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遠赤外線治療器サガノがやって来た

抗がん剤 ゼローダ300 の服用がはじまった。

朝夕2回の服用で1回7錠を飲む。
これは2週間飲み続け1週間休むのを1クールとして8回続けることになる。
3週間に1回外科の外来を受診して、検尿と血液検査を受診前に行うことを義務付けられている。
白血球やら赤血球やらの値を見ての投薬と思われます。
いまのところ・・・血液検査に異常はないようです。

辛抱のしどころで半年間のがんばりです
決められた時間に決められた量を服用する。
うっかり!をしてはいけない。

抗がん剤ゼローダの副作用として顕著な症例として手足症候群がある。
手足の痺れや腫れに加えてヒビ割れが起きる可能性を指摘されている。

事前の処方として副作用を止める薬剤「ピドキサール錠」を飲むことになった。
この薬の効果で副作用が軽くて済むと良いのですが

手足を冬の乾燥から守るために、保湿クリーム「キュレル皮脂トラブルケア」を用意しました。風呂あがりには足首から足の指・かかと・足の裏に塗ります。また手首から指先にかけて塗りこみます。
なによりも、しめつけない緩い靴下を履いてねます。

昨夜、試してみたら熟睡できた(しかし、夢を見るのは相変わらずで・・・昨夜はウサギが葉っぱを頬張る様子の夢だった)吉凶で言えば、ウサギの夢はどうかな?

通勤やら出かけるときに填める手袋は、お世話になっている方から柔らかいカシミヤ100%にラムスキンで出来たイタリア製の高価な手袋を戴いた。
早く治るようにとの祈りを込めた手袋に感謝に耐えません。ありがとうございます。

Tebukuro

懐かしい遠赤外線・・・。


そして・・・
いまは使用していないからと云って遠赤外線治療器サガノが送られてきた。
サガノと云えば、末期の肺がんに冒された知り合いが藁にもすがる思いでサガノを購入し、遠赤外線に体を浴し頭寒足熱の効果があったのか、どうか、余命3ヶ月が4年もの生き延びた。
その間に、やり残した仕事を片づけ、近場の温泉に家族で行く事が出来たと聞いた。

部屋の片隅にサガノを設置した。
これから30分×3回は入って、遠赤外線の恩恵に与ろうと思っています。
入ることで冷えから体を守り、ガンが消え少しでも効果があるならば嬉しいですね。

服用が始まって4日目。
幸いなことに副作用の気配はない。このまま6ヶ月間いってほしいものです。

追記:
友人が前立腺がんの診断を受けた。
来週から放射線治療がはじまるようです。
ガンは伝染するのかな・・・

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鳥栖工の5点は素晴らしい

Photo

全国高校ラグビーの出場校を見ていたら・・・
とんでもない大差で決着がついた試合があった。

佐賀大会 佐賀工 182 VS 5 鳥栖工

入れも入れたし182点。
佐賀工の選手は前後半の70分を100メートル競争のように疾走していたことになる
佐賀工の強さは定評があるが、問題は鳥栖工の入れた5点です。
昔の点数のようにトライ3点・ゴール2点だと5点になるが
いまの点数はトライ5点・ゴール2点の7点

鳥栖工の5点はトライで入れた5点だと思われる。
エライ!
強者の間隙を縫って入れたトライの5点は100点にも相当する5点だと思う。

思い返せばウン十年前の紅顔の高校生時代に人数が足りないからとの理由で強制的に入部させられたラグビーの部室。汗臭い部室はタバコの煙でモウモウとしていた。
タバコ?
紛れもなく高校生です。青春を謳歌していた花の高校生のはず・・・。
「タバコを吸うことで怖さを忘れるんだ!」この先輩の一言が喫煙人生をスタートさせた。

弱いラグビー部です。
弱いから徹底的にしごかれた。
足を折るのは普通の怪我で誰も同情しない
スクラムで前の奴に脛を蹴られて余りの痛さに意識不明になったこともある。
その度に魔法のヤカンが活躍して水をしこたま飲んだ。
弱いチームの試合は、試合とは名ばかりの公開された喧嘩です。
ジャージを掴まれ投げ飛ばされ、それも首から落とされまるでプロレスのバックドロップです。
ジャージはビリビリに破けて、まるで落武者のよう

佐賀大会 佐賀工 182 VS 5 鳥栖工
の結果を見て、思いだし彷彿させる試合があった。

その日は、小雨ながら全国を制覇した勇者との練習マッチが組まれていて気合が入っていた。雨の中、弱者チームを応援しようとする同級生はひとりもいません。ガランとなった応援席。
試合ははじまった。
スクラムハーフとしてのポジションを任された私は・・・思い出す度に・・・
この試合でボールに何回触ったのであろう。スクラムを組む度にボールは相手ボールです。触りたくても触れません。たまにスクラムにボールを入れると間髪入れずにスクラムは壊され、ボールは取られトライされる。
数えるほどしかボールに触っていない そんな試合でした。

