« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

泉鏡花の世界

兼六園を散策する。

兼六園の苔が好きで苔ばかりカメラを向けていたことがある。
有名な雪吊りの周りには人だかりがしていますが、梅園には、まだ人もまばらです。紅梅・白梅が咲き始め人々の心を和ませている。

T_img_5304_2

T_img_5306_2

この地、金沢と云えば師匠(尾崎紅葉)の諫言にも耳を貸さず芸者桃太郎と世帯をもった泉鏡花の出身地。師匠の尾崎紅葉に「女を取るか、おれを取るか!」などと、詰問された。新派の十八番である婦系図は自身がモデルかな。反対された結婚であったが師匠の尾崎紅葉を終生にわたり慕い続け、尾崎紅葉死去後の葬儀は陣頭指揮して弟子の役目を果たしている。
尾崎紅葉は泉鏡花の才能に嫉妬したと云う説もある。

そんな物語を念頭に置いて・・・


紅梅・白梅がチラホラと咲く庭園を散策される熟年カップル。

T_img_5311

ご夫婦とは思えないよそよそしさで、微妙な距離を保たれて歩いています。
それとも会話のない冷え切った夫婦なのであろうか。
これがまた偶然にも行く先々が同じで、じっくり観察。

団塊の世代と思しき紳士はコーディロイのブレザーに身を包み、高級カシミヤで作られた長いマフラーを首に巻き中小企業の経営者タイプ、いや評論家タイプかな・・・。婦人はと云うと、痩身な体に、太いラインの入ったニットに衿の大きいツィードのジャケットをさりげなく着こなしている。
大事なバッグを手に持っている。
はじめてのデートでなんだかぎこちない様子。

再婚同士で結婚相談所でお見合いをして、今日がはじめてのデート。そんな感じもする。
肩を並べて談笑することもなく、距離を保ちつつ時おり話しかけられての受け答えをされている。
紳士が、ベンチにでも座りましょうか・・・。
先に座った紳士の横にバッグを置いて微妙な間隔で座るご婦人。

「オイオイ!お互い好きだったら隣にくっついて座ったらどうか!」と、云いたくなる煮え切らない距離を保っている。時おり、ご婦人が携帯を耳に当てる。
結婚相談所のマネージャーか、それとも先夫とのあいだに生まれた子どもから激励の電話かな。
「どう? 話は弾んでいる? 上手くいきそう?」。
ご婦人は苦笑いをしている。

それとも、昨夜は加賀温泉で一泊されての兼六園であろうか。
相性が悪かったのかな・・・。

いや、それとも
紳士は不倫で、業を煮やしたご婦人が私のことをどう思っているのよ!と、昨夜は喧嘩をした。「別れよ、切れろは、付き合う前の若い時に云って」などと
その喧嘩が尾を引いてギクシャクした関係になってしまった。

いやいや、それとも
紳士・ご婦人とも世に云われるW不倫で、「もう別れましょうか・・・」いや別れたくない!だったら一緒に死んで!と、「東尋坊でも行きましょうか・・・」の決断を迫っているのか。

・・・と、大好きな妄想が膨らんでの楽しいひとときです。

T_img_5314

この兼六園は、日本橋時代に泣いて別れたにっくき場所でもあります。

2年ものあいだほぼ毎日欠かさずに手紙をいただいたが、妹としての感情しかなかった。
お茶を飲んだり、食事をしたりのお付き合いは続いたが、彼女は会社を辞めて郷里の金沢に帰った。
それでもなお、手紙の交流は続いた。そんなある日、突然に「この度、お見合いで結婚することになりました。このお手紙が最後になります」の手紙を戴いた。
読み終えた瞬間、心が破裂した私は、顔面蒼白になり、その日のうちに金沢に行き自宅を尋ねた。
ご両親もお見えになって、決断しなかった私の心の中を責めることもなく・・・長いことありがとうございました。となった。
その夜は、お父さんを交えて別れの盃となり飲み明かした。
そして、次の日に兼六園で、彼女が苦労しながらはじめて縫った浴衣を渡された
ベンチに座り、二人して顔は涙でクシャクシャになりながら・・・・・・・。

