親への反発も、じつの親子として打ち解けるものがあったのでしょうね。

奉納された46枚の襖絵は4部屋の特別室に飾られている。
「かぐや姫」「風の故郷」「大漁」で構成される。
特に大漁は、金子みすゞ「大漁」がモチーフとなり、イワシの大群がふすまいっぱいい描かれている。「弱い命ほど、一番輝くのを表現した」と、大量のイワシが海から天高く舞い上がろうとする、それを見つめる悲しげな少女。見つめる少女は、母の心なのか、自分の心なのか・・・。

金子みすゞ「大漁」の中にある、”海のなかでは 何万の イワシのとむらい するだろう”が、本懐のようです。
対談で見せた国谷裕子氏の涙目は中島潔氏の生きざまが伝わってきました。

天に向かって登っていくイワシの群れ、イワシの目には月が映っている
命の尊さを感じさせてくれているのでしょう。

いつの日か「大漁」の襖絵を見ることができるのかな・・・。

| | コメント (0)

夏は来るのか・・・

寒い。
毛布を頭からかぶっていると、姫の悲鳴にも似た鳴き声で目が覚める。
窓の外は、朝露で緑の葉っぱは濡れている。すぐさま温度計を見ると13度。外はもっと下がっているのでしょう。

布団に入ってきた姫のために
姫専用のストーブに火を入れて、姫の弱点である背中の尾っぽ付近を揉みながらマッサージを始める。恍惚の瞬間なのであろうか・・・前足の毛繕いがはじま る。
しかし、背中のある一点を刺激すると、背中を大きく反らし吹き出すように大量に漏らしてしまう。
何度もやられてしまった。
小さいころに日本地図を描いた寝小便をおもいだす。

占領された私の布団。
ストーブを前にして、手足を伸ばし熟睡している。
6月を目の前にして、灯油を2缶買い求めた。
雪国に夏は来ないのかも知れない。

Hime


| | コメント (0)

食べ放題のバタートースト

Photo_80_2

 

みすみす殺して良いものか・・・と、悩むところではありますが
カラスを退治する兵器が現れたようです。

友人は会社勤めの合間に10反ほどの田んぼでコメを作っている兼業農家です。
この時期は、田植えも終わり、植えた苗にはなみなみと水が注がれて、苗が泳いでいる。
冬の間は土の中で眠っている有機質の虫たちも水泳大会が始まっています
その虫たちを狙ってカラスが田んぼに奇襲をかけて、虫の捕獲に余念がありません。

カラスを退治しようにも、なかなか妙手が浮かばず静観している友人であったが、
ここにきて、カラスを駆除する最善手が見つかったようです。

バターを塗ったトーストに殺鼠剤のクマテトラリルを塗って、トーストをぶら下げておくと
バターの好きなカラスはトーストに襲撃してとっさに咥えて、空高く舞い上がるそうですが、、ものの20秒ほどで落下してくるそうです。
この方法で友人は、ここ1週間で10羽のカラスを仕留めたと。

いまでは、奇襲攻撃に失敗したカラス軍団は警戒して田んぼに近づかないと・・・

この場合は、トキの卵を盗んだ憎きカラスを退治して喜ぶべきか・・・
ただ、トーストを盗んだだけで殺さなくても良いのに・・・と悲しむべきか

カラスも年中、黒い服を着ているから嫌われているのでしょう
せめて衣替えして、ピンクや白、青、緑の服を着ていれば、殺されることもなかったでしょうに。

同じカラスでも、カラス天狗となると、水先案内人で幸運を呼ぶとされます。
ひそかにカラスを餌付けしようとしている私

| | コメント (2)

15年前の宝物

押入れのパーツ箱を整理していると、懐かしい怪物くんが現れた。
もう15年も経つのか。当時は肌身離さず大事に扱っていた。
トラブルが発生すると夜を徹して看病した。しかしそれでも病原菌を退治することはできなかった。

Img_3708_2

Img_3717_2

Windows95 CPUはペンティアム HDD2.1G メモリ256MBで当時は怪物マシンと云われた。
ベースステーションとユニット式になっていて、合体を解けば持ち運びには最適な重さと薄さを誇っていた。その正体はSOTEC Winbird133 と呼ばれ、インターネット創世記に絶大な人気を博したパソコン通信(いまのmixiとおなじソーシャルネットワークの走り・・・)のコミュに「Winbird133」なるサークルまでできていた。