忘れもしない85対0
練習マッチとは云え、無残な負け方をした。
ただ、走った距離で云えば、相手の選手より走ったような気がする。

鳥栖工の5点には賛辞をあげたい。
佐賀工の陣地に飛び込んだだけでも殿様の首をとったのと同じ。

鳥栖工のみなさん182点は忘れましょう
強者を相手に5点とった事を誇りにしてください。

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里を染め抜く紅葉と雪景色

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里山は紅葉の盛りで、標高の低い裏山は綿帽子を被った雪景色です。
なんとも云えないコントラストですね

話によると、信州戸隠は昨晩から降り続いた雪で30センチ~50センチの積雪。大雪のようです。
11月のこの時期に大雪になった戸隠に向かう観光に来た県外の車は、雪にお手上げ、坂道の途中で一歩も動けなく立ち往生していたようです。
もう観光どころではないですね
事故が起きないことを祈るばかりです。

雪国だって、11月の半ば・・・まだ冬用のタイヤに交換しません
雪を覚悟しないといけない光景です。

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抗がん剤 ゼローダ

11月12日。
病理検査の結果が分かった。

10月19日のS条結腸ガンの切除・摘出と一緒に周りのリンパ節も切除された。
切除されたガン細胞とリンパ節は病理検査に回され、組織診断報告書で所見を見せられた。

ステージⅢa    リンパ節に転移している。
これによって予防的抗がん剤の治療を行うことが決まった。

抗がん剤  ゼローダ
服用期間は6ヶ月。

問題は副作用ですね

ゼローダの特徴的な副作用は手足症候群。手足症候群では、手足の皮膚が赤く腫れたり、ひび割れたりして、ひどくなると出血することもある。痛みを伴うことが多く、手袋や靴下を脱ぐように全体の表皮が剥がれることすらある。ゼローダの投与開始から2~4週間後に起こりやすい。

皮膚の弱い私は、ひどい結果になるのではないかと恐怖がつきまとう
半年は何が何でも我慢しないといけない。

この結果によって万歳三唱になるかどうか
家系でただひとりだけ大病を抱え込む私です。

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重湯から退院まで・・・

大腸ガン(S条結腸ガン)が見つかった。 最終章。

術後5日目(水曜日)~術後10日目(退院)

ついには最後の点滴が外された。これで自由の身となり開放された。
食事も7分粥になり、米粒が多くなった
内緒で「ゆかり」を振りかけている

殆ど痛みはなくなったが、ドレンの傷穴から染みてきて腹帯を汚す。
自然と染みもなくなり、きれいになると言われるが、染みが止まるまで退院の話しはないようです。
ただ、腹帯もまだ取れない。
お腹に開けた4ヶ所が動く度に下着で擦れると痛痒いが襲ってくる。

痛いですか?と聞かれると
痛いのか、痒いのか それも体内で痛いのか・・・その感覚が良くわからず
痛痒い感じですと応える

それに今日は体重を測る日です。
すごい期待しているんです

ガン細胞の腫瘍の取り除きは、ガン細胞3~4センチほどの塊に周りの脂肪も塊として切除した。嫁さん曰くだいぶ大きかったよと。体重からすれば2キロぐらいは落ちているだろう
それに、点滴はしていたが、殆ど食事もしなかった。通常で考えれば5キロ減にはなっているはずである。

肥満体のあの体重から7キロはダイエットしているはずである。
体も軽くなったし、自信満々で体重計に乗った

エッ! 手術前に測った体重より2キロ減っていた。
ガックリ・・・。
赤ちゃん用の茶碗に5分粥・7分粥を少量1杯食べて、体重が変わらない。
7キロの減量予定がたったの2キロの減量です。
う~ん残念です。

ドレンの箇所からの染みが取れれば退院だと云われたが、まだ染みはでていて腹帯を汚す。いつになったら染みが取れるのであろうか。

日々、オナラも排便もスムーズに行っている。

9月4日の大腸内視鏡検査でS条結腸ガンが見つかり、10月19日の切除手術まで排便に苦労した。大腸が狭くなり排便がスムーズに行かず、何度も何度もトイレに足を運んでようやく親指大の便が出る。それも血便で黒く染まった便が出る。そんな状況がず~と続いていた。
苦しかった。
トイレに行くのが苦痛で、たまらなく嫌だった。

いまは、考えられないほどの大きさの便が出る
排便って大事なんだなと思う。

ただ手術前と違うことが起きた。

トイレに行きたくなるとお腹が痛くなる か 尻の穴が痛くなる。
それも、オナラなのか排便なのか、その感覚が良く掴めない。
それに、大腸で排便の便を溜めるS条のところを切除したので、便が溜まる場所がなくなり、大腸で排便の準備が出来ると、すぐに「トイレに行け!」と、信号が伝わってくる

それが、腹の痛みになり、尻の穴の痛みになって教えてくれる。

もっかの悩みは、1日に5回も6回もトイレに行く。
その度に排便する。1日1回としてまとめると大量の便が出たことになる。その都度しゃがみ込みのは結構辛いものがある。この状態はいつまで続くのか心配だ。
排便ダイエットだったら成功しそうである。

術後10日目になってドレンからの染みは収まり、出なくなった。
退院の許可も出た。
退院の説明で、腸捻転の恐れがあるので生活での注意事項を説明を受けた。排便に良いからと繊維質ばかりを取らないようにとか、大好きな練りの加工物(カマボコ・ハム・ソーセージ・魚肉ソーセージ)は控えるようにと云われた。
大好きなカマボコもハムも魚肉ソーセージは食べないようにしようと心に決めた。

