白い壁と出稼ぎのダンプカー
壁。
一夜で出来た白い壁が延々と続き、突如として視界を遮っている。
雪だから柔らかいだろうと思うのは早計で、雪が降った夜の冷え込みで、雪はいっきに固くなりまるでコンクリートのようにガチンガチンとなる。屋根の雪下ろしで、誤って屋根から落ちる人の半数は、コンクリートと化した雪塊に頭を打って気絶する。
もしくは・・・雪下ろした雪の中にブボッと落ちて身動きできなくなり酸欠で死亡することもある。
雪下ろしは結構怖いものです。
あまりにも雪の多い地域では、雪下ろしではなくて「雪掘り」と呼ばれている。雪を掘っていってようやく屋根が見えるのであろうか
知り合いの地域では、すでに5メートルを越していると嘆いていた。
こうなると、玄関は雪で埋まり、二階の窓が冬の玄関となるし、雪掘りならぬ雪上げになってしまう。
いま、街中は降った雪を除雪車がフル回転で道路を掻いている。そして掻いた雪を排雪するためのロータリー車がでて雪を集めてダンプカーの乗せる。雪を運んだダンプカーは雪捨場に持って行き、ドカッと捨ててくる。そしてまた・・・雪を積むためにトンボ帰りする。
車で走っていると、県外のナンバーをつけたダンプカーが雪を積んで急いでいる。
山梨・福島・群馬・長野・さいたまなどからの県外の方がダンプカーを背中に背負っての出稼ぎなんです。
除雪は、とっても儲かるらしいです。排雪が終わると大金を懐に入れて凱旋帰国されるのでしょうね。
上越市・妙高市はこの度の大雪で激甚災害に指定され、屋根の雪下ろしに掛かる費用で13万円の補助金が出るそうです。凄いですね。
雪下ろしやら除雪をお願いすると3150円/1Hが決められているようです。
二人でお見えになって、約5時間は作業するので30,000円の出費ですが4回ぐらいは補助金で賄えそうです。
白い壁をみて思い出すのは・・・
思えば染料の見本市が西ベルリンで行われ「行って来い!」と、上司に命令された。ことで後日「壁」を実感することになる。
ルフトハンザに乗り込みパリからボンに飛んだ。
パリから直接西ベルリンに行けば良いのにと内心思ったが西ドイツの首都ボンに着いた。そこで、今は懐かしいパンナムに乗り換えた。
ん? ドイツの飛行機に乗っているのに、なんで乗り換えるの?と疑問が湧いた。
ボンはトランジットではなくてトランスファーだったのかな?
それにしても、わざわざアメリカの飛行機に乗り換えたことが西ベルリンに到着するまで分からなかったが、西ベルリンで迎えに来た駐在に聞くと、納得した!と、云うより敗戦国の悲哀を感じた。
民主主義と社会主義が対峙する狭間にベルリンは置かれた。
西ベルリンは、それこそ一夜にして道路が封鎖されベルリンが分断された。ドーナツ状に東ベルリンが西ベルリンを取り囲んでしまった。その日を境に西ベルリンの人たちは、東側の人質となって籠城生活を余儀なくされたのです。
東ドイツの中にポツンと西ベルリンが取り残された。
自国の領空を主張する東ドイツの空を飛ぶことは出来ない。西ベルリンの人たちは困ったでしょうね。冷戦状態の東西でケンケンガクガクの話し合いをした、その結果、戦勝国のフランス・アメリカ・イギリスの航空会社だけが東ドイツの上空を飛んで良いとなったのですね。
ドイツの航空会社ルフトハンザは許可されなかった。
だから・・・ルフトハンザからパンナムに乗り換えたのでした。
西ベルリンに行くと、寒い11月なのに、歩いているみなさんは薄着なんですね・・・寒くないのかと思ったら寒いけど、日光に当たりたい! 日光浴なんです。
海のない西ベルリンは、陽のあたりも悪くて薄暗い 壁のせいかも・・・
東と西に分けたベルリンの壁は二重になっていました。
壁と壁の間には、あの獰猛なドーベルマンが何十頭と放し飼いされていました。東ベルリンからの脱走を見つけるためだった。
あの刑務所の壁のように、無機質で剥き出しのコンクリートで出来た東西の壁は、恐ろしかった。
ちなみに・・・
東ベルリンから自分宛に手紙を出してみた。封書は禁止されたのでハガキで出した。
約1年後に会社に届いたハガキは文字が見えないほどにペタペタとスタンプが押されていた。
文章は判読出来なかった。
壁がなくなって良かったな・・・。
























