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Google Earth UFO?

不思議な映像でしばしのひとときを・・・コーヒーでも飲みながらどうぞ。

南アフリカの岬の突端でグーグルアースに映りこんだ話題の動画。

これは、釣り下げたソロバンの玉か? それとも異星人の乗ったUFO?

やらせか、本物かは・・・、責任持てないので、ご自身の判断で。

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昭和38年。コクリコ坂から

コクリコ坂からを見てきた。
1963年(昭和38年)が時代背景となっているので同世代の映画となる。
懐かしい気持ちで思いが募る。

1963年 昭和38年と云えば、国内では吉展ちゃん誘拐殺人事件があり、世界的にはケネディ大統領の暗殺がある。私はと云うと、16歳。寺子屋の高等科1年に在籍し、タコ部屋とも呼ばれた座敷牢で生活をしていた。
TVも新聞も身の回りになかったのでニュースなどは、音楽を聴くために買ってもらった小さなトランジスタラジオが社会との接点だった。・・・が、学生にニュースは不得手の分野でリアルタイムに知ることはなかった。エッ!そんな事件あったの?と、気がつくのは映画館で見るニュース映像だった。

・・・学生の分際で学業以外に興味を持つな!と、云うのが寺子屋の方針だったのか、どうか。さして、面白くない授業を受けていた。

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コクリコ坂から

場所は横浜周辺の港町。
高校に通いながらコクリコ坂の丘の上にある下宿・コクリコ荘を切り盛りする海(16歳)は、毎朝、庭に出ては海を航行する船舶に知らせる信号旗(安全な航行を祈る)を揚げていた。海難事故で亡くなった父への想いが信号旗を揚げる日課となっている。

高校では、ある問題で紛糾していた。文化部の部室が入っている三階建ての建物(通称:カルチェラタン)が取り壊しの運命にあり、反対する文化部の運動に海は巻き込まれていく。
海の運命を左右することになる新聞部の一つ上の先輩・俊と出会う。
下宿の朝夕の賄いを一手に引き受けていた海は目茶苦茶忙しいのに、カルチェラタンの騒動に興味を持ち新聞のガリ版を手伝うことになる。

下宿人の医者が引っ越しすることになり送別会が行われた。カルチェラタン騒動の渦中にある先輩・俊も駆けつけてきた。海は俊に明治以来、大事に守ってきたコクリコ荘を案内する。その時に・・・亡くなった父親の写真を俊に見せる。
海と俊が、淡くも切ない心の葛藤が生まれていく。

余談:
カルチェラタンなんて・・・この時代に、まぁ、なんて先進的でハイカラな響きでしょう 薩摩には決して入ってこない文化です。社会人になってはじめてフランスに乗り込みカルチェ・ラタンの周辺を散策したことがありますが、見るものすべてに感激やら感動の雄叫びを上げて、何故にフランス人で生まれてこなかったのか!と・・・。

昭和39年。東京オリンピックを控え高度経済成長で街中に活気が広がっている。車の往来が激しく、人々が忙しく動きまわる、まるで毎日がお祭り騒ぎ。
ラジオやらテレビから坂本九「上を向いて歩こう」が聞こえてくる。

ハイカラなカルチェラタンの部員たちは、ニーチェやサルトルを座右の書として信奉し、激論を繰り返したのでしょうか
アニメの中で見せてくれるカルチェラタンでうごめく学生たちの夢が詰まり、細部に渡り色や小道具までもが細かい筆致で描かれている。見事ですね。昭和38年が映しだされます。

カルチェラタンでは、自己主張で自由主義の彼たちが闊歩した足あとには散らかしたゴミやホコリが文化のひとつとして刻まれる。

主人公の「海(うみ)」は、映画の中ではメルと呼ばれる。名前は「海(うみ)」なのに、全編を通じて海とは呼ばれず、メルと呼ばれる。いつのまに海からメルに変わったかと不思議だったが・・・何故メルと呼ばれるのかの説明は一切ないが、フランスの文化を取り入れたカルチェラタンの流れでフランス語のラ・メール(海)からきた愛称なのかと、後で思った。分かる人だけ分かれば良い!と、愛称の説明を端折った監督の思い上がった手法だったのかな。