11月12日に術後・退院してからはじめて外科外来の診察があります。
切除したガン細胞の他の臓器やリンパに転移しているかどうかの病理検査の報告もあるようです。

それによって今後の治療方法が決まるようです。
ある一定期間は抗ガン剤治療を受けることになるのでしょうね
薄い髪の毛が・・・なくなる恐れもあります。

まずは、この度の大腸ガン(S条結腸ガン)が、病理検査で他の臓器やリンパに転移していないことが最大の望みです。

神さま 仏さま
お守りください。祈る気持ちがある。

タイトル---大腸ガン(S条結腸ガン)が見つかった---
は、手術は無事成功して現在はリハビリの最中です。
せめて、あと20年は生存できますように・・・。 で、この項はお終いです。

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腹の中から出ていたドレンが取れた

大腸ガン(S条結腸ガン)が見つかった。 その10。

術後4日目(火曜日)

いつもの習慣で3時40分ともなると自然と目が覚める
外を眺めると、街頭だけがボンヤリと明かりを灯し、街中に暗闇が広がっている。

6時になると検診が行われ体温と血圧それに聴診器での腸の働きを確認される。
この日は、なぜだか体温が高く37度8分。「熱がありそうですか?」に何も感じませんと一過性での高い体温なのか記録して行かれた。

外科の病棟は土日の静寂さを破るように看護師が慌ただしく動き始める。
自由に歩けるようになって、いつも起きがけは待合室に出向き、お湯をポットに汲んでくる。そんな中、待合のテーブルやソファーには病室やベッドに飽きた患者さんがめいめい座って外を眺めておられる。
長い入院生活なのであろうか。
閉じ込められた異空間にいる自分を、窓に映るわが身を眺めていらっしゃるのであろうか
社会復帰をまずは目指すところであろう

9時の外科回診でドレンが取れることになった。
偉い先生が出てきて、やおらピンセットを取り出し体の中から出ている管を抜き取られた。
「何かヌルヌルと云った感触を感じて変な感じがする」
管は取れたようです。
「エッ!それで大丈夫なの?」
傷口を消毒して、大きな絆創膏を張ってお終いです。
これで、歩くにも、寝返り打つにも邪魔だったドレンがとれて、体の中から出てくる血を格納する袋が取り外されてすっきりした。

それに合わせてオシメも外された。
オシメってなんだか落ち着かないな
力んでも出ないし・・・

そうこうしているうちに胸の中がモゾモゾとして痰が切れた。
大きな痰の塊が出てきた。
飲み込まなくて良かった。

今回の術後で良かったのは、いつも毎日出るヘックション(>ω<)/。・゜゜・、が出なかったことと
痰が出なかったこと。痛い時にクシャミと痰が出たら痛みで半狂乱になったと思う。

これで、お風呂に入っても良いですよ・・・シャワー浴ですよ。
それでも、洗髪できると思うと嬉しくなった。
午後1番の予約を戴いた。

体の自由を奪っていた機器類は、あとは点滴1本だけになった。
それも、この袋の6時間で終わりですと
ようやく自由が目の前です。

有料のテレビは殆どBSのワールドシリーズを見ていた。
さすがにメジャーリーグの野球は迫力があるな~、ヤンキースが勝ってイチローが見たかったが、これもない物ねだりです。

食事は5分粥になり、明日からは7分粥になり明後日からはお粥になります。
術後のマニュアルを読むと、退院まで通常食は出なくて退院までお粥とのことです。

トイレには頻繁に行く。
相変わらず、オナラと排便の感覚が掴めずトイレに行くとオナラだけで終わることも多い。
これも慣れなんでしょうか

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尿道に差し込まれた管が取れた

大腸ガン(S条結腸ガン)が見つかった。 その9。

術後3日目(月曜日)
昨夜はお腹のゴロゴロで一睡も出来なかったので疲れた。
体が寝ることを勧めている

今日から食事は重湯から3分粥になり、少し米粒が増えた。
ただ、練った味噌や梅はどうもお粥に合わなく不味い
苦肉の策として、売店に行き「ゆかり」を買ってきた。

9時にある外科の回診でフォーレが外れることが決まった。
知り合いの人はフォーレを入れる時も、外す時も強烈な痛みがあると聞かされていたので、フォーレが外れる嬉しさはあるが痛みを考えると外さないで欲しい気持ちもあった。

「ドクターのお許しがあったのでフォーレを外しますね」
赤ちゃんのようにオシメを外し、スッポンポンにして持ち上げた管をヒョイと外された。痛みがあると覚悟していたが、思いのほかスルリと抜けてあっという間の出来事だった。

フォーレから出てくる小水を溜めるタンクがあったが、食事も水も口にしないのに、何故にこんなにもタンクに小水が溜まるのだろうと不思議だったが、栄養の点滴で体を維持していたのをすっかりと忘れていた。
点滴で吸収した分だけフォーレを伝わりタンクに溜まっていった。
フォーレが外れたが、小水の確認をしたいのでトイレでは小水を別な容器に溜めてくださいと云われた。