Windows95が世に出る前までは
起動すると真っ黒い画面に突如として現れる、コマンドプロンプトと呼ばれるパソコンを起動するための呪文が必要であり、暗闇に光る | の縦線が点滅していた。

C:\だとか、A:\ の表示が現れて、真っ黒い画面にカーソルが点滅して「早く!次を打て!」と、要求してくる。口で説明するときにはCコロンだとか、Aコロンだとか訳の分からない言語が飛び交っていた。
間違ったキーを押すとピーピーと断続的に擬音が鳴り響き怖かった。

待ちに待ったWindows95が発売になった
Windows95が発売になり、秋葉原のパソコンショップには深夜0時発売を待つ大勢の人が並んでいた。その中に私もいるはずだったが、発売の様子はTVで見ていた。

システムエンジニアとして名を博していた友人から、勧められるままにSOTEC Winbird133を購入した。単体で40万円ほどにベースユニットを入れたりソフトをチョイスしたりで70~80万円ほどした。
高い買い物だったが
Windows95には恐怖の黒い画面はでなくなった。コマンドプロンプトの代わりに画面には可愛いアイコンが表示され、アイコンをクリックすると別世界にワープしてのめり込んだ。
最高のオモチャを手にした。

しかし、それからが苦難の連続だった。
周りにパソコンを持っている人が皆無で、フリーズした時の対処法が分からなかった。勝手に電源を落とすと壊れると思っていたので、フリーズした画面を眺めて朝を迎えたこともあった。
今のように光だ!ADSLだ!と云う新幹線の速さはなくて、時速30キロの各駅停車の速さだったし、長野には通信網のアクセスポイントがなくて、名古屋までダイヤルして、名古屋のアクセスポイントにつないでインターネットをしたが、名古屋までの長距離電話料金がかさみ10万円を越す電話の請求が来た。

その時に大活躍をしたのがSOTEC Winbird133でした。
ノートでは世界特許を持っている東芝やIBMの基盤を作っていたSOTECが技術を生かして、作ったのがWinbirdシリーズで、マニアックなPC信者に人気だった。しかし得意満面のSOTECも技術を徹底的に排除して、安かろう悪かろうで廉価品に向かっていき会社を無くしてしまった。「奢れるものは久しからず・・・」を見る思いで悲しかった。

15年前に革命を起こしたパソコンは進化に進化を重ねているが、この先パソコンはどう進むのか、タッチパッドが主流になるのかな・・・。

パソコンで何をしたかったのか
欧米では当たり前の家紋の入った「レターヘッド」を作りたかったのです。
おかげで、ありとあらゆるオリジナルのレターヘッドを作りました。同じぐらいオリジナルのfax用紙にも凝りましたが。

宝物はいつまで持ち続けていられるのかな 次の引越しには多分処分される。

| | コメント (0)

人生の楽園考

Jinsei

土曜日6時からの放映で「人生の楽園」という番組がある。いつも見ている訳ではないが、時折り見る。定年を迎えたご夫婦が都会の喧噪を離れて田舎に戻り、第二の人生を育み、農業に従事したり、民宿・レストランを開業して、友達の輪を広げて土着を目指している姿を映しだす。
それは、それで心打つものがあり勇気を得ることもある・・・と、思っている。

まだ30代のバリバリの青年実業家をしていたころに、小さな婦人服のお店を東京・埼玉・長野と出店していた時期がある。出店のほとんどはショッピングセンターでテナントとして出店していた。

しかし、だんだんと飽き足らず、オリジナルのショップが欲しくなる。
パリで見た、裏通りの小路にアトリエ風のブティックを思い浮かべると、もう気持ちは開店準備に飛んでいる。
長野でも、通勤の近道になっている裏通りに念願かなってショップを作った。ショップを認知していただくためにユニークなバケツ型の買い物袋を駅前で配った。その甲斐あって初日から大勢の方がお見えになった。一風変わったショップがある!それだけで良いんです。まずは裏通りの地図が変われば成功なんです。

開店して三日目にローカルTV局の営業の方が駆け込んでこられた。
「ぶらり!裏通り散歩」で、撮影させてくれませんか、と云った取材の申し込みであった。TVの取材と聞いてなんの抵抗があるのでしょう。これ以上の宣伝効果はありません。