そして別れた。

T_img_5307

いまどうされているのかな。
この金沢ではチョットした家柄だと聞いていたが・・・
まぁ、これもきれいな良い思い出として残しましょう。

| | コメント (0)

兼六園そして近江町市場

厚い雲の隙間から久しぶりに青空が顔をだしている。
激戦を勝ち抜き金沢の大学に入学が決まったいとこの子どもが寮を確認したいから「連れてってお願い!」と、懇願され高速に飛び乗り、金沢までの180キロのドライブとなった。
いとこの子どもの声に誘発されて、私もわたしもと手を挙げられ4人になった。予定より過体重の方が2名ほど増えてしまい、リッター15キロの車がリッター8キロになりそうだ。ガソリンゲージがみるみる落ちる。

北陸道は東日本大震災の影響なのか、思ったより交通量が少なかった。津波を起こした日本海の海は穏やかで4キロ先の水平線はどこまでも南から北へと長く境界を示している。
そんな中、車両上部に赤ランプを点滅させた真っ赤な消防車両が5~6台が連なり新潟方面に向かっていく。被災地への救援活動に行くようです。また、救援活動を終えて派遣した県に戻る消防車両がSAでひとときの休憩をとっている。 お疲れさまです。

金沢に着くと目に見えて渋滞はひどくなり兼六園あたりは観光客で賑わっているが、お彼岸の連休を考えると50%程度でしょうか。

T_img_5290

T_img_5286

冬の歳時記となっている兼六園の雪吊りは池にせり出した松を見事な職人技で縄紐が自在に操られ芸術品となっている。上越高田城公園の雪囲いも見事だが兼六園はひと味違う趣がある。

妙高赤倉にいる友人に聞くと、大震災の影響でホテルのキャンセルが相次ぎ、スキー場のリフトも止まっている。と聞く。被災地への黙祷と配慮、それにガソリン等のエネルギー節約が日本人の心に明かりを灯している。

いとこの子どもが入る寮の場所と間取りを確認する。
兼六園が近くにあって環境によさそうです。
必要なものは親に買ってもらいな!と、家財一式は拒否したがせめて中古のノートPCあたりは入学祝いとなりそうです。

兼六園のお隣にある金沢21美術館を予定に入れながら、お昼は近江町市場で魚を食べよう!と。
歩いて行く・・・が、10分程度で着くはずの市場が見つからない。
ついには、観光客丸出しで聞くことになる。
「近江町市場はどこでしょうか・・・」
「近江町市場は、まったく逆ですよ!」一同あ然とする。
「歩くと2~30分はかかりますが行かれますか?」と。 お腹も空いてきたので、ハイ!歩きます!

ようやく香林坊の繁華街に着く。
ここでは、猛烈な義援金募集の波状攻撃に出会うことになる。信号を渡るたびに押し寄せる募金活動のみなさま、頭が下がる思いではあります。

しかし、10数人がずらりと並んだ募金活動が、次から次と頭を下げられると。
義援金として寄付するのに何の迷いもありませんが、いかんせん金のなる木を持っていません。
ここは4人で相談して、ひとりづつ分担して思い思いの金額を寄付することにした。

しかし、この世には人の気持を逆なでするような行為もある。
寄付ではないが
ある著名なお寺のお賽銭箱の横に貼り出された「お願い!」の紙が1枚。
「1000円以下のお賽銭はご遠慮下さい」と。
何をかいわんや。だ。

T_img_5330

T_img_5329

近江町市場に着いたのは1時45分。
それでも市場は賑わい、ぶつかり合う人通りです。
魚を食べさせてくれるお店には列が出来て順番を待っています。
何軒か回って並んだ店に入った。狭い店だった。
あれも食いたい、これも食いたいで悩んでも仕方がありません。
ここは人気の海鮮丼(1800円)を注文する。
20分ほど待ったでしょうか