今朝から、オナラも排便もなんとか可能になり嬉しくなったが、残るは「痰」があった。
痰は絶対に飲み込まないように・・・と、きつく云われている。
まだ、痰を切る状態もなく、ヘックション(>ω<)/。・゜゜・、も出ない。

体はフォーレも外れてだいぶ軽くなった。
残るは点滴1本に腹の中から出ているドレン(血を溜める)を残している。
ドレンを外すときは、また手術室に行って外すんであろうか・・・とひとり考える。

お風呂に入る許可がまだでない
お腹のドレンが取れないとお風呂も無理なようです。
頭を洗いたい・・・

病室にトイレが付いているので頻繁にトイレの戸を開ける
オナラなのか排便なのか・・・
まだ、どちらとも感じることが出来ない

術後3日で痛みもなくなり安心した。
でも、退院はまだまだ遠い話のようです

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お腹がゴロゴロ鳴って痛い

大腸ガン(S条結腸ガン)が見つかった。 その8。

術後2日目。(日曜日)
痛みもだいぶ和らいできたが、腹筋に力のはいる行動は極力避ける。
この日までに、エコノミー症候群の予防のためのストッキングは脱がされ、酸素マスクも外れた。点滴も2本外れて1本になった。だいぶ自由になりホッとする。
しかし、尿道に差し込まれたフォーレはそのままになっている。
いつになったら外れるのか。

今朝から食事が取れる。術後のマニュアルを読むと重湯のようだ。
8時。きっかりに食事が運ばれてきた。
重湯です。それに練りこんだ梅が付いている。何の味もしない重湯に梅を混ぜて食べるが、そのまま止めようかと思った。・・・が、しかし重湯でもできるだけ完食して欲しいと云われていたので、泣く泣く食べる。

これは、小学1年の時に腎臓で入院した時に、白いご飯に卵の黄身だけが乗っていて砂糖がかけてあった。毎日毎日、ご飯に黄身・砂糖が定食だった。食事療法で「これを食べないと治らないのよ!」と、母にきつく言われ、涙を流しながら食べた。
ことを、思い出した。

できるだけ歩くように。
病棟内を点滴をお供に歩く。歩く度に少し痛みはあるが歩けないほどではない。日曜日なので病棟は静かで看護師さんも少ない。

午後に入ると、今日も体を拭きにお見えになる。
テキパキと着替えをして体を拭いてくれる。体を器用に動かしながら温かいタオルが気持ちが良い。自信喪失した大事なヶ所もゆで卵でも扱うようにさらりと器用に拭かれる。
何千本と手慣れた扱いで品評でもされたかも知れない・・・中の下ぐらいであろうか。

1時間毎に体温と血圧を測る。
そして、必ず「オナラ」は?「痰」は? と聞かれるが、まだ兆候はない。

午後寝ていると、お腹がゴロゴロと鳴りはじめた。
これはオナラかと、思い切って気張ってみるが出そうな状態でゴロゴロが収束してしまう。
もう30秒ごとにお腹がゴロゴロ鳴り、お尻に差し掛かると出ない
そして、強烈にお腹が痛くなる。
オナラが出ないことで腹を刺激しているのであろうか、針で刺したような痛みが襲ってくる。
寝ていられない状態になり、起き上がる。

起きて立っているとゴロゴロも落ち着いて10分に一回ほどに落ち着くが、オナラが出ない苦しみを味わう。オナラを出したいが出ない。腹にガスが溜まり、溜まりすぎて痛い
そして、
横になると、ひっきりなしに起きるゴロゴロの集中攻撃
でようとお尻まで来るのだが、ゴロゴロは収束してしまう
強烈な痛みがお腹を襲う

オシメをしているから、排便になろうと構わないのに、オナラも排便も出ようとしない
痛みが伴ったゴロゴロが、寝ては覚め、覚めては痛いゴロゴロで、この繰り返しが延々続く
寝れなかった。
寝つかれなかった。
一睡も出来ずに朝を迎えた。

そして意を決して、オシメを外してトイレに向かう。
そこで頑張ってみよう
額に汗を滲ませながらゴロゴロを待ち、オナラを出せるように準備する。

そして待つこと15分。
ついに、その時はやって来た
大きなオナラが出た。待ちに待ったオナラがトイレを揺さぶった。
続いて、排便が出た。
これは予想外であったが排便出来た。

オシメには、本能的にまだ抵抗があったのであろうか
・・・オシメのお世話にならなくて良かった。

ホッとした。

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術後1日目~痛い~

大腸ガン(S条結腸ガン)が見つかった。 その7。

術後1日目。
昨日より痛みは和らいだ感じがするが、自由にならない手でベッドを掴み、体を半身起こしてみる。昨日ほどの痛みはないが腹に力が入るたびに激痛が走る。

それに昨日から付けている酸素マスクが邪魔でしょうがない
なんとかマスクを外したい
思い切って酸素マスクを外すと、ランプが点滅して看護師が飛んでくる
どうも酸素の吸引力が弱いようです。
「危険ですからマスクは外さないように」と、注意を受ける。・・・でも外したい!

麻酔の説明を受けた時にも注意されたが、術後すぐに云われたことがある。
痰は絶対飲み込まないように、必ず吐き出してくださいと。

タバコの喫煙の習慣があった10年ほど前は痰は日常的に喉に絡み吐き出していた。タバコを休煙してからは痰は絡まなくなり吐き出すこともない。

そうか、痰が絡む。絶対吐き出すこと。呪文のように唱える。

しかし、痰が絡む兆候がない。痰を吐き出すにも腹筋に力が加わるので、出来れば痰が絡まないで欲しい。それに、毎日一回はヘックション(>ω<)/。・゜゜・とくしゃみをしていたのだが、それが怖かった。ヘックション(>ω<)/。・゜゜・と1回する度に七転八倒の痛みに襲われることが、何よりも嫌だ!

それに、できるだけ早めにオナラを出してくださいと云われる。・・・が、そのオナラが出ない。
早く出さなくちゃと焦る気持ちが、ストレスとなって気が滅入る。

今日は手術したヶ所のX線検査(レントゲン)があります。
自由の利かないこの体でどのようにしてレントゲン室まで行くのかと思っていたら、レントゲンは向こうからやって来た。持ち運べる機器を持ってレントゲン技師は「さぁ~じゃあ行きましょうか」と、「体を向こうに向けてください」???それが出来ないから悩んでいるんだ!と思いつつも
イテテイテテと云いながらも何とか体を横たえると、体の下にX線を止める平べったい板を入れた。
イテ~~~~~~と泣く。
「はい、行きますよ」「息を吐いて!」「はいOKです」
次は「息を止めて!」「はいOKです」

乱暴なレントゲン検査は終わった。
痛みが遠ざかり、ホッと大きく息を吸う。

1時間間隔で看護師がお見えになり、体温と血圧を測る。それに腹帯を外して腸の動きを聴診器で確認する。「腸の動きは良いですね」と、褒めてくれる。

昨夜は痛くて一睡も出来なかったことで、自然と眠くなる
このまま朝が来れば良いな~

ドクターがやって来て、切ったのですから痛いのは当たり前です。
それより、寝たきり老人になるとダメですから、痛くても歩く練習をしてくださいと無理な注文をして出ていった。
横で聞いていた看護師は「少し歩いてみましょうか・・・」と、簡単に云う。
起きることが痛いんだって!何度も云っているだろうが と思うが口に出せない。

ようやくベッドの端に腰を下ろした。
術後1日目。精一杯の動作です。

術後2日目は、大変な日となった。

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S条結腸ガンの摘出手術

大腸ガン(S条結腸ガン)が見つかった。 その6。

10月19日(金曜日)

S条結腸ガンの切除。腹腔鏡での手術がはじまります。

朝7時までにちょっぴりのお水が飲めた。
これから先は水も飲めません。

エコノミー症候群を予防するためにふくらはぎに密着したストッキングを穿く。なかなか1人では穿くことがままならぬストッキングです。術後2日目にストッキングから開放されたが足に空気があたりホッとした気分になった。

9時30分
パンツ一丁で手術着に着替える。重々しい雰囲気が漂う。これから先は外科手術の経験のない私は未知の世界です。(心臓カテーテルは手術ではなくて処置と云われた)

車椅子に乗せられ右手には点滴の棒を握りしめた状態で手術室まで行きます。
手術室は幾つかの部屋に分かれていて、一番奥の手術室に通された。
促され手術台に上がるとすぐに「点滴を切り替えます」と声が聞こえた。

「少し眠くなります」と、聞こえた。

4時20分。
10時30分に手術がはじまり3時に終わったようです。

目が覚めると特別室のベッドに横たわり、口には酸素マスクが取り付けられている。左右の手首には点滴が刺さり、尿道には管が差し込まれている。お腹にも管が通され血が流れ込んでいる。
ベッドの周りには点滅する機器が配置されている。
穿いていたパンツは脱がされ、大事なところにはフォーレ(管)が差し込まれ、オシメをしている。介護老人になった気分でオシメってこんな感じなんだろうな。

女房からは、切除したガン細胞は5センチほどの塊と、腫瘍を取り巻く脂肪も一緒に切除したと
大きな塊を見せられたと云った。
それを聞いて、私は、だいぶ体重が減ったなと思った。
あとでガッカリするのだが・・・。

身動きできない
そして、お腹の筋肉が痛い・・・痛い!
触りたくても、両手には点滴の針が刺さっていて自由を奪われている。
まるで植物人間になったような気分だ
動く度にお腹が痛い・痛い・痛い!

私は閉所恐怖症です。
ジーと同じ姿勢が苦手なんです。身動きできない姿勢は閉所恐怖症の最たるものなんです
高所恐怖症でもあるのですが、閉所恐怖症に比べたら高いところのほうがマシです。

スティーブ・マックイーン「大脱走」を観る度にトンネル工事の場面は汗が流れます。
絶対無理なんです。

身動きできないいまの状態は・・・
もう一度、麻酔を打ってください!と、お願いしたくなります。
寝返りがうてない、仰向けしか出来ないこの体勢は寝たきり老人になりそうです。
寝たきり老人にだけはなりたくない!

右肩を下にする横向きになりたいんです
横向きにするために大きな枕が運ばれてきましたが、少し動く度に痛いんです
イテテテテテ・・・・

痛み止めの点滴を多めにしますね と云われる。
早くやってよ・・・。祈るような気持ち

ウツラウツラとする 時計を見ると8時。
まだ8時なのか・・・時間が遅く感じることがとてもストレスになった

寝つかれない
痛みの連鎖で体中が痛がっている。
横向きになりたい・・・しかし、動く度に痛い 仰向けがなんとかならないのか・・・叫びたくなる

腹腔鏡の手術ではあるが体にメスが入ったのです、痛くて当然です。
早く朝が来ないかな

時計を見ると11時。朝を迎えるにはまだたっぷりと時間はあります。
この痛みが永遠に続くのであろうか
ナースコールのボタンを押す!「痛み止めをお願いします!」と。

仰向けの状態で痛みを我慢しながら朝を迎えた。
痛みは続く。

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手術のための入院

大腸ガン(S条結腸ガン)が見つかった。 その5。

10月17日。入院。
いつまで入院するだろうか、長期入院も覚悟しないといけない。
余裕があったのはこの日だけ。この日の夕方から食事が制限され、18日から絶食なった。

また、18日には執刀医による手術の説明があり、あらゆる可能性を説明された。
問題のバイアスピリンを飲みながらの手術であるが、心筋梗塞の可能性が否定出来ないので、心筋梗塞になった場合は死も覚悟しないといけないし、その時は手術は取りやめますとなった。

手術説明同意書にサインを求められた。
大腸を狭くしている腫瘍は、年ごとに大きくなり腸を塞ぐことになりますが
まだ手術は止めることができます。止めた場合の治療方法も説明された。自然治癒の民間療法に身を任せ、座して死を待つのか、または大金を投じて陽子線治療や、他の治療方法を求めるのか・・・となった。
せめて切腹ではない腹腔鏡での手術なので少し気分は落ち着いている。

もう、まな板の鯉であります。
好きにやってちょうだい!が、本音でしょうか。

家族を集めてくださいとなった訳ではないので、神のご加護を祈るしかないです

下剤が効いたのか、トイレに行く回数が多くなる。

長年、血便で悩んできたが、痔であって欲しいと思っていたが、結果はS条結腸ガンであった。ガンだけは避けて通りたいとの願いも無情にも受け入れられなかった。
19日は早くに血液検査が行われ、手術着に着替えることになっている。
術後は、熟睡できないかも知れないとおもい、早々に布団をかぶって寝る。

いよいよ
明日(10月19日)は手術です。

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S条結腸ガン手術の日が決まった

大腸ガン(S条結腸ガン)が見つかった。 その4。

4泊5日の検査入院が終わった。
手術では心臓に負担が掛かるので、心臓が手術に耐えられるかの検査が示され、外来の診察が終わった12時前後に何日かに分けて検査がはじまった。

まずは、造影剤を使ったCTスキャン。
結腸ガンの細胞が他の臓器(特に肝臓)やリンパに転移していないが目安となるCTスキャンは祈るような気持ちでトンネル中に身を置いた。
特にリンパには転移しやすいとも聞いた。
その時は、ざっくりと切腹(開腹手術)なんだろうな・・・とひとり心配する。

心臓にステントを入れているので、心臓の負荷を調べる検査もあります。
負荷心電図検査では、スポーツジムで慣れているベルトコンベアに乗って歩く・・・ただ歩く。
だんだんとベルトコンベアが坂になり、スピードが増してくる。
それでも歩く、ひたすら歩く・・・もう汗ビッショリです
ついには足を上げることも出来ずにSTOP!もう現界です。
心臓はパクパク ハァハァ云います。

はい、今日の検査はこれでお終いです。

次は負荷心電図検査又は胸部超音波検査(心エコー検査)
きれいな女医さんが、上半身裸の私を抱えるようにグリグリとエコー検査を行います。
詰まっているヶ所はないようですね。・・・と、聞こえる。
抱きかかえられる気持ち良さは、まるで赤ちゃんのようでもあった

胸部レントゲン・不整脈の検査に何度も何度も血液検査は行われた。
貧血気味なのに、それでも容赦なく血液は抜かれていった。

日を改めて循環器内科の外来で結果を聞きに行くことになった。
1.小さな不整脈はありますが、問題となる不整脈はありません。
1.心エコーでもしっかりと心臓は動いています。
1.体力的にも問題はないですね。

しかし、問題があります。と断言された。
バイアスピリンの服用を止めての手術には賛成できません。確率では数パーセントでしょうが、止めることで心筋梗塞になることも否定できません。
検査入院の時には、点滴で処理をしましたが、手術となると血栓が出来やすくなります。バイアスピリンを服用しながらの手術が可能かどうかを検討します。となった。

すべての検査が終わった10月11日には、麻酔医による全身麻酔についての説明が行われた。全身麻酔は点滴を始まるとすぐに意識不明に陥る。その時は人工呼吸となり口に管を挿入して酸素を送り込み万全を期すと云われ、承諾書にサインを求められる。

意識不明であれば、もしかして・・・
臨死体験をする可能性もあるかと思った。

臨死体験と云えば、長年の友人であるW君は学生の時分に750CCのバイクに跨り、颯爽と風を切った瞬間に交差点でダンプカーと衝突して意識不明の重体となった。
救急車に運び込まれ、家族は死を覚悟したが意識不明になった本人は救急車の天井から血だらけになった自分の体を眺めていたと云う。
手術室に運ばれ、ICU. 集中治療室で生死を彷徨っているときも、本人は天井から自分の変わり果てた姿を眺めていたと云います。痛くも痒くもなく「俺はここにいるぞ~」と叫んだと云うが、もちろん誰も気が付かず、酸素マスクを付け、包帯でグルグル巻きにされて痛々しかった。
呼べど、叫べど返答がなく、彼はもうすぐ死ぬんだなと思っていた。

臨死体験中の彼は、天井から自分の体を眺めて、体に戻ろうとするが体の自由が利かずに焦っていた。そして、遠くから太鼓の音と南妙法蓮華経のお経が聞こえてきた。紛れもなく婆ちゃんのお経だ!と思ったと云う。そのお経が、だんだんと大きくなり耳元ではっきりと南妙法蓮華経が聞こえ、太鼓の音がドーンと鳴った瞬間に目が覚めた。
目が覚めたと同時に激痛が走り、七転八倒したと云います。

友人であるW君の臨死体験記です。

臨死体験は望むところであるのですが、体に戻ってこない可能性もある訳です。
そのまま、黄泉の国に飛んでいくことも有り得る話であるのです。

そんなこんなを考えていた。
日記の整理やら、お悔やみを出す住所録も必要になるかも知れないと考えていた。

そして
10月17日の入院が決まった。
9月4日に大腸内視鏡検査でS条結腸ガンが見つかって40日が経過。
手術は10月19日 腹腔鏡での手術で行うと説明を受けた。
造影剤によるCTスキャンを見る限りでは転移はしていないようだと聞いた。
肩の力が抜け、チョット安心した。

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検査入院で再検査

大腸ガン(S条結腸ガン)が見つかった。 その3。

紹介状を抱えて総合病院の受付に並んだ。
紹介状には、大腸内視鏡検査での画像がDVDとなって添付されていた。

まずは、再度大腸内視鏡検査を受けるための診察が示された。
以前に狭心症で心臓カテーテルの処置でステントが入っていることが手術のリスクになると云われる。血栓を避けるために日々飲んでいる血液サラサラのバイアスピリンを一時的にでも飲むことを止めたら、血栓が出来て心筋梗塞になる可能性を指摘される。
バイアスピリンに代わるものが検討された。
バイアスピリンは1週間の効き目があるので、その1週間を点滴による血液サラサラの効果が持続できるようにして内視鏡検査が行われ、その時にポリープは切除する。となった。

検査入院の日は決まった。
会社に仕事を休む手続きを行い 洗面器やら本などの入院一式を抱えて病院の入院受付に並ぶ。6階の645号室。窓際のベッドが用意されている。
すでに、リスクを左右するバイアスピリンの服用をやめているので、すぐに点滴がはじまった。

4人部屋はすぐに埋まった。
聞くとはなしに聞こえてくるのは手術の話が飛び込んでくる。
「そうだ、ここは外科の病棟です。」
「入院と手術はセットなんだ」と、ダンボの耳になり、聞こえてくる話を想像してみる。

ある方は、肝臓の一部を切り取る話をしている。・・・肝臓?思っただけで身震いする
隣の方は、直腸ガンで人工肛門になるのがどうたら、こうたらと話が聞こえる・・・それも嫌だ!

内視鏡検査行われる日は、朝の5時から2リットルもの水に溶かした下剤を2時間かけて飲み干します。1リットルを飲んだあたりからトイレが近くなり、もう5分おき、10分おきにトイレに缶詰。
2リットルもの下剤を飲む頃は、最初は色のついた水がドバドバと出ていたが、だんだんと色もなくなり透明の水便となってシャーと出ます。
だいぶ大腸もきれいになったのではないか

10時に車椅子がベッドの横に置かれる。
入院ファッションに身を包み、点滴を横にして車椅子に乗り込みます。
病人そのものです。 病人ではあるのですが・・・この時点では、あくまでも検査入院です。

内視鏡検査が行われる部屋には診察台が数台あります。
すぐにお尻に穴の開いたパンツに着替えます。
診察台にあがると、お尻を突き出して体を丸めてください
「は~い、それではいきます」
「麻酔は?」と思う間もなく「ズポッと尻に異物が入っていきます」

「オナラしたくなったら、我慢しないでオナラをして良いですよ」
内蔵の中を何かが動き回っています。 いまはどの辺りなんだろう・・・

「それでは、ポリープを切除します」
ガン細胞ではない、普通のポリープを切除したようです。

「さてと、問題はこれですね」
今回はモニターを見せてくれませんでした。
「はい。終了です。」
「センセイ!腫瘍は・・・?」
「手術することが決まっているので腫瘍に印を付けておきました」
「エッ! 印?どんな印なんだろう・・・黄色や緑の色が付いているのであろうか」
「後日、病理検査の結果を報告します」

で、大腸内視鏡検査でポリープを切除して、4泊5日の検査入院は終わった。

これから、手術に向けていろいろな検査が待っています。
点滴は外れて、またバイアスピリンの服用がはじまった。

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大腸内視鏡検査を受ける

大腸ガン(S条結腸ガン)が見つかった。 その2。

9月4日。
大腸内視鏡の検査をはじめて受けた。
検査をする当日の朝からに2リットルもの下剤を飲み干し大腸の中をきれいにして診察台に上がり、お尻を突き出した。ヌルニュルと内視鏡が大腸の中を動くのが分かり、空気を送り込んでいるのかお腹がグルグルと鳴りオナラをしたくなるが、我慢する。この我慢がけっこう辛い。
オナラをしても良いですよ。と声が掛かるが
オナラのつもりが便が出たらどうしようと恥ずかしさで我慢することに

モニターが目の前に置かれた。
大腸の奥まで内視鏡が入りました。いまから大腸の中を調べていきます
ピンク色に染まった大腸はけっこうきれいなものです。
「若々しい色をしているじゃない!」と、自画自賛。

ここに小さなポリープがあります。
これです。これはいつでも取ることができます。

さらに下がってくると、ここにもひとつありますね。
これは約2センチほどの大きさでしょうか もしかしてガン化しているかも知れません。
ガンと聞いて、少しショックな気持ちになる。

問題はこちらです。
大腸の穴を防ぐように、少し大きめのポリープいや腫瘍が現れた。
血便の原因はこれですね。
便が通る度に刺激され血便となって出ていきます。
これは、約4センチほどの塊でしょうか
これほどの大きさになると内視鏡では取るのは難しいです。

血液をサラサラにするバイアスピリンを飲まれていることで、出血の恐れがありますので小さなポリープでも取ることができません。

紙に大腸の図を書かれて説明を受けた。
問題は、曲がりくねったこの場所にある腫瘍です。
「ぶっちゃけ これはS条結腸ガンと呼ばれるガンです」
ガンを宣告された。

紹介状を書きますので総合病院で再検査を受けてください。となった。
遺伝を考えてもガンに冒される比率の少ない私は想像だにしなかったガンを宣告された。
はたして抗癌剤丸山ワクチンの素地を持っている私はガンを克服できたのか・・・

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大腸ガン(S条結腸ガン)が見つかった。 その1。

Chuou

我が家の家系を4代前まで遡り、縦に横にと家系を調べるとガンに冒され、ガンの手術をした人も、ガンで亡くなった人もいない。ガンの遺伝性を考えるととてもラッキーなことでガンに掛かる比率は非常に低い・・・そう信じていた。
その上、小学1年生の時に小児結核と診断され、当時では不治の病だったのか隔離された病棟に寝かされ、毎日お尻にペニシリンを打たれていた。不治の病から生還したとはいえ、たぶん体の中には結核菌の残党がいると思っている。

数年前まで、ガン患者が喉から手が出るほど欲しがった丸山ワクチンは結核菌を培養した薬だと聞いた。聞くに及んで私は小児結核に掛かったことを誇らしげに思い、これで、万が一にでもガンに冒されても、体の中に抗癌剤を持っている私は果てしなくガンに冒されるリスクは少ないと自慢に思っていた。

これでガンは私から果てしなく遠ざかりガンの心配をしなくても良い人生が待っていると思っていた
保険を選ぶ時は、真っ先にガン保険を外した。掛からないガンの為にガン保険に入るなんて、なんて無駄なことをと思っていたのです。

と、思っていた私は・・・

定期的にクリックで診察を受け処方箋をいただく
2ヶ月に一度行われる血液検査で血液が不足していることを指摘された。
「貧血気味ですが・・・思い当たることはないですか?」と、聞かれた。
この時に、思い切って血便が・・・と、云えば良かったものを、私は痔が原因の血便だと思っているので、いや~特別・・・と白を切った。

少し鉄剤を飲みましょうかと「フェルム」の錠剤が加わった。増血への第一歩。
しかし、この時の処方で薬局でフェルムは便が黒くなりますから、「気にしないでください」と念を押された。
黒い便が続いたが「気にしないでください」の一言が、結果的にズルズルとあとまで延ばしてしまった。フェルムを飲み始めるとすぐに黒い便が出てきた。便器の中には、黒い異物の塊を目にして、こんなにも真っ黒な便が出てきて、良いのであろうかと不安が過ぎった。

半年も過ぎたころであろうか・・・
相変わらず黒い便が出てくる。
血液検査をする度に貧血気味は解消されないな~とドクターの声が聞こえる。
本当は、「血便が・・・と言いたいが、血便以外は自覚症状がないので、至って元気です」と応えていた。
その頃になって、少し便に変化が現れた。
便が急に細くなったのです。
「あれ~ 便が細くなったぞ・・・」それに、便がなかなか出にくくなり、我慢していると下痢となった。
便が細くなり、便秘と下痢が繰り返し襲ってきた。

だいぶ遅くなってからではあるが、異変を感じた。
市の広報で大腸ガンの検査として市が補助し1000円で内視鏡検査が受けられるとあった。
手紙の箱から市からの案内を探し、必要な事項を記入してクリニックの戸を開けた。

大腸内視鏡検査は何事も無く・・・終わるように祈った。

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