しかし・・・よくよく話を聞いていると、取材は30分番組の5~6分程度で、オリジナルを作っているミシンの数々と、店内に2~3人お客さんを配置して買い物をされている場面に、店長へのインタビューだった。そして、 実は・・・撮影には費用が掛かりまして、この流れでは35万円~50万円ほどがかかります。と。
散歩の途中に「おもしろい店があった!」では、ないのですね。
結果、4分ほどに短縮して30万円ほどを払った。放映されたのを見たが、散歩の途中で偶然みつけた小粋なブティック風に仕上がっていた。
30万円の宣伝料は技術料でしょうか。

そして本題の「人生の楽園」に、いま住んでいる町に移り住んだご夫婦の「うどん屋」が出た。
はじめてみるうどん屋だったが、なんとなく場所が分かったので、近くに住む友人に電話して、「近くに美味しいうどん屋が出来たの?」と、聞いた。
「半年ほど前に、うどん屋は出来たよ」 「食べに行くの?」と云われ「そのうどん屋は美味しいの?」と聞くと、「あんな不味いうどんを、はじめて食べたよ!」と、辛口批判だった。

そうとうに不味そうだった。

番組では、うどん屋を営む主人公の友達の輪が広がり、映し出されていた。その中で出てきた鮮魚店の店主を知っています。「エッ!なんであの方が出るの?」と、不思議だったが友達だったんだなと。うどんの出汁を取る鮮魚はいつも、この魚屋さんを利用していると話されていた。
うどん屋と鮮魚店は、南と北の両端に位置している。その間にたくさん鮮魚店はあるだろう!と、思った。
番組のエンディングには、鮮魚店の住所と電話番号が表示されていた。魚屋さんも宣伝に一役を買ったんですね。幾らだったのかな。

私の勝手な想像ではありますが・・・
30分番組の「人生の楽園」の主人公になったうどん屋を営むご夫婦は、どれほどの宣伝料を払ったのでしょうか。全国放送ですから30万円てなことはないでしょう 
300万円~500万円ぐらいかなと、私は想像しているのですが。
元は取れたでしょうか。
それとも、評判を聞いて取材に来た、純粋な人生の楽園ストーリーなのでしょうか

つい最近、別の友人ご夫婦が一度は行ってみよう で、先日のお昼時に、くだんのうどん屋で並んだそうです。待つこと30分。出てきた「うどん」を食べて奥さまがひとこと、スーパーの冷凍うどんの方が、間違いなく美味しい、と。リピーターになることはないようです。

一度は、行ってみようと思ったが、行くのはやめました。
不味いうどんを食べた日には、悔しくて寝付かれない。

| | コメント (0)

「貧困旅行記」は座右の書。

1004_2

何度となく読んだのに、どこに行くにも一緒でバッグの中袋にチョコンと収まっている文庫本がある。これはもう座右の書とでも云うべき愛すべき文庫本です。

「貧困旅行記」著者は、つげ義春。つげ義春と云えば漫画界のカリスマです。
廃刊になった雑誌「ガロ」に漫画を発表していた。黒ペンでモノクロ漫画の筆致は、他を圧倒する素晴らしいものであった。また描く人間像は、世を拗ね鬱積していた。それでいて何と楽しい人生だろうとも思えた。
数ある作品の中でも、河原で河原にゴロゴロしている石を売る「無能の人」は大好きだった。竹中直人監督の映画にもなり観たがシュールであった。「ねじ式」も良かったな。

強烈な印象を放つ漫画家つげ義春は、稀有な随筆家でもあると思いました。これほどに人を惹きつける文章は、あまり読んだことがない。
それに、大変な読書家であることが伺える、随所に作家の作品の紹介をしている。

1001

「貧困旅行記」は、温泉宿を旅する話が随所に出てくるが、温泉を選ぶ基準は寂れ鄙びていることが重要のようです。
そんな鄙びた温泉を目指して秋田を旅していると、「鄙びた・・・」を超えた個所があった。
それは「ボロ宿考」で書かれていた。

崖道を線路伝いに歩いていくと、線路下の草むらの中に炭焼き小屋と見まちがう掘立小屋のような宿があった。近くに人家はなく、宿屋の周囲は草ぼうぼうで、およそ宿屋にするにはふさわしくない寂しい所で、人に尋ねて教えられた宿屋だったが、看板もなく怪しく眺めた。
片方だけに傾斜したトタン屋根の裾は、土盛りした線路の土手がかぶさり、土手を屋根の支えにしているみすぼらしさでこれが宿屋かと呆然した。

