思い出

トイレ掃除の悪夢

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のどかな田園風景が広がる久比岐平野の山裾に友人が瀟洒な家を建てた。
犬を首輪から開放させ自由なドッグランが目的だった。
野生本能むき出しの犬ですから自由を求めて敷地を越えて旅にでて野良犬にならぬとも限らぬ

プロの指導を受けたラブラドールですから、そんな心配はないようです。
それでも大型犬ですから、熊と間違えて猟銃でズドン!と撃たれないとも限らない
と本人は心配していた。

そんな彼から新築なのにトイレのドアが外れた!と涙声で言ってきた。
ドアノブにタオルを掛けていたら愛犬のラブラドールがタオルに噛みつき死に物狂いで引っ張ったことが原因でドアの蝶番が取れたようです。
そんなに簡単に壊れるのか・・・
木の温もりのログハウスです。手作りが売りのログハウスも微妙に設計図と違ったのかも知れないですね。

新しいトイレが壊れた!と聞いて過去の悪夢が蘇ってきた。

遡ること数十年前。
中学三年生になった。木造校舎の中学校だったが新校舎を建築中で、先ずは出来上がった校舎には三年生の教室が割り当てられた。今度はコンクリート製校舎でぶつかると痛そうだった。

休み時間に友人と燥いでいたのだと思う。
トイレのドアノブを思い切り引っ張ったらドアが外れた。まさしく蝶番が取れた。
トイレの前には遠巻きに人が集まりなにやら口々に騒いでいた。トイレを壊した私と友人は壊れたドアを持って佇み、次に起こることが予測できなくパニックの中に身を置いていた。

校長室に呼ばれた。
教頭がいた。教頭はまず私の母のことを暫く会っていないけど元気かと聞いてきた。母とは教師仲間で○○小学校で一緒だと云っていた。母に連絡が行くのかなと内心はとても心配していた。

トイレを壊した罰が決まった。
(新築校舎でドアノブを引っ張っただけで壊れた手抜き工事ではないのかと思ったが、穏便にはいはいと云っていれば母には連絡は行かないだろうと子供心に思った)

罰はとても辛いものだった。
普通の授業が終わり、補習授業の始まる前に女子トイレの1ヶ月間の掃除が決まった。長靴にブリキのバケツそれにデッキブラシに火バサミ(金で出来た長いトング)が用意されていた。火バサミは何に使うのか理解不能だった。

素早く掃除を終えよ。が教頭の指示だったので、授業が終わるとすぐに長靴を履き、バケツに水を張ってデッキブラシで床を擦って行く。五つあるトイレをひとつづつ開けて、水を流しブラシでこする。
トイレにはブリキのバケツのような容器が置いてあり、蓋を開けて中の物を火バサミで掴みゴミを収集する。
容器の中には血で染まった脱脂綿がいくつも詰まっていた。
意味が分からなかった。
五つあるトイレの中にある容器にはすべて血で染まった脱脂綿が詰まっていた。
怪我している人が大勢いるんだなと思った。

次の日も、そのまた次の日もトイレの中に置いてある容器には血に染まった脱脂綿が大量に投げ込まれていた。
相当な大怪我だぞ!と友人と話をした。

意を決してその日は午後の授業を受けずにトイレを見張ることにした。
怪我をしている人がいるので心配になってきたのだ。
ひっきりなしにトイレに入っていくが、誰ひとりとして怪我をしている様子はない。
怪我で青ざめている人もいなかった。

それでも掃除をすると容器の中には血で染まった脱脂綿が詰め込まれ、火バサミで掴んではゴミ箱に入れていった。
掃除も終わりを告げる。1ヶ月はあっという間に過ぎたが血で染まった脱脂綿だけは不明のまま脳の中にこびり付いていた。

家に女性がやって来た。中学二年の幼馴染です。
「聞いた。聞いた!」トイレの掃除をしていたんだって!
女子トイレの掃除で恥ずかしくなかったの? ビックリしたわ!
恐る恐る聞いた。
容器に入っている血染めの脱脂綿のことを・・・。
幼馴染の彼女は大笑いして、今に分かるわよ!と云って可笑しい!と帰って行った。

脳にこびり付いていた血染めの脱脂綿は高校二年生になって
それも一緒に図書部員の女性から説明を受けた。

あの教頭はどうして女子トイレの掃除をさせたのかな・・・。
一緒に掃除をした友人は大手の鉄鋼会社で部長をしている。
彼とは秘密を共有している感じがある。

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小さな町にビッグダディがやって来た

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ビッグダディなるドキュメント番組があるようだが、一度として見たことはない。
大家族の話だと聞いた。器の大きな父親となるのだが、なんでビッグダディと呼ばれるのかわからない。