お隣りの席に座った美人の二人連れの方も海鮮丼らしくて早く来た。
食べている感想が聞こえてくる。
「やっぱり、美味しいわね」と。

遅れること5~6分。
やって来ました海鮮丼。
次のひと言で嫌な予感がする。
「味付けのタレは付いていますのでそのまま召し上がってください」
道理で、醤油の小皿が付いてこない。

T_img_5328_2

ひと口食べる。
たしかに刺身に味が付けてあるが「あまい」、それにご飯にまでタレが滲みている
海鮮丼と云えば、ざっくばらんにチラシ寿司の魚だけ。
小皿に醤油を入れて適量のワサビを入れて海鮮丼の上からバァ~とかける。
ワサビ醤油と刺身が絡みあいご飯の味を引立てる。ハズが・・・
甘いタレがまんべんなく絡み合い。
☆ひとつ。

近江町市場を出る頃は大粒の雨が降りだして、街を行き交う人の群は傘の花ば咲き乱れ寒くなる。
兼六園の駐車場まで歩ける範囲であるが・・・ひっきりなしに来るバスに乗る。
アクセスとしてのバスの運行には力が入っているようで2分置きに来ていた。

金沢21美術館のことはうっかりと忘れてしまい。
車に飛び乗り、渋滞に突入して行った。
案の定・・・渋滞から逃げることは出来なかった。

□■□■ 兼六園。お似合いのお二人 □■□■

兼六園でお会いした素敵なカップル。
撮って戴けますか?と、声をかけられデジカメを手渡されたが自信がなかったので
持っているカメラで撮らせていただいた。

ブログの名前を教えましたが・・・お忘れになったかも知れませんね。
2枚のうちの1枚は池面にせり出した有名なお茶屋が入るように画像を編集いたしました。お気に召す画像がございましたらダウンロードしてください。

T_img_5292_3

                   1280PXの拡大画像になります。

T_0115_3

                 

大きい画像になります


| | コメント (2)

モノがなくなる

震災に遭われた方を思うとやるせなく悲しくなります。
生きていて欲しいと願うばかりのそんな日々が続きます。

誘発されているのでしょうか・・・長野県北部での余震が続いています。
ところかまわず「緊急地震速報」が深夜からひっきりなしに携帯に伝えてくる。
余震は怖さが増幅されるが、今度は、秋田沖での地震速報が入ってきた。
ついに来たか、日本海に・・・

そんな折り、東京にいる友人からガソリンがないと涙ながらに訴えてきた・・・
ガソリンスタンドでは売り切れがはじまり3~4ヶ所回ったが徒労に終わったようです。
まだ、こっちではガソリンはあるな~と、タカをくくっていると午後になってガソリンスタンドは軒並み車列ができ渋滞し始めた。ついには「お願い」が書き殴ってある。「地震による大災害でガソリンの供給が難しくなりました。お一人様10リッターの給油制限でお願いいたします」の張り紙が目に付く。

ついには、われ先にと買出しに走った「オイルショック」が蘇った。
先行き不安がもたらす備蓄の心なのでしょうか

私はというと
卓上コンロのガスボンベが少なくなったのでホームセンターに出向く。まさかこんなことになっていようとは思わなかった。
平日の午後にも関わらず大きな駐車場は満車状態で、車の至るところでは、冷たい雨が降り注ぐ寒さに震えながらも、大きなカートにはち切れんばかりに乗せた商品を車のトランクに詰め込んでいます。
すごい光景で、まるで年の瀬の風景です。
いや、年の瀬でもこんなに買い込まないな

店内に入ると積極的節電で店内は薄暗くなっています。
すでに7~8台あるレジには商品を抱えた人の群が長蛇の列をつくっています。
まずは・・・ガスボンベを買い求めに来たので行ってみると、いつもは淋しく積まれている卓上ガスコンロが見当たらず、いつもの棚にはガスボンベもありません。
近くにいた販売員の方に・・・「ガスボンベはどこにいったのですか?」
「ガスボンベですか?」「売り切れです!」
「え~そうなの?」「売り切れなの!」