寂しい鄙びたが好きな著者も、これほどの宿屋はお目にかかったことはないらしい。
そして、続く・・・(少し端折りながら)

戸を叩き、宿を乞うと、腰の曲がったモンペ姿の婆さんが出てきて満室だという。 中を覗くと中二階が客室らしく、粗末な棚で括られていた。うっかりすると落ちそうな場所だった。
婆さんの居間らしき部屋には破れ障子がはまっている。

満室と云っても誰も泊まっている様子はないので、断りの口実なのだろうが、婆さんは場違いな客が来たとみて、怪しい目つきをして無愛想だった。
これほど、粗末な宿屋を見たのは空前にして絶後。いったいどんな人が泊まるのだろうか。設備からして営業許可されるはずないと思える。もぐりの宿と考えられるが、この宿屋に泊るのは、よくよく貧しい者か、放浪者、不治の病を負ったものとか、私のような精神衰弱者とか、犯罪者のような社会からこぼれてしまった者たちなのではないかと想像を巡らせたりした。

そして、彼は
私は、後になって、どうしてこの宿屋を写真に撮っておかなかったのかとひどく悔やまれ、今も悔やんでいるとある。

1003

つげ義春はカリスマ漫画家に随筆家の顔を持つが、なんの何の写真も相当に激写している。
「貧困旅行記」の中にも十数枚の写真が載せられているが、どれをとっても寂れて鄙びた様子がうかがい知れる。

四国遍路にはカッタイ道と云う裏道が存在していたらしい。カッタイ道には、それはライ病遍路専用の宿屋小屋があったし、同じ四国には「落し宿」もあったら しい。と書かれている。
裏稼業を生業とする人たちの宿であったことと読める。池波正太郎「鬼平犯科帳」に出てくる盗人宿が現代の落し宿なのであろうか。

そんな宿が好きな作者であった。
そして、こうも結ばれている。

そういう貧しげな宿を見ると私はむやみに泊まりたくなる。そして侘しい部屋でセンベイ布団に細々とくるまっていると、自分がいかにも零落して、世の中から見捨てられたような心持になり、何とも云えぬ安らぎを覚える。とある。

共感を覚えるんです。

1002

元来、貧しさが身についた私も「貧困旅行記」を片手に各駅停車の鈍行を乗り継ぎ、鄙びた温泉を目指すことも良いかも知れない。その前に・・・遍路の旅を実現しなくては。

| | コメント (0)

戸隠神社で美男美女6人衆

青空の広がった5月5日。小学生低学年だったと思うが、箪笥の上に金太郎の置物が飾られ、父が小脇に抱えた新聞紙を広げて子どもたち全員に兜を作ってくれていた。
そんな遠い日の思い出は線香花火のように、一瞬の輝きがあるが、儚くも浮かんでは消える。

朝方のツバメは、コウモリなのかツバメなのか見分けがつかない。飛んでいる蜻蛉のような小さな虫を器用に捕獲している。そんな光景を眺めながら庭の土を掘り起こしていると携帯が鳴った。ずいぶんと珍しい方から電話です。
「お元気だったですか・・・ご無沙汰をしています」
「ついにパソコンが動かなくなり困っちゃいました」
「急ぎで申し訳ないのですが、売上管理のデータが入っているんです・・・」と、相当に急いでいるらしく、堰を切ったように矢継ぎ早に喋って息を切らしていた。

彼は北長野方面で店を切り盛りしている酒屋さんの二代目。
チョット忙しい5日であったが、明日へと延ばすわけにも行かず、パソコンを解体する器具一式をコンテナに詰め込んで、いざ出陣と相成りました。
着くなり、取り敢えずパソコンが起動するように応急処置を行い、データのバックアップをしました。心配の挙句に、ついでにパソコン(Windows7)のご注文を頂きありがとうございます。まぁ難なく処理は終わりました。

T_img_3627

ここまで来れば、ミズバショウを見に戸隠に行ってみよう。戸隠高原まで30分ほどで行ける距離です。山道を走り、戸隠が近づくほどにブナ林や白樺の周辺には雪の塊りが広がり、ひんやりとした空気が漂っています。戸隠には100回以上足を運んでいますが、5月の連休でこれほどの残雪は見たことがありません。それほどに厳しい冬だったようです。

T_t_img_3624 T_t_img_3688
10時の参道    と   12時の参道

戸隠神社奥社は結構な人出です。それもそのはず、最近はやりのパワースポットなる縁起の良い場所に戸隠神社が選ばれたようです。深山幽谷でもないですが、人気のない奥社参道を歩くと、神の領域に足を入れたような心穏やかな気持ちにさせてくれます。でも、パワースポットとはどんな効果があるのでしょうか
100回も参拝に通ったのに・・・。効果があったのか、なかったのか。

T_t_img_3641

T_t_img_3666

随神門を過ぎると、800年の悠久の年月を刻んだ有名な杉木立の参道です。
参道は雪が解けずに雪道となっています。それも奥の院まで急坂が続きます。いつも階段になっている場所も雪で階段が隠れています。まるで雪のスロープが出来上がっています。
落ちている杉の皮や枝を滑らないように踏むために探しながら奥の院を目指します。
疲れるのなんの、疲れます。
でも、まだ登りは良いんです 参拝を終えての帰りの雪道は「急激な滑り台」と化しています。

T_t_img_3648

奥の院では、雪解け水の手洗いは行列ができ、この清水で口をすすぐのもパワースポットなのか。そんなこんなで奥の院で参拝です。まずは九頭竜大神に参拝です。
こんなにたくさんの方が参拝すると神様もいちいち願い事を聞いてくれないと困りますから、参拝では、神様に必ず住所・氏名・年齢・性別を云いましょう。

T_t_img_3673

戸隠の忍者かな・・・

帰りは随神門を過ぎると右折します。群生するミズバショウやら野鳥のさえずりが聞こえてくる遊歩道がありますが、辿り着きません、なにしろ、自然道も雪が解けずに柵のある遊歩道までの道をふさいでいます。
雪のある道なき道を歩いて、ようやく遊歩道にたどり着きました。
ひと安心です。

T_t_img_3704

しかし、群生しているはずのミズバショウは少しだけ・・・あとは、お休みのようです。
観光パンフにも大きく載せてあるミズバショウの群生地は、幻の群生地となったようです。

T_t_img_3684

遊歩道で笑い声のする、埼玉からお見えの6人の旅人に出会いました。
楽しくにぎやかな6人の方々です。一期一会の記念に1枚、パシャリと写しましたが、おひとりの方を写し損ないました。カメラ初心者ゆえ・・・お許しを。
美味しい蕎麦屋と聞かれて、中社前の「岩戸屋」をご紹介しましたが、如何だったでしょうか、美味しかったでしょうか・・・自信はあるのですが。
また、日本の滝100選に選ばれている「苗名の滝」は行かれたでしょうか
雪解けで水量が多かっただろうと思われます。滝行は危険!と、お伝えすることを忘れました。

楽しいご旅行を満喫され、無事に埼玉にお帰りになったことかと思います。
今年は残念なミズバショウでした。が、来年こそはミズバショウがたくさん花を咲かせてくれます またお見えになってください。

別サイトに4277×2848(4.6MB)の大きい画像があります。重いですが・・・

帰り道でTVで日本一の売上!で話題になった妙高の「道の駅・あらい」を横目に走りましたが、非常に混雑していました。さすがですね。

| | コメント (6)

日本海は釣り日和

夏になると海のない長野県から大勢人が押しかけ、海水浴場でにぎわう谷浜で営業されている民宿から来れますか?と呼び出しがあった。
仕事の話であれば、日銭に乏しくその日暮らしの私は揉み手をしながらお伺いをした。
なかなか価値のあるお話だったので、ことはついででズワイガニで有名な能生漁港まで足を延ばした。

T_img_3620

10011

今日の日本海は、べた凪で絶好の釣り日和。大海原には遊漁船であることを証明する船尾に四角い帆を立てた遊漁船が十数隻、めいめいの場所に停泊して釣りに興じています。

この時期だと真っ赤な真鯛が釣れます。
素人が安易に釣れる魚ではないので、何十万、いや何百万と釣り道具に命を懸けた人たちが乗っているのでしょう
豊漁だと良いですね。
鯛茶漬けが欲しくなります。

海岸線を走ると、山間には北陸道が見えます。渋滞しています。
可哀想に・・・。ざまぁ~みろ の気持ちも見え隠れ。

T_img_3610

能生はさすがにズワイガニで有名です あちらこちらでズワイガニの店が、大声を張り上げて呼び込んでいます。
試食をさせてくれたので、喜んで食べました。
「ん!美味しくない すごい水っぽい味です」
桶に5杯も6杯も詰め込んだカニを持って広場に向かう人たち
芝を敷き詰めた広場は、カニ食堂と化しています。
カップルで家族でホジホジしながらカニを食べている様子は滑稽です。

T_img_3609 T_img_3612

                                ハタハタの干物に珍しい魚を見つけました。

能生の駐車場にキャンピングカーが数台止まっていました。
1台はパラボラアンテナを付けた豪華版です。
中を見せてくれました。生活のすべてが車の中にあります。台所に簡易トイレにテレビ・ベッドと生活必需品はすべてそろっていました
そして、観葉植物に小さな花鉢が5~6個窓に並んでいました。
何かを煮込んでいらっしゃったので聞くと、フキを煮出しして漬物を作っているんだとか。
釧路からのキャンピングカーで全国を回っているとのこと。3か月に一回釧路に戻り、あとは各地の温泉やら名産地を回っていると。

T_img_3606
T_img_3614 T_img_3615_2

日本版トレーナーハウスも悪くないですね。
6月から祭日・平日を問わず、どこまで行っても2000円は最高でしょう。
ガソリンが高いのは困るでしょうが。

| | コメント (0)

心配ごと・・・

動作がゆっくりとスローモーションの映像を見ているようです。
よろよろとよろける様に歩き、階段の上り下りに悩むようになりました。

姫は今年で18歳を迎えました。人間の年で90歳ぐらいなのでしょうか。

Hime

起床する午前4時の5分前には、枕元に来て目覚まし時計より早く、鳴いて起こしてくれます。若いときは耳元で囁くように鳴いていたのが、年とともに恥もなくなり甲高い声で鳴きます。

まだ朝夕の冷え込みがある今日この頃は、枕元で鳴くとすぐにストーブの前に座り直しストーブに火が入るのを待っています。
姫のご機嫌が麗しいのであればと、ストーブに火を灯すと、おもむろに前足を投げ出し毛繕いがはじまるのです。まるでストーブの火は鏡なのでしょうか 前足の化粧が終わると、首を大きく回し背中に後ろ足へと毛繕いは移動して、可愛い舌を覗かせせっせと舐めまわし化粧に余念がありません。

これほどに、熱心に毛繕いがはじまったのは、つい最近です。
それ以前は、押し入れに用意してあるお気に入りの寝室にトントントンと駆け上がっていたのが、椅子まで飛び上がるのを躊躇しはじめたのです。恐々と力を溜めて飛び上がり、椅子に飛び乗り押し入れに入ったものが、飛び上がる動作が出来なくなりました。
横になる動作も、ゆっくりと態勢を整えてゆっくりと、体に負担がかからないように倒れます。
いよいよ姫のその時を覚悟しないと、いけないのかも知れません。

いつもお皿にたくさん乗せてある目刺しが好物で、いたる所に目刺しの頭を、あっちこっちに食い散らかせていたのが、1~2匹の目刺しを食べると、そこそこに寝床に着きます。
4キロあった体重も、今では1.5キロと痩せ細り、脂肪がなくなっています。
少しの寒さでも骨身に沁みるのでしょうか。
18度を越す暖かい日でも、顔や前足を体に埋めて寝ています。

命の水とは良く云ったもので、1日に何度も何度も水を飲み小便をします。
水を飲んで排泄してくれることが、少し安心。健康のバロメーターとして見ているんです。横に寝かせ背中や下腹部へのマッサージには目を細めうっとりしながら、恍惚の中で毛繕いを始めます。

それでも、老衰の二文字が頭を過ります。
今では、甲高い声で鳴かれると安心して、よしよし、と、元気な鳴き声を聞いて安心します。
が、天国に召される日は近づいているのでしょう 心配は尽きません。

一応、調べました。
焼き場に持っていくと5000円で処理してくれるそうです・・・可哀想ですが。そして、この地を離れても持って行けるように、小さな骨壺を用意しないとい けない。終の棲家に辿り着いたら埋めようかと、それとも太平洋の海に散骨しようかと思っているんですが・・・
つい弱気なってしまいます。

