オヤットサー
おまんさ~!と響きわたった。
一瞬、タイムスリップして30数年前の薩摩にいるかと思った。
年端も行かない私は、15歳にして尊敬する西郷隆盛の地に流浪したが
薩摩の事はさっぱり分かりません。異国の地に行くようなものです。
関が原の戦いで西軍に付いたが、開始と同時に負け戦を悟り、敵中横断を敢行する。背走に次ぐ背走で、甚大な被害を出したが、戦いをしないまま傷だらけの兵士となって薩摩に戻った。
戦況を見て、負け戦をしないのも葉隠(鍋島藩であるが・・・)の精神であろうか。
西軍についたものの、戦いをしなかったことが功を奏したのか外様90万石の大大名です。薩摩隼人の名に相応しい身分です。
お目こぼしを戴きながら、それでも徳川の江戸幕府が嫌いで嫌いで・・・。
江戸からやって来る隠密を探索しやすく、見つけだす為にエイッとばかり、言葉を作っちゃいました。
これが、薩摩(鹿児島)弁の始まりとされる。
15歳の私は市内にいる親戚の家を住所として寄宿舎に預けられた。
向学心に燃えた連中ばかりではなかったが、歩いて通うことの出来ない市外や県外から方言まるだしの坊主頭が40人も集まった。
目を(<●><●> ;)(; <●><●>)ギョロ付かせた40人は40畳ほどの大広間に集められ、先輩の寄宿舎に於ける規則や先輩・後輩を意識する縦社会の説教が始まった。
「おはんらは、今日からこの日置荘(別称へぎそう)の寮生と云うことをわするんな!」と云ったらしい。
・・・云ったらしいと云うのも、後日、鹿児島県川内市から来ていた同級生から聞いた。
この時、はじめて「おはん」と云うフレーズを耳にしたが、「おはん」は西郷隆盛に関する本やら雑誌に良く書いてあったので意味はおぼろげに分かっていた。
先輩の説教は、殆どいや九割九分理解できなかった。
本や雑誌にはルビが振ってあり、話の流れを理解することは容易だったが、生の発言として早口で捲くし立てられる薩摩の言葉に脳は理解することを拒否していた。
それからと云うものは、同じ日本人でありながら日常会話が出来ないストレスに悩まされた。もう頭はパニックで、鬼畜米英語であるが、如何に英語の授業が易しく思えた。授業以外の大学ノート1冊は薩摩の言葉を理解することに費やされた。
同級生は100mのスタートラインに立っているのに、私は150メートル位置に立っていた。そんな感じだった。すべてに負けて当然のスタートだった。
いつしか、夢にまで薩摩弁が出始めると、薩摩弁専用の大学ノートは燃えるゴミとして処分され、似非ではあるが薩摩隼人として世間に紛れ込んだ。
おはんは、名前を呼ばずに相手の事を指すが、おまんさ~となると丁寧語となる。・・・が、いくら丁寧語でも目上の方には失礼となる。あくまでも同輩であり、後輩及び目下に向けた丁寧語である。
ひびき渡った、おまんさ~のフレーズに薩摩での生活を思い出した私だった。
薩摩では、おはんの丁寧語としておまんさ~があったが、この地では相手を指すのに”おまん”と云うのが一般的のようです。
そう云えば、良く云われるな、おまんは・・・・て、
おまんとおはんは、似て非なるようにも感じるが、おまんさ~で同義語となるようです。
そんな事を思っていた。
薩摩の言葉で一番好きな言葉は『オヤットサー』です。
これは、日常茶飯事でどんな時でも、このオヤットサーで意志が通じた。
朝の挨拶も、「オヤットサー イケンヤッタナ」と軽口を叩く
帰りしなにも、「マッゴッチ オヤットサー」と親しみを込めてさよならをした。
「オヤットサー イケンヤッタナ」 おつかれさん 昨日はどんな具合でしたか?
「マッゴッチ オヤットサー」 今日は大変でしたね おつかれさまです!
となる。
因みに・・・
家を守るお母さんのことを「ガマサン」と呼んでいる。
ガマガエルは昼間は池にいて静かにしているが、夜ともなると池から這い出してきて
家を背にして鳴く。家に向って決して鳴かないことから、家を守ると云う意味で
お母さんのことを、親しみを込めてガマサンと呼ぶんです。
私は、昨年母が亡くなるまで、母の事を、ばあちゃんと呼んだことは一度もない。
いつもガマサンと呼んでいた。