よくよく店内を見てまわると、ティッシュペーパーやらトイレットペーパーの売り場には人だかりがしています。販売の方が声を枯らしながら次回の入荷が未定です。在庫限りの販売でお一人様2箱でお願いします!のアナウンスが鳴り響く。
とりあえず買っておこうとティッシュペーパー2箱をゲットした。
しかし・・・ガスボンベが買えなかったのは少なからずショックを受けた。う~んざんねん。

それに、いつもは大量に置いてある乾電池の棚は無常にも何一つなかった。
懐中電灯かラジオの予備で乾電池が無くなったのかな。我が家にも市からの借り物で防犯ラジオがある。あれも乾電池なんだけど・・・

Dscn2373

ついでに近くの大型スーパーに寄ると、ここの駐車場もいっぱいです。
棚を見てまわると、カップ麺の棚にはガランとしていて、ひとつもカップ麺がなかった。
カップ麺って食べたことがないので、取り立てて欲しいと云う気持ちにはならないが、棚が空っぽになるほどカップ麺は買い占められたのか・・・う~ん。

ここでは、取り敢えず蕎麦の乾麺を買った。
ガス・電気が不通になり、イザとなったら蕎麦で飢えをしのごう・・・しかしガスボンベがないと蕎麦も茹でられない。
被災者の方のひもじいい食事を思うと贅沢な話ではあります。
ここはグッと我慢しなくてはいけない。

ラジオからは福島第1原発の爆発で人体に影響を与える高濃度の放射線が検出されたと騒いでいる。人体に降り注ぐことは危険極まる大変なことだが、農作物に付着したらどうするんだろう。
近隣の茨城県は惚レタスの名称で天下に名だたる農業王国だ。
生野菜などはすぐに口に入る。お湯で洗えば落ちるの程度の問題なのであろうか・・・心配だ。

しかし・・・
被災者のみなさまの気持ちを思うと、愚痴や文句は云えない。
ここはさらにグッと我慢して再建に向けての復興に手を差し伸べよう。次は原発に頼らないクリーンエネルギー大国を目指さなくちゃ

| | コメント (2)

四十九日のレシピ(家族のあり方)

狭い部屋に乱雑に放り出され、うず高く積まれた本や雑誌を探すのはひと苦労する。
今回も・・・。

料理の本だと思って買ったが積ん読状態でホコリまみれになっていた本を探すことにした。
タイトルを見て前に買ったような気がするな~と、記憶は曖昧であった。
何しろ料理の本なので、気が向いたときにペラペラと捲れば良いかなと軽い気持ちだった。
料理の本は店頭でペラペラと捲り、気に入ると買ってしまう。男子食堂などは買うな~。
しかし、レシピを読み尽くし料理に活かそうとは思っていない。
本から入って次は道具へと・・・形から入るんです。

112

そんな折に
NHKドラマ「四十九日のレシピ」を偶然観た。
料理のドラマだと思った。そして、「四十九日のレシピ」を云うタイトルの本を買ったような気がした。

ドラマは、母親(乙美)が亡くなり、熱田良平がひとり残された。母の遺言を受け継いだと云って、髪を金色に染め日焼けマシンで黒く焼いた肌を誇らしげに見せて突然、家に上がりこんできた少女は井本と名乗った。
乙美は、生前、井本に
「もし、自分が死んだら、捨てるものとか整理するものがいっぱいあって、絶対ダンナさんと百合子が困るから」
「家の片付けとかダンナさんのご飯とか法事とか、そういう細々としたのを四十九日あたりまで面倒みて欲しいって」
と、云って妻の乙美が亡くなって憔悴しきっていた良平を助けに来た。
そして、乙美の使っていた机の引き出しに「暮らしのレシピ」と、書かれた画用紙で作られたカードが分厚い冊子となって綴じられていた。
暮らしのレシピには、料理・掃除・洗濯・美容・その他に分類されイラスト付きで書かれていた。
その中に、葬儀の日のレシピに続いて「四十九日のレシピ」と書いてあるカードが出てきた。

111

良平と乙美のあいだには子どもは出来なかった。
良平は再婚で前妻のあいだに百合子がいた。百合子にとっては乙美は継母で、なかなか打ち解けずにいた。東京の大学に行き、そのまま結婚した・・・が、子どもが出来ずに不妊治療を行っていた。が、結果は芳しくなくウツ状態になってしまった。
そんな時に、夫が不倫に走り、不倫の相手が妊娠してしまった。
寝たきりの義母の面倒を見ながら、家に帰って来ない夫を待ち続けることへのイライラが募り、離婚届にサインをして家を飛び出し、実家に戻ってきた。

家族とは、子どもがいないと話しにならないと云う、世の習いに対するアンチテーゼなのであろうか。
跡継ぎが作れないお前には用がない!だから不倫して外に子どもを作る。
しかし、百合子も好きだし、愛人との性の相性も良いし、別れない。俺の子どもを身ごもった。
そんな身勝手な夫に対して、優しい百合子は義母にも涙を見せ、愛人の連れ子にまで食事を作ったりする。
けなげな百合子であった。
妻妾同衾を夢見る夫に反論もしない。
そんな夫がまだ好きでいた。出来れば・・・別れたくない。が、本心であった。

実家では福祉施設で乙美先生に教わったと云う、日系ブラジル人のハルミが古いフォルクスワーゲン・ビートルに乗って家にやって来た。ハルミも本名ではなかった。良平のお気に入りとなり家の修繕やら、後片付けに精を出していた。

ここまでがドラマの内容。
来週の3月8日が最終回です。「家族の処方箋」

306

積ん読の本の中から「四十九日のレシピ」の本を見つけた。
伊吹有喜著「四十九日のレシピ」。
料理の本ではなくて、書き下ろしの小説でした。

ドラマで出てくるイラスト(絵手紙)が本の中では表現できないのは淋しい。文章だけで絵を思い浮かべる。

乙美の遺言で四十九日の法事は、親戚一同が喪服に身を包み、部屋中に線香の匂いが立ち込め、お経が流れるはず、なのに乙美が残した四十九日のレシピにはお経も線香もいらない。

乙美は料理に舌鼓を打ち、和気あいあいで楽しんで貰いたいことを願っていた。
みんなで乙美の年表を作ろうとするが、祖父の看病で転々として身寄りのない乙美の言動は謎に包まれ、書くことが何もなかった。
年表は空白が多かった。
乙美は福祉施設で絵手紙も教えていた。事あるごとに絵手紙にしたためて百合子に送っていた。
そうだ、年表に絵手紙を貼ろう。
絵手紙には、楽しい思い出として良平やら百合子の笑顔が描かれていた。

乙美の教え子たちがやって来て年表にはこんなことも書かれ始めた。
○年○月「乙美先生、須藤美佳においしい豚まんの作り方を教える」 
○年○月「甥の翔太の喫茶店にカレーうどんのレシピを教える」
などと・・・。

四十九日の法事に百合子と別れた夫(浩之)が喪服に身を包み現れた。良平は家にあげずに外で話をする。
四十九日と云っても線香もお経もない四十九日です。話すことはないのでお帰りください!と。
夫は、涙を流し土下座して謝る。愛人とのあいだに生まれる子どもは認知して養育費を払います。
しかし、どうしても百合子と一緒に暮らしたい。百合子と別れたくない。
はたして、百合子はどうするのかな。

四十九日の一日前に日系ブラジル人のハルミはブラジルに戻っていったが、正体不明の男だった。四十九日をりっぱに務め上げた井本は、働く場所が決まったので、もう来れませんと云って出て行ったが、だれも井本の行き先を知らなかった。

四十九日のレシピの約束を守った井本は人知れず去って行った。

突然現れた井本とハルミは何を意味するのか・・・。
写真嫌いの乙美が唯一残した写真は鬼の面を被った写真だった。それも金髪の髪をしたお面だった。井本(IMOTO)は乙美(OTOMI)・・・かな。
亡くなった良平の前妻万里子は百合子の下の子を身篭って川原で滑って流産した。
ハルミは流産した子どもだったのかな。

ヒアアフター霊能者とスピリチュアリズムが続いてきましたが
これまたスピリチュアリズムを感じさせる内容です。

3月8日 火曜日 夜10時~ NHK「四十九日のレシピ」を、ご覧ください。

| | コメント (0)

生姜ジャムの作り方

作り方を画像で・・・と、メールが来たので簡単な画像で説明。

今回で5回目になる生姜湯を飲むための生姜ジャムを作った。
1袋(100グラム)100円の国産生姜を5袋(500グラム)使用。

T_shoga001

まずは、スプーンの角で生姜の皮を剥ぎ取ります。
ツルンツルンになった生姜を水に付けること3時間。生姜の灰汁を取ったつもり。

T_shoga002

おろし器で1個ずつ摩り下ろします。

T_shoga004

500グラムを摩りおろすと手鍋の半分ぐらいの量が確保出来る。

T_shoga005

まずは中火にして生姜の汁がなくなるまで炒ります。
約8分ほど、焦げないようにまんべんなく掻き混ぜます。

T_shoga007

だいぶ生姜の水気がなくなりました。
グツグツと生姜が音を立てて、早く入れろ!と、要求してくるので
おもむろに用意しておいたハチミツをドバッと投入。
これから約12分はヘラを必死に動かせます。焦げないようにと。

T_shoga008

だいぶ、ジャムらしくなりました。
舐めてみてハチミツの量を確認します。
約20分で掻き混ぜ終了。

T_shoga010

手鍋に入れたまま3時間ほど粗熱を取ります。
用意した瓶に入れて生姜ジャムの完成です。

小さじ一杯をマイカップに入れてお湯を注ぎます。
体の心からホッカホッカになるはずです。
たぶん・・・。

野菜炒めなんかにも大さじ1杯入れます。
まぁ、気休めでしょうか。

| | コメント (0)

本物の霊能者はいるのか・・・

20094640

映画「ヒアアフター」の中で兄を交通事故で亡くした双子の弟が著名な霊能者の降霊会に参加したりする。その他にも霊能者として看板を掲げている人たちに会うが、本物の霊能者はいなかった。
なかなか本物の霊能者はいないですね。

霊能者はアメリカではミディアムと呼ばれている。
現界と霊界との間にたって仲介をしている役目なのであろうか。

心霊研究誌を紐解くと霊能者の大半は低級霊が憑依することによって引き起こされた現象とある。
低級霊に憑依された方は、悩みを解決するほどの力があるのか、ないのか。
総じて霊能を商売とされる方に本物はいないと思っているのですが。

ここに、ある実話があります。

評判の霊能者は、心霊研究家の間では評判になる前から、近在ではつとに有名な霊能者として生活をされていたが、看板をだして「私は霊能者です!」と、大きく宣伝していたわけではない。
有名になる前は遠くから風聞を頼りに、チラホラと尋ねて来られるのを無料で見られていた。

家と云えば、遠くには荒波に揉まれた日本海を臨むことのできる閑静な住宅地に居を構えられていたが、一見してブリキ屋根の朽ち果てそうな家であった。生活の糧はどこにあったかと云うと、日が暮れると繁華街に出て机をだして占いをされていた。相談料は1000円で当たる占い師としてクチコミで広がった。
時折、人づてに家に尋ねてくる方には相談料としての金品は受け取らず、手土産のお菓子などは、礼を云って受け取っていた。それにしても良く当たると評判が評判を呼んだが、霊能者としての本人は、至って謙虚で貧乏慣れをしたのか寂れた佇まいに親子3人で生活をされていた。

霊能者としての素質は、やはり信心の深さでしょうか
中部地方と云うから岐阜かどこかの山奥だと聞いたが、その山奥にある密教系の新興宗教に入信され日々精進されていたと聞いた。霊能と密教は切っても切れない間柄であるが、誰にでも努力すれば備わるものではないでしょう。