そして、映画ではメルこと海と俊の純愛はどうなっていくのでしょうか・・・ 初恋は成就するのでしょうか。

純愛と云えば、この年にセンセーショナルな本が発売になった。
マコとミコの「愛と死をみつめて」が評判になり、学校でも話題になり貸本屋で借りて読んだ。そして、人目もはばからず目は涙で膨れ上がった。
硬派?で防衛大志望の私は胸を打たれ、ミコの進んだ学校に行きたい・・・と、一気に志望校が同志社に変わった。(寺子屋では同志社と中央大の志望が増えたと噂が広がった)

「愛と死をみつめて」を読んで、いまでも憶えている句がある。

三年(みととせ)に 育て守りし この愛を 何処に埋めん 愛のすべてを


コクリコ坂からは、ジブリのアニメなのでアニメファンが多いかなと思っていたら
いやはや、同世代のご夫婦がたくさんお見えになっていた(笑)

独断と偏見で宮崎アニメのベストファイブをあげると
1:風の谷のナウシカ
2:魔女の宅急便
3:千と千尋の神隠し
4:となりのトトロ
5:天空の城ラピュタ

で、魔女の宅急便は10回以上観た。
まるでアニメおたくのチョイ悪おやじです。

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余命半年・・・

食欲がなく、暗い場所にうずくまり横たわっている時間が多くなった。
時おり、寝返りをうつためにゆっくりと体を起こし、時間をかけて寝る方向を変えて横たわる。
まるで死期を察したかのように・・・。

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20歳になった姫は人間の年で云えば、ゆうに100歳を越える。
柔らかい毛に覆われているので見た目では分からないが、骨が浮き出て背骨がゴツゴツとでている。まるでトントントンと骨の階段が続いているようである。

好きな中落ちのマグロを用意しても、匂いを嗅ぐだけで素通りしてしまい、いまにも倒れそうなヨタヨタ歩く。かろうじて痩せ衰えた体を四肢が支えている。これでは・・・
覚悟を決めないといけないようです。
この地には、親鸞が説法を繰り返し国の重要文化財にも指定されている浄興寺がペットの葬儀も行っている。亡くなった時の手順をしっかりと頭に叩き込み、肝心の費用もチェックする。
友人のニャンコが亡くなったときに市の焼き場に持って行った話を聞いたことがある。
市の焼き場は、持ち込まれるペットの数体がまとめて焼かれた。どの骨がわが家のニャンコなのか分からずにまとめてゴミとして処理されたようだ。
費用は掛からないがこれはいやだな~。

紋の入った愛用の白いT-シャツを用意した。
ニャンコようの白装束です。

狭い部屋の中で排泄する場所が点在する。
その場所には、ペットシートが敷かれ、その上に新聞紙が広げられている。周りには、トイレで流せるちり紙が積まれて、すぐに対処できるようになっているのですが、新聞紙の上が汚れない・・・。
排泄するほどの栄養のカスは残っていないようです。

以前、掛かっていた動物病院が、これがまた下手っぴでヤブ医者だった。痙攣が止まらなかったので、なにかの病気かと心配になり、連れていった。
診察の結果は・・・
腎不全に掛かっていて余命半年と云われた
その際、腎臓サポートのドライキャットフードを山ほど買わされた。

注射を打つこともなく、ましてや薬を飲むこともなく・・・半年は過ぎた。
医者って凄いな~。好き勝手に命日を決めている。

そんなこともあって病院に行くのは極力避けていたが、チョット離れた住宅地に瀟洒な動物病院が開業したのを通りすがりにみつけた。

早速、連れていってみよう。
車に乗るのは嫌いじゃないようで、外の景色を追いかけている。
三度ほど旅行に行ったこともあるのだ。水戸や花巻に行った時もダンボールの中に入って車酔いもせずに爆睡していた。

初診受付で20歳と云ったら、待合にいたペットの飼い主3~4人がビックリして近寄ってきた。
すごい~20歳なんだ・・・
年寄りには見えないね~などとお世辞を云われた。

診察がはじまった。
体重は1.8キロ。もう八百屋の店先でドンと置かれているカボチャより軽い。
背中を掴み持ち上げて・・・唸っている先生は「脱水症状ですね!」
エッ!驚いた。
食欲こそないが、水はたらふく飲んでいる。起き上がるたびにヨタヨタしながら向かう先は水の入った洗面器に一直線に向かう。・・・ので、脱水症状なんて、万が一にもあり得ないと思っていた。
しかし、どうも脱水症状はあると断言する先生殿。

血液検査を行う。
余命半年と宣告された腎不全の症状は・・・と、云うと血液検査を見る限りでは腎臓は
取り立てて、何かをしなければいけないと云うほどのことはないと。至って健康なんだな。

痩せていて、どこに注射を打って良いのか分からず3度ほど位置を間違えて
姫は鳴き叫んだ。
「おい!おい!・・・どこに注射を打っているんだ 痛いよ!」

点滴は大人しく栄養剤を楽しんでいた。

点滴の効果は抜群で、1日5食も食べるようになった。
20歳を越えてからの好物に半熟たまごがある。黄身を一気に食べる。
健康のバロメータと云うべきか・・・。

まだまだ元気でいて欲しいし。
浄興寺は、うんと先の話である。

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信じられない光景

7月15日は満月。

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東の空が真っ赤に染まり始めたころに西の空にはまん丸い月が浮かんでいた。
満月は引力が強くなるのであろうか
なにか引っ張られて行くような気がする。

村上春樹著「1Q84」では、月が二つでてくることになる。満月が二つ出てくると異次元の世界が広がっていて、時間を止めることが出来る。エイヤッ↑(/>_<)/ や!時間よ止まれ!となる。
楽しいな・・・。

また、満月は満月の光を浴びて変身するオオカミ男が大勢いる。
人間の体に変身した下心の野郎は狼の本能が目覚めて、目がギラギラと輝き獲物を襲うイメージがある。まぁ、満月はモンスターの集うひとときなのであろうか。

と、云う満月を眺めて思い出したことがある。
真偽のほどは分からないが・・・あるブログに中国における無慈悲で人権を無視した格差社会がサラッとかいてあった。

ブログを書いている筆者は、中国で仕事をしている村西氏。
引用すると

彼とは反対の方向に向かってタクシーを捜しながら歩き出しました。
すると10mほど前の路上に上半身を道路の上に横たえた少女がいました。
少女の腰から下には布がかけてありましたが、
少女の両足が無いことは見てとれました。

少女は右の手に食堂のケチャップ入れのような大きな空缶を持ち
それで道路を叩いていました。
中には小銭が入っているのでしょう、
ガシャンガシャンという音が鳴っています。
少女はこの缶にお金を恵んで下さい、
と通行人に合図をしているのでした。

辺りを見渡すと少女の雇用主と思われる男が
遠くからこちらの方を見ていました。

そのまま少女の前を通り過ぎると、
少女はガシャンガシャンとたて続けに缶を振りました。
少女を無視して通り過ぎました。

とある。
両足のない少女は物乞いで、通行人にいくばくかの金銭を戴くために缶詰の缶を
道路に打ち付けていた。
どんな理由があって両足を切断する羽目になったのか。見える場所で少女を管理している男が、様子を伺っている。恵みを受けないと痛ましい折檻が待っているのであろう。
となる。

読みながら、ある事を思い出した。

私の育った小さな町にもその光景は見て取れた。
商店街に行くと、街角にゴザを敷いたその上に白装束で片手を失った人とか、足をなくした人とかが
ゴザの前に大きな缶を置き、アコーディオンで哀愁を帯びた音楽を奏でながら道行く人から、少額の金品を貰うために座っていた。
戦争で、弾に当たり重症となって手足を失った人が物貰いとなって座っているんだと親に聞かされた。戦争の被害者で傷痍軍人と呼ばれた。

ある時に、傷痍軍人を伴って頑強そうな男が家にやって来た。
その時に母親は小学校の先生をしながら家で和裁の仕立てもやっていて、傷痍軍人が着ている白装束が傷んできたのでお直しにやって来たのだった。

街角に座っている片手のない傷痍軍人が家にやって来たので、怖くて、隣の部屋の襖からそっと覗いていた。帰って行くと、すぐに母親に、あの怖い白装束の人が何で来たの?と、聞いた。
母親は・・・
うんにゃ。別に怖い人ではないよ。
戦争の被害者で手足が不自由で仕事が出来ないので、そんな戦争の被害者である傷痍軍人をまとめる組織があって、ゴザに座っての物貰いも仕事なんだよ・・・と。聞いた。

組織に加入して、云われるがままに今日は、この町、明日はあの町と移動していくんだな。いつしか傷痍軍人を見かけなくなった。
小さな町だったので、思ったより収入が少なかったのかも知れない。

後年・・・

社会人になって外回りの営業活動をしていると、お得意さまに船でヨーロッパに行った人がいた。
横浜から船に乗り、パリまで行くのに3ヶ月だったか、半年だったか忘れたが、長い時間を船で過ごしたと話された。
そして、補給で寄港した香港での話には、辛い話が盛り込まれていた。
それは、寒い12月で甲板に出ただけで冷たい風が吹き荒れて体を刺していた。
香港の港には今にも沈没しそうなジャンク船が、乗っている客船目がけて四方八方から寄ってくる。客船を取り巻くように寄ってきたジャンク船には、子供たちが無数に乗っていて、みんな裸だった。
客船を見上げて、子供たちを連れてきた大人が大きな声で、持っている硬貨を海に投げろと叫んでいる。
乗船していたアメリカ人が硬貨を海に投げた。
海に落とされた硬貨を拾うために、ジャンク船に乗っている子供たちが一斉に寒い海に飛び込んで硬貨を拾ってくる。
次から次へと客船から硬貨は投げられ、子供たちは海に潜り硬貨を拾ってきた。

話してくれた方は、悲しくて硬貨を投げることが出来なかったと云った。
しかし・・・
硬貨を投げないと、寒さに震える子どもは愛嬌が悪いから、客が硬貨を投げないんだ!と云って折檻を受けるのであろう。
投げたら投げたで寒い海に入り拾わなければいけない。
それでも、海底に沈んで拾わないと、何故持って来ないんだと怒られるんだろうな

中国って何十年経っても、ちっとも変わらないんだな・・・
頻繁に中国に出かける知り合いは
足を無くして、街角に座り物乞いをしている少女は至るところで見かけるし、四肢のない人もいると云う。同じ中国人なのに見て見ぬふりをして平然と通り過ぎる。情けをかける心はないようだ。

経済成長が著しい中国とインド。
貧富の差が激しくて、世界の文盲のほとんどがこのふたつの大国で占められている。
末端で生まれ育った子どもは、暗黒にうごめく闇社会に拾われて奴隷となり、四肢がなくても愛玩やら物乞いとなって働くのであろうか・・・悲しい現実は今もつづく。

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悲しい選挙の思い出

お隣りの市で近々市議会の選挙が行われる。
この選挙には友人の知り合いが出馬を予定して準備をしている。
晴れて・・・当選であることを願う。



選挙と云えば・・・こんな記憶が蘇ってくる。

2001

マンモス中学に通っていた。
70人近い学級が10クラスあった中学2年の時に事件は起きた。

学校の教育的指導だったのか強制的に
クラスから一人ずつの10名の生徒会長の立候補者を出すことが決められていた。

いまの時代、選ばれる生徒会長のことは分からないが、当時の生徒会長は人望があって、賢くて優秀な生徒が選ばれた。チョットした学年のエリート。そんな一部の生徒が生徒会長立候補のタスキを肩にかけて走りまわった。

私のクラスには、とんでもなく傑出した同級生がいた。その男は、人ひとひとで溢れかえる同級生の中で三年間学年で成績1位の座を譲らなかった。秀才との声は街中に広がり、先輩・後輩でも彼を知らない人はいなかった。当然ながら全員一致で秀才K君は候補者として選出された。
先生も申し分ない選出だ! 生徒会長まちがいなし!と、鼻高々だった。

予想もしないことが起きることなど誰が想像したでしょう。

生徒会長を選ぶ選挙にはあるルールがあった。

候補者は応援弁士を選ぶ権利があり、K君の幼馴染だった私は応援弁士として指名された・・・事件はすでに始まったいたんです。
私は、K君の人となりを書いては破り、書いては破りで原稿をしたためた。
親兄弟を生徒達として見立てて聞かせると、笑っていたが良い良いと喜んでいた。

立会演説会。・・・その日は緊張の中、静かにやって来た。

全校生徒が集まり、立錐の余地もない講堂で立会演説会は行われた。
G級だったので、演説順番の時間が廻ってくるには、相当に時間が掛かりそうだったのでK君を生徒会長にするための応援原稿を広げて、K君に原稿を見せたりした。
緊張でお互いの話も笑いも強張っていた。
K君も原稿を目にして「大袈裟だな・・・でも良いか・・・」そんな会話があり 順番が廻ってきた。
原稿を握り締めて、いざ壇上に向かおうとした時に・・・

K君が、原稿をもう一回見せてくれる?と、云って、私の大事な原稿を手にした。
K君は私から原稿を手にするや否や、バリバリバリと原稿を破ってしまった。
「あれ~~~~」私の大事な原稿が・・・
破られた原稿が床に散らばり、私の頭は白い世界が広がり虚無・・・チ~ン!

原稿を見なくても、暗記して空で云えるまで覚えていた言葉のひとつひとつが消えていた。
何も喋る事が出来ない宙に浮いているようで文章が窓から逃げていくのが分かった。

それでも、壇上にあがると、マイクに向かい・・・
「2年G級の○○です。生徒会長立候補者として、2年G級のK君を紹介します」で終わった。
2秒の出来事だった。
紹介されたK君は・・・。
「ただいま紹介された2年G級のKです」で挨拶を終えた。
二人合わせて5秒の出来事であった。

立会演説会が終わるとすぐに、校長室に呼び出され二人雁首揃って連行された。
2時間・・・いや、もっと長かったかな 「お前らは、選挙を愚弄する気か?」と、怒り心頭で口角泡を飛ばす校長・教頭そして担任の唾の嵐を避けることも出来ずに、静かに暮れて行く時間を眺めていた。
二度とするまい。応援弁士は嫌だ・・・。

立候補したK君の処分は・・・立候補棄権で処理された。担任の悲しい顔を忘れることが出来ない。

伝説となったK君に関する逸話がもうひとつある。

公立・私立を問わずすべての中学校が参加した南九州全域の国語・数学・社会・英語の模擬試験が行われた。この模試には、泣く子も黙るラ・サール中学校も参加していた。
試験が終わり、忘れた頃に試験の結果が発表になり、私も試験の結果を受け取った。4桁か5桁だったか思い出さないが途方もない数字で順位が記されていた。

そして・・・K君の成績はと云うと 1 と書かれていた。 ちゃんと目撃したんです。
全校朝礼で校長が顔をクシャクシャにして田舎の中学校が天下のラ・サールに勝ったと喜んでいた。噂によると・・・ラ・サール中学の校長は涙を流したとか・・・そんな噂が広がった。

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安寿と厨子王

空一面は雲が覆い被さり、青空の見えない日が続き、雷神さまのお茶目の次男坊が、飛び跳ねているときにジョウロを倒したのであろうか・・・土砂降りとなって道路を川とかしていた。
そんな長雨もあがると、隠れていたお日様が顔を覗かせると、灼熱の暑さが襲ってきた。
あの・・・土砂降りが懐かしい。
北陸・信越地方も梅雨があけた。

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日本海の夕日が美しく見える季節になったようです。
直江津港を右手に、夕日の映える海岸通りを散策すると曲がり角に小さな慰霊碑が建っている。
素通りしてしまいそうなそんな慰霊碑は・・・
森鴎外「山椒大夫」で苦難の人生を歩く事になった『安寿と厨子王』の碑が
日本海の夕日を受けて輝いて建っています。

安寿恋しや ほうやれほ
厨子王恋しや ほうやれほ

小さい頃に読んだ本は三つ子の魂となって物語がよみがえってきます。
いまもって忘れる事の出来ないフレーズです。

『安寿と厨子王』は各地に足跡があり記念碑が建っています。

直江津のこの地と佐渡が舞台となった。
悲しい運命がはじまった。

筋書き・・・
安寿と厨子王の父は陸奥の国の役人だったが,濡れ衣の罪を得て九州に流された。14歳と12歳の姉弟は母とともに父を訪ねる旅に出た。
安寿と厨子王たちはこの直江津で、人買いに騙されてしまうのです。
母と乳母は佐渡へ、安寿と厨子王は丹後の国の山椒太夫へと売られていきました。
安寿は海で潮を汲み、厨子王は山で柴を刈り、奴隷として苦しい毎日を過ごすこととなります。
物語の中に、2人を救う地蔵尊像の話が出てきます。安寿と厨子王が山椒太夫の屋敷で仕置きを受け、やけどを負ったとき、母から預かった家宝の地蔵尊像に祈りを捧げると、不思議や痛みは消えたそうです。
この話の由来を持つ地蔵尊像が、いわき市の住吉山通照院に保存されています。

最後の場面は・・・涙なくして読めません

安寿恋しや ほうやれほ   厨子王恋しや ほうやれほ
とつぶやきながら、盲いとなって鳥を追う母親に、厨子王は近寄り守り本尊の地蔵を額に押し当てる。その時干した貝が水にほとびるように、両方の目に潤いが出た。女は目が開いた。「厨子王」と云う叫が女の口から出た。二人はぴったり抱き合った。

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日本海に浮かぶ雄大な夕日に照らされた慰霊碑を見る度に
安寿恋しや ほうやれほ   厨子王恋しや ほうやれほ を思い出してしまいます。

この物語も一種の拉致ですよね
残酷ですね・・・。

直江津の由来は、天地人で名を馳せた武将直江兼続から付けられています。

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森の住人・ムササビのおでまし

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人里はなれた森の山奥に廃校となった校庭には、森の主として夜間パトロールを欠かさない可愛いムササビ!が住んでいる。

夜行性(・-・)・・・ん?のムササビは人の気配を感じる校庭の木に設置されていた巣箱を寝床にしている。
この巣箱はキツツキ用の巣箱だったのをムササビが気に入った様子でいつの間にか巣箱の穴を鋭い歯で大きくしてマイハウスにしてしまった。
いつもは人の気配を感じると用心して中に入って出てこないが・・・少し慣れたのでしょうか、それともご機嫌なのでしょうか たまに顔を見せてくれます。

これがまた・・・可愛い顔をしています。

森の冬は険しいです。
毎年1メートル2メートルもの積雪を記録します。
ムササビも巣箱の中で冬篭りです・・・それとも他に避寒地の場所があるのかも
濃い緑の木々に囲まれた6月の巣箱は快適です。
顔を覗かせ・・・人間の観察も怠りません(後世に残す為に・・・)
それでも、風も吹かない暑苦しい昼間は・・・長い尾っぽをだして昼寝の最中です。

両手を広げてステルス飛行機のように・・・飛ぶ姿を撮影したいと思っています。

まだ独身のようです。
子孫繁栄を願ってはいるのですが・・・いつの事やら

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花嫁

大好き!なエッセーがある。
読みながら、状況がヒシヒシと伝わり、その場にいるような気持ちになります。


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           『花嫁』
                                                 石垣りん

私がゆく公衆浴場は、湯の出るカランが十六しかない。
そのうちのひとつぐらいはよくこわれているような、小ぶりで貧弱なお風呂だ。

その晩もおそく、流し場の下手で中腰になってからだを洗っていると、見かけたことのない女性がそっと身を寄せてきて「すみませんけど」という。
手をとめてそちらを向くと「これで私の衿を剃って下さい」と、持っていた軽便カミソリを祈るように差し出した。剃って上げたいが、カミソリという物を使ったことがないと断ると
「いいんです、スッとやってくれれば」
「大丈夫かしら」
「ええ、簡単でいいんです」と言う。
ためらっている私にカミソリを握らせたのは次のひとことだった。
「明日、私はオヨメに行くんです」
私は二度びっくりしてしまった。
知らない人に衿を剃ってくれ、と頼むのが唐突なら、そんな大事を人に言うことにも驚かされた。 でも少しも図々しさを感じさせないしおらしさが細身のからだに精一杯あふれていた。

私は笑って彼女の背にまわると、左手で髪の毛をよけ、慣れない手つきでその衿足にカミソリの刃を当てた。
明日嫁入るという日、美容院へも行かずに済ます、ゆたかでない人間の喜びのゆたかさが湯気の中で、むこう向きにうなじにたれている、と思った。

剃られながら、私より年若い彼女は、自分が病気をしたこと、三十歳をすぎて、親類の娘たちより婚期がおくれてしまったこと、今度縁あって神奈川県の農家へ行く、というようなことを話してくれた。  私は想像した、彼女は東京で一人住まいなんだナ、つい昨日くらいまで働いていたのかも知れない。 

そしてお嫁にゆく、そのうれしさと不安のようなものを今夜分けあう相手がいないのだ、それで・・・。 私はお礼を言いたいような気持ちでお祝いをのべ、名も聞かずハダカで別れた。

あれから幾月たったろう。
初々しい花嫁さんの衿足を、私の指がときどき思い出す。
彼女いま、しあわせかしらん?



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