そのビッグダディが、私の育った田舎に引っ越してきたようです。
宮崎県日南市油津・・・とくれば紛れもなく私の育った風景が広がります。
それも、私の実家から自転車で10~15分ほどの距離に引越ししてきたようです。

近くに住む弟からの電話ではじめて知った。

油津と云えば遠洋漁業の港として小学校のころの社会科の本にその名がでていた。
いまでは漁港としての地位は近在の漁港に主役の座を渡し、油津港は港湾の広さを利用して大型船の停泊やら石油コンビナートや物流の基地として港の風景も様変わりしている


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港としては大きいので大型船が停泊できる。
沿岸を護る海上保安庁の巡視船「たかちほ」の母港であるとおもう。
私が小さい頃は巡視船「こしき」が母港として停泊していた。

日南市(油津と飫肥が合併して出来た)
油津のお隣の町には九州の小京都として人気のある城下町「飫肥」があり、何年かに一度は世界に誇る豪華客船「飛鳥」が寄港して関西方面からの観光客を乗せて来る。

野球への興味は薄らいだが「広島カープ」と「西武ライオンズ」がキャンプを張っている。
プロ野球のキャンプ風景を眺めるのも良い。陽光を浴びオニギリを頬張りながら日長な1日が過ごせます。

海上自衛隊 護衛艦「ひゅうが」が油津港にやって来た
http://youtu.be/Q7WuiMaiaB8

海上自衛隊 掃海隊群が油津港へ入港
http://youtu.be/W8gVdtVOrEI

いまでも台風が来る度に、NHKのニュースでは日南市油津では最大瞬間風速◯◯メートルを記録したとでる。小さい頃は台風銀座と呼ばれ、台風が近づくと父親は納屋に仕舞った板を取り出し窓と云う窓を外から板を打ち付けて強風から守っていた。

子供心に、台風が嬉しくて板で打ち付けられた窓の隙間から灯りが差し込み、薄暗くなった部屋でキャーキャーと騒ぎ、台風が来ると必ず停電になるので部屋の隅々にロウソクを準備した。台風を喜ぶ私がいた。

また太平洋岸で発生する津波情報でも「油津港」は必ずでてくる。
海抜3~4メートルであろうか、低いので日南市は、津波が来るとひとたまりもない。

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油津は港町で海水浴場はないが、お隣の町「大堂津」の浜辺は海水浴場として地元では人気がある。ゆっくりとした波が押し寄せ、サーフィンにも適している。
海の中はどこまで行っても遠浅で泳ぐには最適の浜辺だった。
大堂津の夏の浜辺は太陽が放つ灼熱で熱したフライパンのようで裸足で歩けなかったので海辺まで藁が敷いてあった。異常な熱さだったが今ではどうなんだろう。

6~7万人のそんな小さな田舎の町が「ビッグダディ」が目玉となって、これで過疎化の進む街も観光地になりそうだ。ひと昔は新婚旅行のメッカとして人気のあった日南海岸が復活するかも知れない。

日南海岸が詳しく載っている「日南海岸散歩
http://www.natsuzora.com/iris/index.html

ただ気になるのは・・・
ビッグダディはテレビ朝日系と聞いた。宮崎のテレビ局にはテレビ朝日の系列はない。
果たして地元のテレビでビッグダディを見ることは出来るのか?
CATVがあるから良いのか・・・。

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叶わぬ再会

Facebookに知り合いからメッセージが届き懐かしく読んでいると、ある人を思いだし検索してみた。

たぶんFacebookでは、たくさんの友だちを集めてニコヤカにやっているだろうと思っていていたら、Facebookには登録されていなくて、なんとウィキペディアにその方の経歴が記述されていた。それほどに有名になったんだと、ちょっぴり嬉しくなり彼の才能であれば当たり前かと内心思ったりした。
ところがウィキペディアには、心不全での訃報が記述されピリオドが打たれていた。

知らなかった。10年前に亡くなっていたとは
胸が高鳴りビックリした

彼とは、ヨーロッパ出張の折に二度ほどいっしょに旅行をした。ファッションデザイナーらしくお洒落で本場のパリを散策しても見劣りしない出で立ちで立ち振舞い
ツインのベッドで共に休み、夜の明け方まで語り合い、また夜の街を彷徨えば女の館に入り浸り、狙いがいっしょだったりするとジャンケンしたこともある。

その後・・・
彼は、どこでどう目覚めたのか同性愛に走り、眩いばかりの女性(♂)と同棲をはじめ、デザイナーとして磨きがかかっていき、素材を提案する私とは少しずつ距離が広がり始めていった。
展示会やらショウなどで会うと、手を上げて再会を喜び、時間を忘れて談笑した。

あの時は楽しかったね。また、いっしょにヨーロッパに行こうよ が彼の口癖だった。

業界を離れた私は、彼と会う機会もなくなり音信不通になっていたが
デザイナーとして名誉ある賞を貰ったりして、いかんなく才能を発揮している彼の今を伝えるニュースに嬉しく思っていた。

また、いつの日か会える日があるだろうと思っていたが・・・亡くなっていたとは知らなかった。
喪主がお兄さんだったので結婚はしなかったんだなと私生活が垣間見えた。

合掌。

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わしら1等じゃ! 山里のオリンピック

番組表を見ていたら、こんなタイトルが目についた。

わしら1等じゃ! ~城川オリンピック 山里の心意気~

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40数年前に4つの町村やら部落が合併したのを機にはじまった地域の運動会。
遊子川・高川・土居・魚成の小さな山里のオリンピックなんです。
聖火も沿道を駆け抜け、メインスタジオ(校庭)で点火も行われます。
赤・黄・白・青の4つの色で形どられた山里オリンピックのマークが目立ちます。

しかし・・・
年を追うごとに高齢化は進み、数年もするうちに限界集落の烙印が押される、そんな厳しい中でもオリンピックを楽しみにしてきた人々はオリンピックに向けて練習に余念がない。

なによりも、種目が面白いです。
お年寄りのカップルが背中に籠を背負って、ワンバウンドしたバレーボールを籠に入れる競技とか、手作りの孟宗竹で作った竹馬競争があったり、昔なじみのムカデ競争で笑わせたり、缶詰の缶に紐を通して缶の上に乗り速さを競ったり、傑作なのは、「いそげポンコツ」で、子連れ狼で大五郎が乗っていたのを壁を取っ払ったような、木箱に木の車輪を付けて杖2本で漕いでいく。これには車検と評してオリンピックの規則に沿って木箱が作られているか検査をする。

高齢過疎が進んでも競えるよう、ルールは毎年微妙に変わるようです。おらが街のオリンピックにあわせ帰郷する人も多く、地域との絆を再確認する。山里に暮らす人々の絆がオリンピックで集結する。

その中でも、オリンピックで青色の旗が翻る遊子川の部落にスポットをあてて進行する。
20代30代がほとんどいないと嘆く遊子川は、団結力が売り物。
小学校の掃除には部落人すべてが参加しての大掃除がはじまる。
そして、伝統を残さないといけないと部落に残る人もいる。

一大イベントのオリンピックが終わった。
家族の絆を再発見したオリンピックでもあった。

小さい頃に・・・
父が勤める病院で職員の家族と入院をしている患者さんを含めた運動会が毎年開かれていた。
いつも、気難しい顔をしていた父が笑顏を見せて競技に参加していたのを思い出した。

・・・が、

嫌なことも一緒に思い出した。
小学校2年だったと思うが、ジャングルジムに登って運動会を眺めていたが、急にお腹が痛くなり、便所・便所・・・と、叫んでジャングルジムから降りたとたん、我慢しきれなくなり地面が便所を化した。

その後、どうなったのか・・・
大声で泣き叫んでいる。ところで私の記憶は消えている。

脳が封印したのでしょう。トホホ

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「小さな旅」美作そして湯郷

10月16日。NHK「小さな旅」は岡山県美作市湯郷温泉が舞台だった。

なでしこに湯煙あたたかく~岡山県 美作市湯郷温泉~

湯郷温泉は、サッカーで女子ワールドカップで優勝したなでしこジャパンを下支えしているクラブチーム「岡山湯郷ベル」があり2人の選手が代表に選ばれ活躍した。

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年間100万人近く訪れる湯郷温泉の自慢は美人湯の温泉と女子サッカー。
町あげてのサッカー熱で女子サッカーを温かく見守っている。
ワールドカップで優勝する、ず~と前からのファンが大勢いて、昨日今日ファンになったんじゃない!と、ファン歴の重みを笑顏で応えている。

全国各地から湯郷に来て、一人暮らしでサッカーに打ち込む年端もいかない選手を、心の癒しになれば良いと、農地を開放して花づくりの場を提供したり、レギュラーを目指して必死に頑張っている選手の写真を撮って、親元に送ってあげている方もいる。街全体がサッカーに打ち込む選手を包み込んでいる。

・・・で、温かい気分が伝わってきた。湯郷って良いところだな。

岡山県美作市湯郷と聞いて、数十年前の思い出が脳裏を過ぎり、にわかに胸がドキドキした。薩摩の寺子屋で一人さびしく生活している私に「私と文通しませんか?」と、飛脚便が届いた。
差出人は、岡山県美作市湯郷の同年代の女性で、とても字のきれいな方だった。
判読できないほどのクセ字を得意とする私は・・・ビックリした。と、どうじに字のコンプレックスが、頭を持ち上げ髪の毛を掻きむしった。

返事だけはしておこうと、数行しか書かない1枚の便箋を、余りの乱筆乱文で書いては破り、書いては破って、したためるまでに半日かかってしまった。
祈るような気持ちでポストに投函したが、返信の返信がくるなんて夢にも思わなかった。

数日後、期末考査がはじまる前だと思ったが、分厚い封書が寄宿舎で生活する私の机の上にデンと置かれていた。諦めていた返信だったので飛び上がらんばかりに喜んだ。

1年を通して温暖で、歴史が息づき、住みやすい美作のこととか、湯郷のこととかが書かれ、高校生活の楽しい日々が、ことこまかく便箋にびっしり書かれていた。
もう・・・何度も何度も読み返した。
そして、最後に下手で汚い字に触れられて、下手なことはないですよ、チャンと読めています。と、慰めてあった。

それから、電話もe-mailもない薩摩と美作の遠方文通がはじまった。
住んでいる町の様子にはじまって、楽しい学園生活の話題では、クラブ活動やらテストの結果などが笑いを交えて書かれていた。いつしかお互いの写真が交換された。
それでも、続いたのは第一印象は良かったのでしょうか。
修学旅行で薩摩に行きます。と、書いてきた手紙には嬉しくとも臆病な気持ちがでて隠れたい心境になった。それでも、会える日を指折り数えた。

しかし、
・・・その日は、推薦枠を希望していたある学校の面接がある日だった。
数時間しかない彼女の自由時間とは、すれ違いに終わり
卒業したら会おうね!となった。

お互いが受験を控えて、いつしか・・・行き来する手紙の量が減って行き、疎遠になってしまったが、大学に入ってもほそぼそと手紙の交流は続いた。

後年、中国地方での就職を希望した時期があり、国鉄(JR)の広島鉄道管理局に就職された先輩がいた。後に続け!と、思ったら、超狭き門で受験数200人に対して1人の合格だった。 そりゃ~高下駄履いても無理だわ!
・・・で、彼女との文通は自然消滅して終わった。

文通をすることになった経緯が、今もって分からないが、終わった経緯も良く分からない。
しかし、名前だけは今でも良く覚えている。
岡山・・・美作・・・湯郷と聞くと、甘くてしょっぱい思い出が蘇る。それにしても美作(みまさか)とは、良い名前ですね。

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富士急ハイランドの高飛車は死ぬ

仲間がゴルフに興じているあいだに河口湖の近辺をドライブする。
河口湖大橋の湖畔には、ブリキ玩具で有名な北原ミュージアムがある。まったく興味がないのでパスをする。オルゴールやらガラス工芸の美術館もあったが、たいした好奇心も起きずに素通りする。

若かりしころに部課のレクレーションで3~4度と足を運んだ、富士急ハイランドに出かける。

まだ10時だと云うのに広大な駐車場は満車状態。目の前をロングドライブが堪能できるFUJIYAMAが右に左に大きく揺られ、頂上から真っ逆さまに地を這う・・・乗ったことがあります。
乗ったと云ってもFUJIYAMAが、まだ普通のジェットコースターの時である。

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3回勝負のジャンケンに負けて乗る羽目になった。 死の恐怖と戦った思い出がよみがえる。 あの時は、左右の手はバーを握りしめ目をつぶっていた。隣に座ったS嬢に笑われたような気がしたが。\(^o^)/しながら乗るなんて・・・もってのほかである。

Takabisha

券売所に行くと、高飛車は5時間待ち!FUJIYAMA3時間待ち!
5時間待ちは凄い!どんなものなのか見てみたい。と、高飛車が通りすぎるところに急いだ。
す・ご・い!あれは・・・死ぬな。と思った。

どれも、これも昔と比べて格段に怖くなっている。
死に急ぐのはやめよう・・・。

Baburu

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OB会そして富士山を拝む

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湖畔の夜景に浮かび上がった富士山と月。チョット加工した。

落人先に緊急の連絡が入り、OB会を兼ねたゴルフのお誘いだった。
OB会とは何年振だろう・・・
毎年、欠かさずに行っていた夏のゴルフコンペも33回を最後に途絶えて久しい。
かと、云って急にゴルフと云われても「オ~良いね~」とは云えない。衰えた体には準備期間が必要だ。
準備期間とは、先ずは、先立つ懐を暖かくしないと茶屋でのコーヒーも飲めなくなる。それに、鈍った体には適度な準備運動が欲しい、足腰の弱った昨日今日は、楽しみの後の疲れだけは避けたい。
で、ゴルフは断った。

早速、長野でピックアップするので・・・ヨロシク!となった。

志賀高原でペンションをやっている友人が迎えに来た。
行楽日和の秋の連休に遊びに行くのだが、ペンションは良いのであろうか、人のことであるが気になった。
「いつも寄ってくれるトレッキングの連中だから・・・良いんだよ」と、笑っていた。

車の中では、ひとしきり昔話に花が咲いた。こればかりは、これから会うであろう友人たちの裏話がとても面白い。三角関係のもつれた話やら、出世を棒に振った話やらで盛り上がる。

途中に
諏訪でお昼をし、ゴルフコンペで毎年来ていた小淵沢の富士見カントリーを横目に甲府に出た。
甲府では、酒屋さんにお嫁に行ったK嬢を拾って、目的地の河口湖を目指した。

河口湖は連休の中日で混んでいた。
湖畔に行くと、渋滞はさらにひどくなり一歩も進まない。カーナビは近道を表示するも、表示された近道に入ろうとする車が団子状態で押し合っている。
河口湖大橋に行くまでに1時間は過ぎてしまった。
「トイレはないの?」と、K嬢の訴える声も弱々しく、「まぁ、ここは我慢してもらいましょう」
「トランクに猫の砂を積んでいますが・・・」「使いますか?」などと友人のひと言に、妄想をかきたてる一幕も

友人の別荘に着いた。
10年前に建てた別荘は河口湖畔に佇み、霊峰・富士山を望む最高の場所に建っていた。
午前中までは、雲が掛かり富士山をすっぽり包んでいたが、午後になり、その勇姿を表したと云う。

総勢13人が集まったOB会。
会社の同僚だったり、取引先の同じ世代が集まって出来た旧知の友である。
その中には、今回の別荘を提供してくれた凄い金持ちもいれば、日々の暮らしに困窮している私もいる。歳相応に老けた13人であります。

割烹・仕出し屋から運んでくる豪華食事に舌鼓を打ちながら眺める富士山はきれいだった。
夕日に染まる富士山を見たかったが、雲に遮られて染まる富士山は見られなかった。
この日の、富士山・五合目の駐車場は2時間待ちの行列を作っていたそうです。

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朝もやが立ち込め、静かだった湖面には釣りに興じる人たちが、めいめいのボートに乗り込み釣り場へと急いでいる。プロを目指すも挫折した素人ゴルフの8人はピカピカに磨かれた七つ道具の点検に忙しい。
見送る5人は、パジャマのまま、目の前の富士山を拝んでいた。

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朝もやは湖から湧きあがり、富士山を包んでいたが朝日とともに雲は消えていった。
富士の高嶺ね白雪も・・・って歌もあるが、雪の被っていない富士山もなかなか良い。

台風15号が接近しているが、台風が抜けると本格的な秋が訪れ、
富士山も初冠雪するんだろうな。

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信じられない光景

7月15日は満月。

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東の空が真っ赤に染まり始めたころに西の空にはまん丸い月が浮かんでいた。
満月は引力が強くなるのであろうか
なにか引っ張られて行くような気がする。

村上春樹著「1Q84」では、月が二つでてくることになる。満月が二つ出てくると異次元の世界が広がっていて、時間を止めることが出来る。エイヤッ↑(/>_<)/ や!時間よ止まれ!となる。
楽しいな・・・。

また、満月は満月の光を浴びて変身するオオカミ男が大勢いる。
人間の体に変身した下心の野郎は狼の本能が目覚めて、目がギラギラと輝き獲物を襲うイメージがある。まぁ、満月はモンスターの集うひとときなのであろうか。

と、云う満月を眺めて思い出したことがある。
真偽のほどは分からないが・・・あるブログに中国における無慈悲で人権を無視した格差社会がサラッとかいてあった。

ブログを書いている筆者は、中国で仕事をしている村西氏。
引用すると

彼とは反対の方向に向かってタクシーを捜しながら歩き出しました。
すると10mほど前の路上に上半身を道路の上に横たえた少女がいました。
少女の腰から下には布がかけてありましたが、
少女の両足が無いことは見てとれました。

少女は右の手に食堂のケチャップ入れのような大きな空缶を持ち
それで道路を叩いていました。
中には小銭が入っているのでしょう、
ガシャンガシャンという音が鳴っています。
少女はこの缶にお金を恵んで下さい、
と通行人に合図をしているのでした。

辺りを見渡すと少女の雇用主と思われる男が
遠くからこちらの方を見ていました。

そのまま少女の前を通り過ぎると、
少女はガシャンガシャンとたて続けに缶を振りました。
少女を無視して通り過ぎました。

とある。
両足のない少女は物乞いで、通行人にいくばくかの金銭を戴くために缶詰の缶を
道路に打ち付けていた。
どんな理由があって両足を切断する羽目になったのか。見える場所で少女を管理している男が、様子を伺っている。恵みを受けないと痛ましい折檻が待っているのであろう。
となる。

読みながら、ある事を思い出した。

私の育った小さな町にもその光景は見て取れた。
商店街に行くと、街角にゴザを敷いたその上に白装束で片手を失った人とか、足をなくした人とかが
ゴザの前に大きな缶を置き、アコーディオンで哀愁を帯びた音楽を奏でながら道行く人から、少額の金品を貰うために座っていた。
戦争で、弾に当たり重症となって手足を失った人が物貰いとなって座っているんだと親に聞かされた。戦争の被害者で傷痍軍人と呼ばれた。

ある時に、傷痍軍人を伴って頑強そうな男が家にやって来た。
その時に母親は小学校の先生をしながら家で和裁の仕立てもやっていて、傷痍軍人が着ている白装束が傷んできたのでお直しにやって来たのだった。

街角に座っている片手のない傷痍軍人が家にやって来たので、怖くて、隣の部屋の襖からそっと覗いていた。帰って行くと、すぐに母親に、あの怖い白装束の人が何で来たの?と、聞いた。
母親は・・・
うんにゃ。別に怖い人ではないよ。
戦争の被害者で手足が不自由で仕事が出来ないので、そんな戦争の被害者である傷痍軍人をまとめる組織があって、ゴザに座っての物貰いも仕事なんだよ・・・と。聞いた。

組織に加入して、云われるがままに今日は、この町、明日はあの町と移動していくんだな。いつしか傷痍軍人を見かけなくなった。
小さな町だったので、思ったより収入が少なかったのかも知れない。

後年・・・

社会人になって外回りの営業活動をしていると、お得意さまに船でヨーロッパに行った人がいた。
横浜から船に乗り、パリまで行くのに3ヶ月だったか、半年だったか忘れたが、長い時間を船で過ごしたと話された。
そして、補給で寄港した香港での話には、辛い話が盛り込まれていた。
それは、寒い12月で甲板に出ただけで冷たい風が吹き荒れて体を刺していた。
香港の港には今にも沈没しそうなジャンク船が、乗っている客船目がけて四方八方から寄ってくる。客船を取り巻くように寄ってきたジャンク船には、子供たちが無数に乗っていて、みんな裸だった。
客船を見上げて、子供たちを連れてきた大人が大きな声で、持っている硬貨を海に投げろと叫んでいる。
乗船していたアメリカ人が硬貨を海に投げた。
海に落とされた硬貨を拾うために、ジャンク船に乗っている子供たちが一斉に寒い海に飛び込んで硬貨を拾ってくる。
次から次へと客船から硬貨は投げられ、子供たちは海に潜り硬貨を拾ってきた。

話してくれた方は、悲しくて硬貨を投げることが出来なかったと云った。
しかし・・・
硬貨を投げないと、寒さに震える子どもは愛嬌が悪いから、客が硬貨を投げないんだ!と云って折檻を受けるのであろう。
投げたら投げたで寒い海に入り拾わなければいけない。
それでも、海底に沈んで拾わないと、何故持って来ないんだと怒られるんだろうな

中国って何十年経っても、ちっとも変わらないんだな・・・
頻繁に中国に出かける知り合いは
足を無くして、街角に座り物乞いをしている少女は至るところで見かけるし、四肢のない人もいると云う。同じ中国人なのに見て見ぬふりをして平然と通り過ぎる。情けをかける心はないようだ。

経済成長が著しい中国とインド。
貧富の差が激しくて、世界の文盲のほとんどがこのふたつの大国で占められている。
末端で生まれ育った子どもは、暗黒にうごめく闇社会に拾われて奴隷となり、四肢がなくても愛玩やら物乞いとなって働くのであろうか・・・悲しい現実は今もつづく。

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悲しい選挙の思い出

お隣りの市で近々市議会の選挙が行われる。
この選挙には友人の知り合いが出馬を予定して準備をしている。
晴れて・・・当選であることを願う。



選挙と云えば・・・こんな記憶が蘇ってくる。

2001

マンモス中学に通っていた。
70人近い学級が10クラスあった中学2年の時に事件は起きた。

学校の教育的指導だったのか強制的に
クラスから一人ずつの10名の生徒会長の立候補者を出すことが決められていた。

いまの時代、選ばれる生徒会長のことは分からないが、当時の生徒会長は人望があって、賢くて優秀な生徒が選ばれた。チョットした学年のエリート。そんな一部の生徒が生徒会長立候補のタスキを肩にかけて走りまわった。

私のクラスには、とんでもなく傑出した同級生がいた。その男は、人ひとひとで溢れかえる同級生の中で三年間学年で成績1位の座を譲らなかった。秀才との声は街中に広がり、先輩・後輩でも彼を知らない人はいなかった。当然ながら全員一致で秀才K君は候補者として選出された。
先生も申し分ない選出だ! 生徒会長まちがいなし!と、鼻高々だった。

予想もしないことが起きることなど誰が想像したでしょう。

生徒会長を選ぶ選挙にはあるルールがあった。

候補者は応援弁士を選ぶ権利があり、K君の幼馴染だった私は応援弁士として指名された・・・事件はすでに始まったいたんです。
私は、K君の人となりを書いては破り、書いては破りで原稿をしたためた。
親兄弟を生徒達として見立てて聞かせると、笑っていたが良い良いと喜んでいた。

立会演説会。・・・その日は緊張の中、静かにやって来た。

全校生徒が集まり、立錐の余地もない講堂で立会演説会は行われた。
G級だったので、演説順番の時間が廻ってくるには、相当に時間が掛かりそうだったのでK君を生徒会長にするための応援原稿を広げて、K君に原稿を見せたりした。
緊張でお互いの話も笑いも強張っていた。
K君も原稿を目にして「大袈裟だな・・・でも良いか・・・」そんな会話があり 順番が廻ってきた。
原稿を握り締めて、いざ壇上に向かおうとした時に・・・

K君が、原稿をもう一回見せてくれる?と、云って、私の大事な原稿を手にした。
K君は私から原稿を手にするや否や、バリバリバリと原稿を破ってしまった。
「あれ~~~~」私の大事な原稿が・・・
破られた原稿が床に散らばり、私の頭は白い世界が広がり虚無・・・チ~ン!

原稿を見なくても、暗記して空で云えるまで覚えていた言葉のひとつひとつが消えていた。
何も喋る事が出来ない宙に浮いているようで文章が窓から逃げていくのが分かった。

それでも、壇上にあがると、マイクに向かい・・・
「2年G級の○○です。生徒会長立候補者として、2年G級のK君を紹介します」で終わった。
2秒の出来事だった。
紹介されたK君は・・・。
「ただいま紹介された2年G級のKです」で挨拶を終えた。
二人合わせて5秒の出来事であった。

立会演説会が終わるとすぐに、校長室に呼び出され二人雁首揃って連行された。
2時間・・・いや、もっと長かったかな 「お前らは、選挙を愚弄する気か?」と、怒り心頭で口角泡を飛ばす校長・教頭そして担任の唾の嵐を避けることも出来ずに、静かに暮れて行く時間を眺めていた。
二度とするまい。応援弁士は嫌だ・・・。

立候補したK君の処分は・・・立候補棄権で処理された。担任の悲しい顔を忘れることが出来ない。

伝説となったK君に関する逸話がもうひとつある。

公立・私立を問わずすべての中学校が参加した南九州全域の国語・数学・社会・英語の模擬試験が行われた。この模試には、泣く子も黙るラ・サール中学校も参加していた。
試験が終わり、忘れた頃に試験の結果が発表になり、私も試験の結果を受け取った。4桁か5桁だったか思い出さないが途方もない数字で順位が記されていた。

そして・・・K君の成績はと云うと 1 と書かれていた。 ちゃんと目撃したんです。
全校朝礼で校長が顔をクシャクシャにして田舎の中学校が天下のラ・サールに勝ったと喜んでいた。噂によると・・・ラ・サール中学の校長は涙を流したとか・・・そんな噂が広がった。

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カンニングの手法

静岡県警は13日、静岡市葵区西瀬名町、同県警富士署刑事2課警部補高田喜敬容疑者(46)を犯人隠避教唆、道路交通法違反(ひき逃げ)などの疑いで逮捕した。

発表によると、高田容疑者は12日午後7時頃、同区南瀬名町の県道交差点で乗用車を運転中、右折待ちをしていた焼津市の会社員男性(55)の乗用車に追突。男性と同乗者の会社員女性(40)の首や腕などに軽傷を負わせて逃げた上、自宅にいた40歳代の妻を現場に向かわせて「運転していたのは私です」などと身代わりに出頭させた疑い。

警察官ともあろう者が身代わりで・・・。と、云う事件のようですが、昔の話であるが上野界隈に営業に行くと駐車場がなくて駐車禁止の道路には二重三重の駐車が当たり前で停車していて、免許証が違反で真っ黒に汚れている方は、免許証がピカピカで汚れていない後輩に「お前だったら許してくれる!」なんて、仁王立ちの婦警に人身御供で差し出しているメーカーの友人がいた。これも立派な身代わり。
免停怖さで駐車違反の身代わりにペーパードライバーを差し出すのは奥の手だったのでしょうね。

身代わりと云えば・・・やったことがある。何十年前の話だから時効でしょうか。
小学生の頃から通っていたソロバン塾で中学になって2級の腕前になった。商業高校を目指して簿記でも取得したらりっぱな経営者になったのであろうが・・・。ソロバンとは関係ない道に進んでしまった。

高校時代にクラブ活動で知り合いになった商業高校の友人がいた。簿記で必須のソロバン3級が取れなくて悩んでいると相談に来たので、身代わりで検定を受けたことがあった。その時は、心臓が破裂するのではと、思うぐらいドキドキしたのを思い出す。
これも立派な身代わりの犯罪なんですね。

身代わりではないが、試験のカンニングはどうなんだろう。

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寄宿舎にいると、悪友が集まりいろいろな雑談に花が咲く。その中で、一番有効なカンニングはどれだろうと、話が盛り上がったことがあった。
机に書くだの、下敷きに書くだの、手のひらに書く、消しゴムに書くなどいろいろと出たが、これは最高だ!と、云うのがあった。
鉛筆の出ている芯から3センチほど残して半分に切り込みを入れます。そして鉛筆を真ん中からスパッと割くんです。鉛筆が書けるように先から3センチほどがそのまま残り、その上に鉛筆を縦に割った半分が残ります。

ここからが発想の凄いところです。

鉛筆の芯が残った半分に分離した半分の鉛筆とを、同じ長さにして10センチほどの紙を貼るんです。貼った紙を扇子のように、いや蛇腹のように折りたたみます。
折りたたんだ紙にはビッシリとカンニング用の答えをぎっしりと表裏に書き込むんです。

鉛筆を右手に持って強く握りしめるとカンニング用の蛇腹は閉じられて、誰にも見つかりません。
見たいときは、握っている手を緩めると蛇腹が開いて答えが見える!と、云う仕掛けです。

凄い!すごい!と、これは実行だ!と云う声も上がったが、誰もやらなかったようです。
そんな集中力があれば・・・、仕掛けを作っているうちに覚えるだろう。と、なった。

確かに。

社会人になってから読んだ本に
卒論の代行屋を書いた小説があった。タイトルも作者も忘れてしまったが、主人公は留年を繰り返し卒論の代行を生業としていた・・・そんな内容だった。
いまなら、さしずめウィキペディアをサーフィンしてコピーすれば代行屋になれるのであろうか。



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アメリカ合衆国内国歳入庁には、こんな馬鹿げた鉛筆削り器が売られている。
バカ!と云うべきでしょう。笑いながら売っているんだろうな、気を遣うことを知らない野蛮な国の商品です。

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