その方の家に三日と開けずに通ってくる主婦が、自分を助けてくれた!と、云って自分の体験談をあっちこっちで話をされた。大きな工場を経営されている、あるご夫婦の耳に入った。
そのご夫婦は、人には話せない深い悩みがあって苦悩の日々を過ごされていたで、渡りに船とばかりに「霊能者に会わせて欲しい」と切望された。

その日は、雨がシトシトと降り注ぎ、ブリキ屋根の軒下から雨だれが落ちていたと云います。
日々通ってくる奥さまが、悩みを抱えたご夫婦をお連れすると、玄関先で応対した霊能者は
激しい声で・・・
「チョット待った!そこから動くな!」と、一喝され、奥のほうに向かって「塩!」と叫ばれた。
ひと呼吸、ふた呼吸ののちに、やおら口を開くと「大変な方を連れて来られましたね」と。

塩を手にして呪文を唱えながらご夫婦の全身に塩を掛けられた。
「これは、上手くいかない!」「多分ダメだな・・・」などと独り言を呟きながら、ご夫婦を部屋に通した。ご夫婦には、全身刀傷で血まみれになり、右手には折れた刀を持っている野武士が憑依している。
これは、厄介で、俺の力で外すことができるのか不安だったようです。

その日からご夫婦に対する霊能者の祈祷がはじまり、3ヶ月後に治まった。
悩みを相談されたご夫婦は、表情も一変され悩みが片付いたと云います。
命の恩人とまで云って感謝された。

ここまでは、霊能者が解決した一例です

ただ、霊能者が悪霊を払うときに注意しないといけないのは、払ったはずの悪霊が霊能者本人に憑依することがあります。
この場合も、片付けたはずの野武士の悪霊が・・・。

ある日、悪霊を払って戴いた工場を経営されているご夫婦に霊能者から電話がかかってきました。
「急で申し訳ないのですが・・・お願いがあります。」
「お願いなら、なんなりと・・・」お礼をしようにも受け取らなかった霊能者からのお願いです。

「お金を少しばかり用立てて欲しい」
「いかほどでしょうか・・・」
「7千万円ほど、お貸し願えないでしょうか」
ご夫婦は、大きな工場の経営者です。偶然にも定期預金が満期になり7千万円が手元にあったと云います。
ご夫婦にすれば、霊能者は命の恩人です。
もともと定期で預けていた7千万円です。
「はい。お貸しします」と、なりました。

それから2年が経ちました。
霊能者からの返済はありません。
7千万円のお金はどこに消えたのでしょう・・・家屋が新しくなった様子はないようです。
霊能者は、相変わらず今にも朽ち果てそうな家に住み、夜な夜な街に出て占いをされています。

ご夫婦は、時の経過で資金繰りで必要に迫られ困惑されます。
何度か、返済の目処を聞いたこともあったようですが、返済が履行されることはなかったと。

また2年が経ちました。

事の次第をしたためて手紙を書かれました。
命の恩人である霊能者の先生から返済がないと心中することになりそうです・・・と。

手紙を投函されて3日目に霊能者の奥さまから電話がかかってきます。
「主人が亡くなりました。自殺です」
「遺書が残され、保険金でご夫婦に返済するように」と、書かれてありました。

死期については、2年前から準備されたようです。正気に戻られたんですね。
ご夫婦には7千万円が返済された。

霊能者の奥さま静かに語ってくれた。
霊能者なのに・・・我が身を振り返ることが出来なかったかしら、魔が差したのでしょうね。
霊能者と云えども悪魔の囁きに頷いてしまったのでしょう
お借りした7千万円は新興宗教に寄付された。何が目的で新興宗教に寄付されたのか定かではない。

りっぱな霊能者であったが故に、研ぎ澄まされた霊能は相手の生活すべてが投影され、自由に操ることも出来るのですね。
自業自得とは云え、心霊研究家の間では、あれほどまで精進され的確に導いて来られた霊能者だったのにと、悔やむ声が多く聞かれる。
傑出した霊能者であったようです。
合掌。

「」

| | コメント (2)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »