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B級グルメを食す

日本海沿岸を走り抜ける国道8号線。
勤労感謝の日の祭日とあって大型トラックの往来は少ないようだ。賑わった海の家は、喧騒は夢のように去り、誰もいない浜辺は静かな時を刻んでいる。
寒風に負けない男たちは、小さな波を求めてボードに跨り沖へ目指している。
冷たかろうに・・・。

友人に誘われて糸魚川まで足を伸ばしている。
糸魚川市に入ると、糸魚川を取り囲む山並みは白い帽子を被っている。
雪に囲まれた冬が目の前に来ていることを、否が応でも知らされる。

B_yakisoba

さて、今日はと云うと・・・

全国的にB級グルメが大流行で、いまでは、どこの町に行ってもB級グルメの出陣旗がいたるところに風に舞い立っている。
ご多分に漏れず、糸魚川でも名物となったB級グルメ「糸魚川・ブラック焼きそば」を食べに行こうとなった。しかし、どうもB級グルメと言えば「焼きそば」しか思いつかないほど、焼きそばイコールB級グルメではないかと思ってしまう。

先だっても、糸魚川のブラック焼きそばに対抗して、上越ではホワイト焼きそばと銘打って、狼煙をあげた。黒白ではカッコも付かないだろうって、赤倉では名前にちなんだレッド焼きそばを打ち上げた。これで、紅白に黒が入って巴合戦となった。
ただ、合戦に参加するのは良いのだが・・・、どれも焼きそばなんだな~。

糸魚川市のパンフレットを見ると

おいしい食の宝庫・糸魚川の飲食店などの有志が創作した「糸魚川ブラック焼きそば」が、糸魚川市内の飲食店で提供されています。
 「糸魚川ブラック焼きそば」は、中華麺に新潟県産のイカとイカ墨を加えて作る料理で、その真っ黒な麺が味覚と視覚に強烈なインパクトを与えます。イカ以外に使う具材や、味付け(ソース味、塩味など)は店によって異なり、それぞれの店ならではの味を楽しめます。
 提供する店の店先には「糸魚川ブラック焼きそば」と書いたのぼり旗が設置されていますので、それを目印に是非ともご賞味ください!

とある。

早速行ってみよう。
人気店の月徳飯店に入った。地方の大きな中華料理で店内は満席、順番表に名前を書いて待つこと10分ほどでカウンター席に案内された。ここからは、厨房が丸見えで楽しい。
祭日で、混み合っている店内と、忙しく動きまわって料理を作っている厨房の戦いを高みの見物と洒落込んだ。
店内を見渡すと、オーダーは受けたが、料理が運ばれていない席がたくさんある。厨房で何かトラブルでも起きたのかな?と、不安になる。

厨房では、ウエイトレスのみなさんに笑みがこぼれた。
厨房の奥から、話題のブラック焼きそばが次から次へと並べらた。レシートを握りしめたウエイトレスは、素早くトレーにブラック焼きそばを乗せて運んでいる。次から次へと・・・。
みなさんは、ブラック焼きそばをお待ちだったようで、食べる時にイカスミが飛び散らないようにエプロンを掛けている。
ウエイトレスの説明も後回しにして、黒く固まった焼きそばの中に箸を入れて掻き回し、やおら口へと運んでいる。さぁ~最初のひと口で、どうだ!この味は!
みなさん、顔を上げずに黙々と黒く染め上げた焼きそばを食している。
美味しいのか・・・、それとも不味いのか・・・
判断が出来ない。

そんなこんなしているうちに、カウンターの私の席にも名物ブラック焼きそばがドンと置かれた。
これが、B級グルメか これが、糸魚川名物ブラック焼きそばなのか
黒く輝いた焼きそばの上には薄い玉子焼きが乗せられ、縦横一杯にマヨネーズが引かれている。

先ずはひと口・・・

甘い!
それも、味気のない甘さが口元に広がる。ただ黒いだけ・・・
焼きそばの麺は、太くてなんだか伸びきっている。うどんの太さと蕎麦の太さの中間ぐらいであろうか、焼きそばの中にはイカのリングが入れてある。イカリングを食べてみるが、これもイカスミの無味に押されてイカの食感がなくなっている。

途中で、食べるのを止めようかと思った。
お隣で黙々と食べていた友人も、箸が止まっている。

「このひと口が進まない・・・」と、お手上げ状態。

店内を見渡し、ブラック焼きそばを食べたお皿をみると、みなさん完食されている。
ここは、礼儀として完食するのがマナーのようだ。

ラー油をかけて、ようやく 完食!
しかし、不味かった。
B級グルメではなくて、D級グルメではなかったのでしょうか。

お店の看板をパチリと写しましたが、アップするのは遠慮致します。
と云いつつも、口コミの評判は良いのですから、不味いと感じた、私の口がどうもおかしいようです。

しかし、次回はご遠慮申し上げます。

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メザシで一杯

七輪で焼くメザシの香りが漂ってきた。
メザシで一献!
俳句の中で、一番好きな句がある。

    木枯らしや メザシに残る 海の色 

                                        芥川龍之介


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雲のかたち

しばし休憩。

空を見上げると昇竜かな・・・

Dragon

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ドラマ「火車」 面白かった。

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宮部みゆき「火車」
見応えのある良いドラマだった。

□ 火車
仏教用語。
生前悪事を犯した亡者を乗せて地獄に運ぶという、火の燃えている車。

主人公は本間俊介。
冒頭は、刑事として犯人を追い詰めるが犯人の放った一撃で足を撃たれ、現在はリハビリのために休職中。妻を交通事故で亡くして長男と二人暮し。

亡くなった妻の親戚で銀行員の栗坂和也から意外なお願いをされる。
1年半も付き合っている婚約者と買い物をするが、婚約者である関根彰子がクレジットカードをもっていないのでカードを持つように薦めたところ、審査の段階で関根彰子が自己破産の経験者であることが分かる。ことの真偽を問い詰められた関根彰子は、突如、職場からも住まいからも姿を消した。

本間俊介は、歩くリハビリも兼ねて関根彰子の消息を尋ねる。
5年前に自己破産手続きを行った弁護士に会って話をすると、意外な事実が浮かび上がる。

自己破産者の関根彰子と失踪した関根彰子は別人であった。

失踪した関根彰子の手がかりは一切無く、自己破産者の関根彰子の足取りを追っていく。いつ、どんな状況で入れ替わったのかを調べるていく。
自己破産者の関根彰子と失踪した関根彰子の接点はどこにあるのか。

生活感を感じさせない婚約者・関根彰子のアパートにあった1枚の写真に追い詰める重要なポイントが隠されていた。

浮かび上がった接点。

自己破産者の関根彰子の母が階段から転げ落ちて死亡した。
すでに、自己破産していた関根彰子(別称・シーちゃん)は、夜の街で働いていたが、母親の死で200万円の保険金を手にする。
シーちゃんは、保険金で両親のお墓を作ってあげようと墓石屋が主催する墓地見学会のツアーに参加する。ツアーの写真の中に二人の関根彰子が仲良く写っていた。この時は、まだ・・・二人の接点はぼやけている。

安易に作れるクレジットカードから多重債務が生まれ、身の丈に合わない無理なマイホームのローンを組むことで、過激な取り立てにが日常化して、ついには一家離散の憂き目に会う。マイホームの借金で父親は連れ去られ、地獄のタコ部屋にぶち込まれ、母親は夜の街に監禁される。娘は必死になって逃げた。
が、しかし、住所を変更する度に取り立て屋はやって来る。そんな境遇に置かれた新城喬子は身も心もズタズタに破かれて社会の隅っこに追いやられる。
結婚するも、過激な取り立てで離婚して逃げざるえない。いつも、逃げる用意をして生活をしている。

そんな新城喬子は、あるアンケート用紙に書かれた個人情報見ることになる。身寄りのない、天涯孤独の同世代を探し戸籍の乗っ取りを考えのは必然だった、次の次当たりにマークしていた関根彰子の母親が階段から落ちて死んだことを新聞報道で知った新城喬子は千載一遇のチャンスと捉えたのでしょうか・・・。