14歳の時に、あまり吐くので病院で検査すると、腎臓が弱っていて年内の命だと
死亡時期の予告を受けました。あれから4年経っています。
頑張って・・・せめて20歳の誕生日祝いをしたいなと思っているんです。

| | コメント (0)

田舎暮らしを夢みて

お気に入りの本が光彩を放ち、PCの横に置いてある。
PCでの作業が行き詰ると、本能的に手が伸びてお気に入りの一冊を手に取りペラペラと捲り読み始める。四季折々の日常がエッセイ風にまとめられ異国情緒を味わっている。

1004

「フィレンツェ田舎生活便り・小さな村の春・夏・秋・冬」 奥村千穂

丁稚奉公をしていた若造の時に
フィレンツェには染色の見本市があって何度か足を踏み入れたことある、思い出を語るほどの思い出が思い浮かばない。無理して思い起こせば、日程がギリギリまで詰められて観光する余裕はなく、イタリアンカラーと呼ばれるカラーサンプルが欲しくて、熊のような体毛の濃いヒゲモジャの職人と唾を飛ばしながら云い合ったのを覚えている。気持ちが通じたのか、帰国するときは大量のビーカー染めをトランク一杯に戴いて駆け足でJALに搭乗した。

しかし、ぎりぎりの日程でもお腹は空きます。
連れて行かれる場所は、決まって多種多様のパスタが食べられて、美味しいワインが朝から飲める場所です。パスタの大盛を食べて一升瓶で出てくるワインを飲んだ。顔をクシャクシャにして満面な笑顔で勧めてくれるイタリア女性は陽気で、誰かまわずに笑顔を振りまき、馴染みの客にはハブをしていた。

そんなフィレンツェから北に20キロも離れた山奥で生活をしている日本人の奥村千穂さんのブログを読んで憧れた。

いつかは、小高い山々に囲まれて、遠くには海を臨み水平線を眺める場所に住みたいなと思っている。陽が差し込む部屋には、決してカーテンを引くこともなく、燦々と陽光を浴びる。隣には100坪ほどの畑があり、ナスやキュウリ・オクラを栽培する。

お茶の時間ともなれば、庭に突き出た縁側に腰を下ろし、庭先にあるミカンやキンカン・ヤマモモの木に訪ねてくる野鳥を眺めるのは一興です。
それに、お昼は決まって手打ち蕎麦。それも戸隠流。

そんな事を考えていたのでフィレンツェの山奥に住む田舎便りは、バイブルになりそうな・・・そんな感じがする。

田舎の生活は文化的ではない。
都市ガスは来ないし、電気の来ないところもある。水道だって・・・。
ライフラインはセルフサービスなんです。

1002

フィレンツェの街を離れて少し北側に車を走らせると、道はグングンと丘を上り、古い石垣に囲まれたオリーブ畑が両側に広がります。丘を上がるごとに人口密度が減り、小さな村がポツンポツンと道沿いにある程度。
村の住民の大部分は、丘の中腹や山の上に点在する田舎家に住んでいます。我が家の山の下には小さな村に属する集落があります。私たちがここに来る前、山に住む人たちも含めて人口は合計50人でした。私たち3人(夫と小学生のユキちゃん)とパオラとラウラが引っ越してきて、これで55人になったのです。

で、はじまる田舎便り。

まずは購入した家は、電気あり、電話なし、井戸水あり、LPガスなし、トイレと浴室は完備、しかし、床はすべてがコンクリートの打ちっ放し。
それからと云うものは、タイルを買ってきて家づくりがはじまります。

遠い異国のフィレンツェに住む気はありませんが、田舎生活が身近に迫っていることを考えると先駆者の話は耳を傾けてメモを取る必要があります。

1001

トマトは好きではないです。
しかし、トマトケチャップは大好きです・・・食わず嫌いと云うとそうでもなく何度か口に入れましたが、ガブリと食った時の、あの食感が堪らなく嫌です。
田舎便りの中に、「トマトソースの瓶詰め作り」と、云うのがありました
このトマトソースの瓶詰めは、どこでも大量に売られているそうですが、ほとんどの家庭では我が家流として作られている。
これには挑戦する価値がありそうです。

風の向きが変わると日々の生活も思いも変化します。
漆黒の闇に光り輝く銀河の星くず、そんな悠久の星を眺めて生活をしてみたい。もうすぐ…来るのかな 晴耕雨読の世界が・・・。


| | コメント (1)

« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »