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温泉で締めくくり

Onsen

年末の大掃除で埃をかぶった。
今年最後の温泉に行こう。波打ち際にある温泉に向かう。
温泉のある場所には魚の市場もあって、さすがに年末は黒山の人だかりです。
予約の注文を受けていたのでしょう・・・発砲スチロールの箱はうず高く積まれています。
何気なしに覗いてみると「おせち料理」と、書いてあります。
近海の魚が有名なので魚のおせち料理なんでしょうね
その数、ざっと4~50箱ありました。

今晩夜半から大寒波襲来です。
震える体を温泉の湯船に沈めます。ドボン・・・・と。
ようやく生きた心地がしてきました。

体も暖まってきたので、寒風がなだれ込んでくる露天風呂に突入しました。
寒いのなんの・・・震えます。

頭寒足熱は健康の基本ですね。
首から下は温泉で気持ちが良い・・・
顔はみぞれ混じりの風が冷たく当たります・・・ヒェ~冷たい。

親子連れのお父さんと男の子が、寒い寒いと良いながら露天風呂にドボンと浸かってきました

子ども:「お父さん、気持ちが良いね」
子ども:「さっきの女の子、男みたいだったね」
お父さん:「ははは・・・少し肥えていたからね」
子ども:「女の子は、何歳までお父さんと一緒に入って良いの?」
お父さん:「そうだね 小学3年生までかな・・・」
子ども:「じゃ、僕もお母さんと一緒に入って良いの?」
お父さん:「○○は、小学2年生だからまだお母さんと入って良いよ」
子ども:「そうなんだ、次はお母さんと一緒に入ろう」

親子の他愛もない会話が耳に入ってきます。

子どものころを思い出しました。
小学生のときは父親の仕事の関係で社宅に住んでいた。
社宅には一軒一軒にはお風呂がなく、社宅の端に大きな共同のお風呂が用意されていた。いつも洗面器を抱えながら社宅にある共同風呂に足繁く通っていた。
同じ、社宅には同級生の女の子もいて、風呂に入る時間態が一緒だったのでしょう
男風呂だったのか女風呂だったのか、どっちだったか思い出さないが、いつしか一緒に風呂に入って勉強の話やら、同級生の話をした記憶がある。

そして、たぶんに六年生まで一緒に入っていたように思う。
中学に入ると引越しで社宅をでて行ったので、六年生まで一緒に入っていた。
うん。間違いない。
晩生で良かった。

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生姜湯の効果は・・・

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せっせと生姜を買ってきてはスライスし煮出して天然の生姜トニックを作り浴びるように洗髪した髪につけてきた。生姜を匂いもなく良いのだが・・・つけた後はハリネズミのような毛が逆立つ。それに髪の汚れも早いのが欠点。洗うたびに髪の汚れが落ちていく・・・しかし、最大のメリットは抜け毛がなくなった。

効果はあったのかと生姜を買い占めた。

次なる手は生姜を表面からの攻撃より、内面からの攻撃が良いのではないかと・・・浅はかな考えが浮かび、生姜湯を作ってみようとなった。

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100グラムの袋に入った生姜を4袋(400グラム)を買ってきた。
先ずは、生姜の表面をスプーンの角で削り落とします。
表面がツルツルになった生姜を水に漬け、多少なりとも灰汁抜きをします
おもむろに大根おろし器を固定して生姜をおろして行きます。
生姜が小さいので生姜を持つ手に力が入ります。 疲れる。
生姜の繊維がおろし器に絡まりますが・・・絡まった生姜の繊維は取って捨てます。
400グラムのおろした生姜が出来上がります。
おろした生姜を鍋に入れて中火でコトコトと炒っていきます
生姜と同じ分量でハチミツを入れるのですが、いっぺんに入れないで舐めながら入れます
生姜が焦げないように、掻き混ぜながら炒めていくと水分がなくなります。
中火で炒める時間は約20分ほど。

生姜ジャムが出来上がります。
容器に入れて荒熱を取ります。

一昼夜置いて出来上がったのがハチミツ生姜のジャムです。

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小さじに1杯を湯のみに入れてお湯を注ぎます。
美味しい生姜湯の完成です。

飲み始めて1ヶ月ほど経ちましたが、効果のほどはどうなんでしょう
ホッカホカと体が暖まったでしょうか
風邪を引かないだけでも良しとしましょう。

毛根の育成に効果があるのかな・・・。
禿げ防止にどうぞ・・・(笑)

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じつは佐渡は浮島だったんです

今日はイノシシを仕留めに山に入るので早く来て欲しい!と、わがままな注文にお応えして、まだ陽が上がらない6時に駐車場に出るとフロンとガラスは氷が張り付いていた。・・・そして、キーの差込口も凍っていてキーを拒絶していた。

雲の流れが速いうえに風が冷たい。
ETCの格安料金を利用して高速に飛び乗る。
こんなに急いで何しに行くのか・・・年賀状を作成して欲しい。この時期になると毎年お願いされる。何度か教えしたが、面倒くさいのかお願いしたほうが話が早いと云う結論に達したようです。
筆王2011年版をコンビニで買い込んで訪ねた。
時計に目をやると6時45分です。
一般の家庭では、まだ夢の中を彷徨っている時間です。

早速、年賀状だけのために買ったプリンターをONにして、デザインを決めて住所録を引っ張ってきます。古いパソコンなので少々お時間はかかります。
90分を要して150枚ほど作成。
満足気の様子です。

「仕留めたらイノシシを分けてあげるね」と、期待しつつ後にする。
まだ8時30分。普通の家庭では朝食の時間でしょうか。
ひと仕事が終わりました。

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帰りもまた高速に入り、名立SAに立ち寄り立ち食い蕎麦で朝食です。景観の広がる窓際に座り、蕎麦を啜っていると目に付いたのが、このPOP。

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佐渡は正面の方向に見える時があります。

うむ~。
佐渡は正面の方向に・・・見える時が?  見えます!じゃないのか・・・。

知らなかったが、佐渡は浮島だったんだ。
本土から、相当にぶっとい綱で繋がれていて潮の流れや、風向きで方向が定まらず、右に行ったり左に行ったりするのかな。佐渡は深く埋められた杭に綱が縛ってあるに違いない。

そんな思いをしながら蕎麦を食べた。

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佐渡が見えるであろう正面を撮ってみた。
佐渡の姿かたちは、まったく見えません。潮に流されて北の方角に移動したかも知れない。
日本海は、静かなべたなぎで沢山の遊漁船が出ていました。この時期の釣り船は、日本海です。
云わずと知れた「寒ブリ」が釣れます。
夕方に名立の海テラスの魚売り場に行くと、寒ブリが並んでいることでしょう。

佐渡は、潮の流れや風向きで移動することがわかった小春日和の1日でした(笑)

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武士の家計簿・・・★ひとつ。

プリンターの出力を修復したお礼に映画のチケットをいただいた。
切った張ったのない時代劇。

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武士の家計簿

江戸時代末期、加賀藩の「御算用者」猪山家の話、家禄のない下級武士である。しかし、下級武士と云えども召使いを抱えたれっきとした武士である。
加賀藩は、いまで云う大会社で経理課に勤めるエリートサラリーマンの端くれである猪山家は代々続く。

実のところ猪山家は、武士としての振る舞いや面子を重んじた結果が、家は火の車で見栄と体面で取り繕ってきた生活の基盤が崩れそうになっている。
そんな猪山家にソロバンを握って生まれてきたような、ソロバンの天才猪山直之が猪山家が背負っている膨大な借金を借金返済に向けての猪山家緊縮財政行動表が作成され!ありとあらゆる金目のものの目録が記録された。猪山家に伝わる代々の品の数々、思い出の着物の一切合切は、反対意見を無視して売却される。
お金の有難さを教える映画だったのか・・・な。

そんな話である。

冒頭は・・・

時代が変わろうとした維新前夜の戦いに出兵した猪山直之の長男猪山成之が、ソロバン上手が認められ明治政府の主計に抜擢されるその長男猪山成之の回想からはじまる。同じ回想でも「たそがれ清兵衛」の冒頭に岸恵子が思いを馳せるシーンがあるが、回想シーンは手法なんだな。

話の筋としては、面白いと思うが、ソロバンご用人である猪山家が三代に渡って加賀藩に会計係としてソロバン片手にお仕えするはなし。しかし、ひとつひとつの展開がボヤけてしまい、すべてが間延びしちゃって、話の展開にメリハリがなく欠伸が出てしまった。

不作で苦しんでいる農民に対して藩が農民に対しておこなった供出米が藩内部の犯行でネコババされていることを猪山直之が突き止める。これは一大事かと思うが、話の落ちもそこまで。
農民一揆の首謀者は捕らえられ、ネコババした同僚は転勤と云う結末で一件落着がナレーションで終わってしまった。
あれ~!、なんだそれでお終いのはなしなんだ!
農民一揆とか、米騒動に関わる勘定の一部始終が出てくるのかと思いきや・・・さてと次の展開へ移る。

リサイクル屋との話では、借金のかたに売り払った現金で、今すぐにでも借金を4割ほど現金で払うから、残りの借金は金利なしの10年払いなどと計算高い一面を発揮し、家族にもお金の大事さを、追求してつとに厳しく当たる。

なるほどと・・・思わせるが、話の展開が軽いんだな 制約された時間内にすべてのパーツを詰め込もうとした凡作。脚本のミスだとおもう。

それにしても、映画の主人公である猪山直之役の堺雅人は、個人的な意見を云わせてもらうと
よくよくカツラが似合わない。まるで七福神の福禄寿のような額が剥げて・・・長いの何の・・・長いんです。目から頭の天辺まで30センチはあろうかと、ひとり笑ってしまった。

江戸時代で金欠になり財政を立て直す話はやまほどある。

その中でも、
記憶に残っているのは、薩摩藩の勘定方であった調所才之助は、浪速の豪商鴻池あたりから500万両という途方もない借金をしていたが、借金棒引きの交渉に乗り出し、島津藩の威光を盾に100年返済と云う途方もない返済方法を飲ませたとある。
島津斉彬が外国から買い付けた大砲やら船が、借金を膨らませたと云われるが。
それでも、このことで明治政府が出来たのであれば100年返済も効力があったと云うべきだろう。

イザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し300万部を超えた大ベストセラー。この書の中に出てくるのが、佐久間象山のいた松代藩。破産寸前の松代藩を救った若き家老恩田杢民親の話。

思い切った財政の指針を打ち出し、励行させる。
これは、日暮硯に詳しく書かれている。
自分に厳しく、そして家族にも厳しさを教え、民衆にはまじめに働くものを優遇する。

いまの日本の財務省の大臣になってほしいと思うが・・・
とくに、日本経済の建て直しには、恩田杢民親が出てきて欲しいな。

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小当たりが続く・・・

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年末ジャンボを購入した。
たくさん残っていたので残り物に福があるでもなかった。

宝くじで立て続けに”当たり!”を連発している友人がいる。
それも一緒に窓口に行き調べてもらうと「おめでとうございます!」の掛け声が聞こえてくる。
最初は50,000円の当たり! 宝くじに50,000円と印字されていた。10,000円以上当たったことのない私は天を仰いだ。これは紛れもなく神の悪戯であろう。
偶然にも次の週も、一緒に窓口に行き調べてもらった。
これまた「おめでとうございます!」の掛け声が聞こえてきた。それも、300円だしてはじめて買ったBIGくじの1枚が3等の大当たりで70,000円。この売り場では換金できないので、どこそこの売り場で換金して欲しいと云われた。
当たった本人は、先週に引き続きなので当選も、しごく当たり前のように、小額ですね!と、うそぶいた。

小当たりとは、大当たりを感じる、来るぞ!来るぞ!の予兆であろうか。
本人曰く、大晦日のジャンボは間違いなく来ますね!と、ニヤッと笑っていた。そんな予感がする。 
その中にあって友人との間には密約がある。
100万円以上の高額当選には、お互いが10%の払い戻しをする云うもの。信頼を基にした取り決めである。法的な効力がまったく発生しないのが辛い(笑)

パチンコを趣味にしている人に聞くと、大当たりの前には小当たりが続くものだと自慢げに聞いたことがあった。やはり、大当たりの前には行くぞ!行くぞ!とお知らせがあり、ドッカ~ン!と、行くのでしょうね。
しかし大当たりには”お化け”なるのもあるらしい。
聞いた話であるが、”お化け”とは、喜びもつかの間で大当たりの1番違い。か、組み違いのことを云うらしい。
これは・・・嫌だなぁ~。
幸運が素通りしていった感じがして、気持ちが悪い。

近くの酒屋さんで販売している宝くじで、いち時期話題になった。
真偽のほどが・・・不明です。

もう、10年ほど前の話で、年末ジャンボを扱っていた。今日がジャンボ最終日で酒屋さんには連番で40枚ほど残っていた。お見えになる方に、ジャンボが残っているんですが・・・と、積極的に勧めていた。
ある方が、「残っているんだ、良いよ 貰うよ!」と、連番の40枚を手にした。するとその中の20枚が49組となっていて、49組を眺めながら「始終苦しみそうだな」と、云って、この20枚はいらないと返品された。
その掛け合いの状況を見られていた次のお客さんが、つかさず「その20枚!俺が買う!」と、申し出られた。
酒屋さんは完売したことで、ホッと胸を撫でられ一件落着と相成った。

ここまでは、よくある話です。

明けて1月1日。酒屋さんは営業されています。
白い息を吐きながらお店に飛び込んでこられたお客さん。
「当たったんだよ!当たったの!」と、ジャンボ宝くじを差し出したそうです。
それは、始終苦しみのは嫌だと返品された49組の宝くじ。3億円の大当たりです。
ヽ(^o^)丿

まさしく残り物に福があるとは・・・世の言い伝えもまんざら嘘じゃないですね。

いまでも、酒屋さんには3億円の大当たりの看板が大きく掲げられている。
ちなみに、私の友人も、この酒屋さんでミニロトの1等が当たり1300万円を手にしている。

黄色い袱紗(ふくさ)ってあるのかな。
包んでおきたい。

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懐かしいわが家

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遠浅の砂浜が広がり、遠くには乱立した岩礁が見える太平洋を望む松林に囲まれた場所に霊園はある。

墓参りの好きな人たちが住んでいるのであろうか、霊園に来るたびにきれいな花に飾られたお墓が目に付く。今は亡くなってしまったが生前の母は地域の方に負けじと墓参りには熱が入り三日と空けずに墓参りに精をだしていた。本人は墓参りは趣味とまで云っていた。

小さいころは、そんな母に連れられて墓に通うのが当たり前となり、墓参りが趣味の域に達していた。墓参りを早めに終えると砂浜にでては、小さく広がる波しぶきに足を入れ砂浜に潜り込んだワタリガニを探し戯れていた。捕ったワタリガニをバケツの中に放り込むと、ワタリガニが必死になってもがく足でガシャガシャと音をたてた。
食べられるのかどうかは分からないが、兄弟で捕獲の競争をして遊んだ。
帰るころになると、数十匹のワタリガニを砂浜に戻して来た。いまだったら何匹かを持って帰りカニ料理に舌鼓を打ったのかも知れない。

墓参りが好きだった母の三回忌の法要があり霊園を訪れた。

霊園のある海と川に囲まれたちっちゃな町に小さいころ住んでいた。
小学校に上がる前まで住んでいたが、断片的な思い出しか残っていない。

砂浜との境界として松林の防風林が1キロほど連なっている。石畳に座り、青白くキラキラと光る波しぶきが打ち寄せる太平洋を眺めると、遠浅の海水浴として賑わうこの浜は穴場の海水浴場です。遠目には豆粒ほどに映るサーファーがサーフボートを漕いで跨いでいる。
夏の光景がまぶしく脳裏をかすめる。

浜を離れると、打って変わって車の往来が激しい国道にぶつかり喧騒の中に身をおく。近隣に観光名所がたくさんあるので、ここは穴場的海水浴場を除けば通過の町です。

Hosoda

国道を山手の方に横切ると清流で名高い一級河川の細田川が悠々と流れている。
むき出しの木造で作られた橋が架かっている。橋の真ん中では竿を持つ地元の方が悠然と川面を眺め釣りに勤しんでいる。なかなかのどかな光景です。
その細田川に掛かる橋のたもとにある瓦屋根の家が見えた。新築で大きな二階建ての家屋がでんと座っていた。なによりも広々とした川が庭になっているのがすばらしい。
小さいころのわが家のあった場所です。
こんな良いところなのになんで引越しをしたんだろう。

庭から川に飛び込み泳ぎを覚えた。まるで川が自宅のプールなんです。
当時は川底が透き通るほどの清らかな水が浪波と流れていた。魚が群れを成し一緒になって泳いだような記憶がある。
そして、当然のように溺れて流され大騒動になったと聞いた。
いまでも泳ぎは好きなので、溺れたことでトラウマにはならなかったようです。

この家を舞台にしたある出来事があった。
毎年、1月3日になると異様な胸騒ぎが起きる。
当時は、まだ馬車が荷物を引きカポカポと闊歩していた時代に、庭に出て国道を駆け抜ける
正月のさなかに駆け抜けるスクーターが珍しく眺めていると、スクーターが曲がり切れずに突進してきた。Wwwww・・・・・
正面衝突です。
衝突の衝撃に空中に舞い上がり側溝に頭から落ちた。だれもが死んだと思ったと云う。
生き延びて今日まできてしまった。

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初雪が大雪・・・

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初雪が大雪になってしまった。

降りそうで降らなかった雪。
雪が降る前触れの稲妻が轟いても降らなかった雪。
・・・が、ついに降ってきた。

見る見るうちに積もり始め30センチを越す大雪です。
雪国なのに・・・道路は大渋滞。
雪なんて、まだ降らない!と、冬用のタイヤに交換するのを拒否していた車が、道路の真ん中で立ち往生して大渋滞のきっかけを作ってしまった。

いたるところでJAFがサイレンを鳴らして走り去っていく。
これも、またタイヤ交換の要請なのでしょう。
JAFにお願いするたびに福沢諭吉は羽根を広げて飛んでいく。

私は、と云えば、雪国では珍しく後輪駆動(FR)の車に乗っている。
友人達には、雪国を舐めている!と、お叱りを受けながら運転しています。

苦肉の策としてトランクには夏のタイヤ4本がすき間なく詰め込まれている。
ブレーキを掛けてもお尻が振らないように・・・と。
ガソリン喰うだろうな。

3月までは、事故がないことを祈りながら心配しながら走ることになる。
しかも坂道は絶対に登れない これまた事故の元です。
大変な車を運転しているようです。

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