自己破産した関根彰子が衣装で利用していた通信販売のアンケート用紙に書いたことが偶然にも運命を左右した。

□□□□□□---

いまでは、
取り立てが厳しく、カード破産が相次ぎ国会でも問題になって債務者に有利な配慮となったが、反面、カードの審査も厳しくなり、審査時点で入会お断りも多いと聞く。
インターネットでの買い物では、銀行振込・代金引換・クレジットカードが選べるが、手間を考えると、その場で決済できるクレジットカードは、使い勝手がよく、どうしても使用過多になりがちになる。

こんなケースもある。

友人は、15人ほどが働く小さなお店の経営者。
インターネットでの販売もあって、クレジットカードは肌から放すことができない。ETCカードを含めてガソリンの支払いもすべてカードで行い、毎月20~25万円ほど使い、毎月問題なく引き落とされ支払ってきた。
使用限度額が50万円のために、時として限度オーバーになりかけていた。カード会社から送られてくるメールにゴールドプランならぬステップアップをこの機会に・・・の謳い文句に惹かれて、使用限度額70万円・100万円のコースを申し込んだ。

後日、自宅にカード会社から一通の封書が届いた。
コース変更の手続きに関する書類かな・・・と、期待していると、意に反して、我が目を疑う文章が淡々と事務的に並べられていた。

審査の結果、ご希望に添えなくなり、その結果、いまお使いの50万円コースも取り消しさせて頂くことになり、○月○日を持って使用不可となりました・・・云々。

エ~!。
問題なく使用してきたカードは、すでに数日前から使えなくなっていたと云うことです。
怒りを抑え切れない彼は、カード会社に電話を入れるも、審査の過程をお知らせすることは出来ませんの一点張り。使用され、未請求のカード代金についてはご相談に乗ります
まるで埒があかない。

何が原因でこうなったのか分からないが、ステップアップは巧妙に仕組まれた罠だったのか。
リボ払いをしないカード使用者は、カード会社からすれば、あまり儲けさせてくれる客ではないようだ。カード会社からすれば、リボ払いのお客さまは大得意と云うことになるのでしょうね。

リボ払い・・・チョットあるなぁ~
気をつけよう。

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わしら1等じゃ! 山里のオリンピック

番組表を見ていたら、こんなタイトルが目についた。

わしら1等じゃ! ~城川オリンピック 山里の心意気~

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40数年前に4つの町村やら部落が合併したのを機にはじまった地域の運動会。
遊子川・高川・土居・魚成の小さな山里のオリンピックなんです。
聖火も沿道を駆け抜け、メインスタジオ(校庭)で点火も行われます。
赤・黄・白・青の4つの色で形どられた山里オリンピックのマークが目立ちます。

しかし・・・
年を追うごとに高齢化は進み、数年もするうちに限界集落の烙印が押される、そんな厳しい中でもオリンピックを楽しみにしてきた人々はオリンピックに向けて練習に余念がない。

なによりも、種目が面白いです。
お年寄りのカップルが背中に籠を背負って、ワンバウンドしたバレーボールを籠に入れる競技とか、手作りの孟宗竹で作った竹馬競争があったり、昔なじみのムカデ競争で笑わせたり、缶詰の缶に紐を通して缶の上に乗り速さを競ったり、傑作なのは、「いそげポンコツ」で、子連れ狼で大五郎が乗っていたのを壁を取っ払ったような、木箱に木の車輪を付けて杖2本で漕いでいく。これには車検と評してオリンピックの規則に沿って木箱が作られているか検査をする。

高齢過疎が進んでも競えるよう、ルールは毎年微妙に変わるようです。おらが街のオリンピックにあわせ帰郷する人も多く、地域との絆を再確認する。山里に暮らす人々の絆がオリンピックで集結する。

その中でも、オリンピックで青色の旗が翻る遊子川の部落にスポットをあてて進行する。
20代30代がほとんどいないと嘆く遊子川は、団結力が売り物。
小学校の掃除には部落人すべてが参加しての大掃除がはじまる。
そして、伝統を残さないといけないと部落に残る人もいる。

一大イベントのオリンピックが終わった。
家族の絆を再発見したオリンピックでもあった。

小さい頃に・・・
父が勤める病院で職員の家族と入院をしている患者さんを含めた運動会が毎年開かれていた。
いつも、気難しい顔をしていた父が笑顏を見せて競技に参加していたのを思い出した。

・・・が、

嫌なことも一緒に思い出した。
小学校2年だったと思うが、ジャングルジムに登って運動会を眺めていたが、急にお腹が痛くなり、便所・便所・・・と、叫んでジャングルジムから降りたとたん、我慢しきれなくなり地面が便所を化した。

その後、どうなったのか・・・
大声で泣き叫んでいる。ところで私の記憶は消えている。

脳が封印したのでしょう。トホホ

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堀部安兵衛の切腹

11月に入ると、木枯らしが体を襲う日がやってくる。

11月25日は取りも直さず、その日も木枯らしが吹いていた。般若心経でもあげようか・・・。
強烈な印象を残した事件であったが、時代の流れで風化してしまい、歴史の1ページになってしまった。いまさらであるが、過ぎ去った事件でメディアが騒ぐこともない。

しかし
12月に入ると赤穂浪士の両国にある吉良邸への討ち入りが近づくと、メディアは騒ぐ。毎年、毎年、さも解明されていない事件の核心部分が解明された、かのような見出しが踊る。
師走の風物詩なのであろう。

Yasubei

古本屋でフッと目に止まった随筆春秋に面白いエッセーを見つけた。
「介錯人の末裔」(近藤 健)

吉良邸に討ち入ったあと、大石内蔵助以下17名は細川藩にお預けになり、明けて2月4日に切腹の沙汰となった。高田馬場の助太刀で18人切り(実際は3人切り)で有名になった堀部安兵衛の首を撥ねたのが細川藩・米良市右衛門で、時を経て米良市右衛門の子孫に著者の叔父がいた。

戦後、平和になった日本で米良家だけは、祖母や祖父の突然死が続いて、これは何かの祟りがあるのではないかと、霊感の強い婆さんに神託を仰ぐと「獣を殺める者がいる。倒れている・・・だから、悪いことが起きるんだ」

武士の家系で占いに頼るとは・・・何事だ!と、笑ってしまった。

だが、読み進んでいるうちに、介錯人の家系は、やはり血の気が騒ぐのであろうか、二代前の叔父は、これがまたすごい人物で、三島由紀夫著「豊饒の海・第三巻 奔馬」にも、出てくる神風連の乱やら西南の役に参戦して血刀を握りしめ敵陣に向かっている。

血塗られた家系なのであろうか
歴史の本線を歩いていた先祖をお持ちの著者は歴史をいやが上にも回顧することになる。

堀部安兵衛は堀部弥平衛のこどもで親子で討ち入りに参加している。その堀部安兵衛にはこどもがいて脈々と今日まで耐えることなく血は繋がっていると云うのだ。

義士研究家が米良家・堀部家の系譜をみて両者の子孫と分かると、300年の時を経てご対面となった。切腹した堀部安兵衛と首を撥ねた米良市右衛門の子孫が会う場面がある。

目の前に現れた堀部安兵衛のご子孫は、堀部安兵衛の武勇伝から筋骨隆々を想像していたが、意に反して初老のやさ男だった。

面食らった私は・・・
「あっ、どうもその節は、あの、お役目とはいえ、どうも・・・」と、なってしまい、まるで通夜のお悔やみのようになってしまった。
「いえ、いえ、こちらこそ大変お世話になりました」と、満面の笑みで云われたときは救われたと述べている。

縁は異なもの味なもので・・・
お会いしたこの日は、2月4日。まさにこの2月4日は304年前の介錯の日だった。
できすぎた偶然だったのであろうか。

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