日記・コラム・つぶやき

これもまた日本地図

ここの会議室に座ると目の前に面白い地図が貼ってあるので、いつも眺めてしまう。
北海道が上に来る見慣れた日本地図に洗脳されていると、一瞬、日本であるのかどうかすら疑問に思えてしまう。大陸ロシアから太平洋を望む地図で、富山を中心とした地図です。

Img_2837

日本海なんて、大きい湖のようにも見て取れます。さしずめ日本湖と云うべきでしょうか。あらためて韓国と福岡は目と鼻の先を実感します。

この狭い日本海で日本は対峙したロシア・バルチック艦隊と戦争を行ったのです。
1905年5月27日~28日。対馬海峡を北上してきたバルチック艦隊を迎え撃つ、旗艦三笠で指揮を取る東郷平八郎の胸中は如何に・・・。覚悟の負け戦ではないかと

敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ、興国ノ荒廃コノ一戦ニアリ。

打電したのは、参謀として三笠に乗船していた秋山真之。
秋山真之が考えた丁字戦法(七段構えの戦法)で迎え撃ちます。
蟻が巨象に臨んだ瞬間です。

その前に・・・忘れてはいけない軍人がいます。
日露戦争が始まると旅順港閉塞作戦が練られ、ロシアに武官として赴任していた広瀬中佐に白羽の矢があたり、閉塞船福井丸に乗船して旅順港の入口に福井丸を沈める作戦なのです。バルチック艦隊の先鋭部隊は旅順港に停泊していましたが、福井丸が沈没したおかげで港から出ることが出来なかったのです。
広瀬中佐の死を賭けた旅順港閉塞作戦は見事に成功したのです。

司馬遼太郎「坂の上の雲」が始まりました。日露戦争が舞台です。
陸軍大将秋山好古、海軍参謀秋山真之、俳人正岡子規が主人公です。

上司の命令で島田謹二「アメリカにおける秋山真之」を懐に熱心に読んだ記憶があります。秋山真之はいつもピーナッツを食べていたと云うので、真似をして落花生を大量に買い込んだこともありました。おかげで虫歯に悩まされたことも、度々に。

大陸から見た日本地図を見ながら、そんなことを考えていました。

| | コメント (0)

いびきも拷問だ・・・

隣人は、朝の受付で出会った。家族と共に大きな荷物を手に持って入院手続きを行っていた。この方も私と同じく今日の入院なんだな・・・。待合室で待機の時間があり、静かに思いを巡らせていると話しかけてきた。長年労済病院に通っていたが、医師の不足によって手術が出来なくなりこの病院を紹介されたと云っていた。
病気なんであろうか、血色も良く元気ではないか。それに明るく能弁である。

部屋が空くまで別室で待機していると「用意が出来ました!」と呼ばれて520号室に歩いていくと、先ほどまで能弁に語っていた方が窓際に腰掛けて、先人と親しそうに話をしている。
この方にとって無口になるのは、爆弾を抱えているようで喋り通すことで爆弾が破裂しない特殊な仕組の装置をお持ちのようだ。

Room11

指定されたベッドの横に設置された整理棚に荷物を解き、必要書類に目を通していると窓際からの話し声は一段と高い声が室内を駆け巡っている。

聞くとはなしに聞こえてくるので否がうえにも耳に残ってしまう。
前から入院された先人は89歳で、初対面の隣人は72歳であることが分かった。
72歳の隣人は、70歳を越せば、80歳も90歳も変わらないと云いつつ、話をリードしていく様子だった。
・・・が、どうも話が噛みあわない。先人が40年前に秋田から石油事業でこの地に来たことを必死に喋っているが、聞くほうの隣人は、これだけ為替があがると経済が崩壊してしまう、どうして民主党なんかが政権を取ったのか不思議でしょうがない・・・などと話している。小沢一郎の考えをみんなが知らないんだよ 俺に相談して呉れりゃと独り言も聞こえてくる。まるで小沢一郎と親しい間柄なのかと考えてしまった。

それにしても、部屋を占領する大声は病室とは思えない、耳をつんざく部屋と化していた。

噛みあわない話も、病気の話になると意見が合うようだ。
隣人は、平成2年に入れた心臓ペースメーカーの電池の取替えを行うと云っている。6年ぶりの取替えで、これで三度目になるらしい。電池交換なんて、まるでロボットのようである。彼はアトムと親戚なのかも知れない。

Img_0190

20年も前になるが、公私ともに大変世話になったK氏は心臓にペースメーカーを入れていて、ペースメーカーの取替えで入院された。入院当日にK氏から電話をいただき、あれやこれやの説明を受けた。元気な声で退院したら来週にでも会おうとなった。
手術の当日、K氏の部下から電話を受け、容態が急変したと早口の連絡を受けてドキッとしたのを覚えています。
意識不明が三日ほど続き、K氏は元気な声を聞いたのを最後にこの世を去った。
K氏の葬儀では、医療事故の話も取りは出された。
日進月歩で進化している医療技術は、20年前と比べることの出来ない高度な技術が簡単に行われているのであろう
K氏の取替えも、もう少し待ってくれればと悔やまれる。

隣人は、二時間ほどで電池の交換治療も無事に終り元気な姿で戻ってきた。治療は無事に成功したと云うことなのでしょうか。またうるさい時間が戻ってきた。

病院の夜は早い。
八時ともなると、廊下の電気は薄明かりになり物音ひとつ聞こえない静寂な時間が漂っている。接続不可のPCを持ち込んでいた私は、宿題となっていたソースを打ち込んでいたが、テレビの音も聞こえて来ない。
習慣となっているいつもの10時になると眠くなってきた。
ベッドを照らす蛍光灯を消すと眠りについた。

夢を彷徨っている時に
突如として隣から轟音にも似たいびきが聞こえて来た。
断続的に続く、いびきの波状攻撃に居た堪れなくなった。
携帯を取り出し、時間を見ると2時46分。起きるには早すぎます。
いびきは、少しずつ増長していて窓ガラスを揺らすほどの大きさになっている。この場合の対処はどうすれば良いのか・・・枕でもぶつけようかと考えたが思い留まり、いびきが渦巻く中で、頭の位置を逆にして強制的に寝ることにしたが、リズムカルないびき四重奏で余計に目が覚めてしまった。
いびきが大きいことは家族は承知なはずです。どうして個室を選ばなかったのかと怒りを覚えた。
しかし、私は朝までの数時間を我慢すれば、このしごきにも似たいびきから開放されるが、入院として入室される次の方を思うと、悩ます辛い状況を察します。
これも辛い人生のひとコマと云うことでしょうか。

画像は拾ってきました。

| | コメント (0)

39回 憂国忌 『英霊の聲』

昭和45年11月25日。
自衛隊市ヶ谷駐屯地、東部方面総監室にて割腹自決。

三島由紀夫 第39回『憂国忌』。

Yugoku

昭和41年6月30日に刊行された『英霊の聲』には英霊の聲の他に『憂國』『十日の菊』が収録されている。三島由紀夫を語る上で重要な二・二六事件を扱った『憂國』や『英霊の聲』は評価が高い。
いまとなっては『英霊の聲』は絶版本です。貴重な本となりました。

・・・抜粋。

浅春のある一夕、私は木村先生の帰神(かむがかり)の会に列席して、終生忘れることのできない感銘を受けた。
で始まる『英霊の聲』は、心霊に於ける霊媒と審神者(さにわ)が交霊を行う。石笛(いわぶえ)の厳粛なる響きをもって始まる。英霊たちのの声が聞こえてくる様が書かれています。

岩笛が鳴り響くなか 英霊が呼応する歌が詠まれた

「・・・今、四海必ずしも波穏やかならぬど、
日の本のやまとの国は
鼓腹撃壌の世をば現じ
御仁徳の下、平和は世にみちみち
人ら泰平のゆるき微笑みに顔見わし
利害は錯綜し、敵味方も相結び、
外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ
もはや戦いを欲せざる者は卑劣をも愛し、
邪まなる戦のみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能わず
いつわりの人間主義をたつきの糧となし
偽善の団欒は世をおおい
力は貶せられ、肉は蔑され、
若人らは咽喉元をしめつけられつつ
怠惰と麻薬と闘争に
かつまた望みなき小志の道へ
羊のごとく歩みを揃え、
快楽もその実を失い、信義もその力を喪い、
魂は悉く腐蝕せられ
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば、
道徳の名の下に天下にひろげ
真実はおおいかくされ、真情は病み、
道ゆく人の足は希望に躍ることかってなく
なべてに痴呆の笑いは浸潤し
魂の死は行人の額に透かし見られ、
よろこびも悲しみも須臾にして去り
清純は商われ、淫蕩は衰え、
ただ金よ金よと思いめぐらせば
人の値打ちは金よりも卑しくなりゆき、
世に背く者の流派に、
生かしこげの安住の宿りを営み、
世に時めく者は自己満足の
いぎたなき鼻孔をふくらませ、
ふたたび衰えたる美は天下を風靡し
陋劣なる真実のみ真実と呼ばれ、
車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸断し、
大ビルは建てども大義は崩壊し
その窓々は欲求不満の螢光燈に輝き渡り、
朝な朝な昇る日はスモッグに曇り
感情は鈍磨し、鋭角は磨滅し、
列しきもの、雄々しき魂は地を払う。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み
ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔けるものは翼を折られ
不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑う。
かかる日に、
などてすめろぎは人間となりたまいし」

とある。

合掌。

| | コメント (0)

気になる看板・・・つづき

ショッピングセンターの一角に宝くじ売り場がある。
この売り場は、地方においては、なかなか当たる場所のようで、張り紙をみると、今まで3億円の前後賞が3度でている。ロト6においては1等が一度でていると書いてある。
幸運を私にも・・・で、以前は、1から43までの番号を43本のストローの先に書いて缶に差し込み、エイヤッ↑(/>_<)/ やっと念じながら6本引いてロト6を買っていた。
何と云っても、6週連続で1000円を当てた記録を持っているが、ささやかな自己満足の記録である。

P1040432

その宝くじ売り場の正面に位置する路面店にヨーロッパのブランドを集めたショップがある。改装中なのか看板等が外され外装工事を行っていた。あ~~せめて二日早く来れば良かったと溜息をついてしまった。
来る度に屋根に掛けられた大きな看板が気になっていた。
この店には友人S君がいてS君が担当していた在庫管理システムをサポートしたことがあったので社長とは知り合いである、がしかし馴れ馴れしい口を聞くほどの懇意ではなかったので気になりながらも遠慮していた。 これが正面にある大きな看板だと目立つんですよ。

Dabde

最初に見たときはビックリした。
日夜モヤシを製造販売されているようです。
紛れもなくイスラエルの国旗ダビデ星が模られている。
ユダヤ教の方かも知れない・・・。イスラム教過激派に狙わなければ良いが。

Hobo

ほ場(田圃)とは懐かしい言葉です。
田んぼの使いやすいように整地されているようです。

P1040420

焼肉屋の裏手にあるスナックのような居酒屋の入口にある樽に書かれた看板。
多分にペンキの塗料がなくなったのでしょうね

P1040430

この地域では有名な会社のようです。
この車に出会った当初は、何屋さんなのか分からなかった。豆を砕く道とは禅問答かな

| | コメント (0)

八月に入って梅雨明け

8月に入ってようやく梅雨明けとなりました。
雨が続き、雨による自然災害は十分注意しても災難は降りかかることを証明した。

T_img_1540

空を眺めるのが好きで空を見上げると雲が一面に広がり、まるで別な世界が動いているような、そんな感じもします。驚異的な売上を示した1Q84で出てくる二つの世界のような世界。雲で遮断された世界です。
それでも、梅雨が明けると日本海の小さいながらも賑わいを見せる海水浴場は、待ち兼ね短い夏を惜しむように、平日にも関わらず夏休みに入った子どもたちを連れて家族ではしゃいでいる姿が目に映る。

Xd

ネットワークでお世話になっている事務所から連絡が入った。
デジカメで撮った画像をPCに取り込もうとしたら画像が消えたと・・・。
XD-picturecardのメディアを取り出し、他のPCでも覘いてみたが1枚の画像も入っていない。どうしても必要な画像があるので取り出せますか?と聞いてきた。

復元と云えば、長いパソコンとの付き合いも復元に関わるトラブルが多い。起動しなくなったハードディスクから重要ファイルを取り出すのはとても厄介です。大丈夫ですよとは云えない難しさがある。
デジカメのメディアの復元はハードディスクに比べると幾分か楽です。
持参したモバイルPCにメディアを繋ぎメディアの奥底に沈んでいるタスクを調べて削除されたファイルを掘り起こします。
1時間ほどの検索で228枚の画像が見つかりました。
駆け出しの似非プロとしてはホッと胸を撫で下ろす瞬間です。

いろいろなトラブルが起きます。
キーボードが微妙な間隔で反応が遅かったりします。日々、企画を組まれる会社は文章作成ワードはなくてはならない大事なソフトで、ブラインドタッチで打たれる文字は変換とのスピードが勝負ですが、キーボードの反応が微妙に遅くなりトラブルとなりました。こればかりはキーボードを取り替えるだけで済む問題ではないようです。
メーカー修理品となりました。

クリックすると、突然画面が青い画面になり羅列された英数字が画面いっぱいに表示されます。stopエラーとかブルースクリーンとか呼ばれる、エラーの数字によってはまだ解決の糸口すら見つかっていない究極のエラー表示です。
パソコン内部で働く小人たちのストライキでしょうね・・・きっとそうだ。

T_img_1555

陽射しの強い午後の二時。
木の上からはコサギがヤマメが泳ぐ川を見つめています。
エサの確保が出来ると良いのですが・・・。

山の中を走る新幹線の工事が急ピッチで進んでいます。
工事の進捗となると、山でもないのに騒音に配慮してトンネルのようですね。

T_img_1551

| | コメント (1)

駅の車窓から

T_img_0898 T_img_0942

駅の車窓から。
最初に目に付いた時はビックリした。
もしかしたら、駅の名物になっているのでは
これより10日ほど前、白のブリーフが5枚ほど並んでいた。
その時は、あっけに取られてデジカメを出すのを躊躇った
白い下着を堂々と晒すお気持はどんなものでしょう。それほどに気にすることでもないのかも知れない。
しかし、今どきに、白いブリーフを穿く御仁はどんな方でしょう。
日帰り温泉でも滅多にお目にかからないが。

ハンガーに1枚1枚を丁寧に掛けて干すのは几帳面な性格なのでしょう
まさか車窓側に干すことになるとは努々思わなかったのではなかろうか
それにしても、清潔をモットーにして洗濯好きな方であろうと思われる。
まさに、飾り窓の下着となってしまった。

洗濯と云えば。
寄宿舎時代の日曜日は、平時は突如として襲ってくるゲンコツの嵐が止む、ひと時の休息日だった。7時の点呼が終わるとすぐに洗い場のある庭に出てタライを持ち出し、洗濯板を取り出してゴシゴシと下着やシャツを洗いだす。寺子屋は私服であったが、とりわけ奇抜な格好をする者はいなかった。

洗濯が終わりに近づくと、一緒に洗濯をしている同級生と近くにある名画座で3本立ての映画を観に行こうかと話し合っていると、お~、やっているなと声が掛かる。
見ると、抱えきれないほどの洗濯物を持ってニコニコと笑いながら先輩が立っている。
またたく間にタライの中は山盛りとなった。
パンと牛乳のエサ付きであるが、先輩の名の下の脅迫であり強制です。
3本立ての映画も夢と消え、終わってみればもうお昼の時間です。

噴煙を吐き出す桜島を眺めながら明日は楽しく生きられるのか
生きるって難しいな・・・と、思いを馳せていた。15歳の夏。

| | コメント (0)

椿山荘。そして六人の美女たち

T_img_0911 T_img_0940

目白駅に立ち空を見上げると、数十年の時を経ているが変わらぬ匂いがした。東京に出てきて最初に作った銀行口座が三井銀行目白支店で合併に次ぐ合併で銀行名こそ変わったが変わらぬ場所にでんと構えていた。
目白には会社の研修施設があって何十回となく呼ばれて研修の名の下でしごかれた、懐かしい場所です。
今日は、会員となって例会に参加しているある研究会の「七夕の夕べ」が椿山荘で開かれるので喜んで参加と相成った。
椿山荘と云えば、若かりしころに講談社にいる幼馴染のY君と連れ立って椿山荘のプールに良く遊びに来ていた。都会の喧騒を逃れて森の奥から乱雑なビル群を眺めながらプールサイドに寝転がっていたのを思い出す。
そのころは、白い水着が流行っていて、プールサイドには白い水着を着た女性がたくさん来ていたが、白い水着が透き通りあたかも透明な水着を着ているように肌が見えたのをやんちゃなY君と目を点にして眺めていた。

T_img_0899

かって知ったる目白通りを椿山荘まで歩くことにした。小さな散策のはじまりです。
目白駅のお隣には、家柄の良さと賢い人が行く学習院大学の正門があります。寺子屋の同級生で二人ほど入って行きました。私には足もとにも到底及ぶことのない高嶺の花であります。広い敷地には学習院のキャンパスが広がり歩道にはみ出した大きな木々の隙間から木漏れ陽を演出しています。

歩道の反対側はガヤガヤと高校生かな、短大生なのかな・・・川村学園から送り出される女性の波が押し寄せるように溢れていきます。空から眺めるとまるでアリンコのように蠢いて見えることでしょう。

T_img_0902

学習院を過ぎると、そこは千登世橋があります。千登世橋から下を眺めると交通量の多さで有名な渋谷⇔新宿⇔池袋を結ぶ明治通です。交通標識の看板を見てはじめて明治通りが国道でないことを知りました。都道なんですね。ビックリでした。
いつぞやは深夜に違反の警告を受けて切符を切った目白警察署の警官と衝突した坂がありました。東京で一番の急坂「のぞき坂」は健在でした。町会長を介して違反をもみ消したのは悔しさの現れでした。

護国寺方面の看板が見えて来ました。
真言宗護国寺の近くの閑静な住宅地に社員寮がありました。寮の規則に沿って真面目に生活して漠然とした将来像を描いていましたが間抜けな将来像が現実となった今があります。
そうそう、社員寮の側には、今では知る人も少なくなったでしょうか右翼の総本山日本愛国党の本部も近くにありました。愛国党と云えば、時の社会党委員長浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢がいました。危険な17歳と騒がれ彼は愛国党の党員でした。日本全国がその驚愕事件に喪に伏したと聞きます。

護国寺方面の標識を過ぎると極端に交通量は少なくなります。
左手にはマンション風な建物の日本女子大学が見えて来ました。商社にいる時分に関連会社が抱えている在庫の商品を持って日本女子大学の生協に場所を借りて販売したことがあります。押し寄せる津波のようにワゴン目掛けて女性の波が来るかと思いきや、ワゴンを素通りして隣の食堂に入って行きましたね。
けっこうブランド品だったのですが、ワゴンで買うことはプライドが許さなかったのでしょうね。涙に暮れて会社に引きあげ上司の説教をうわの空で聞いていました。

T_img_0908

でました・・・。
田中家のお出ましです。田中角栄が一代で築いた広大な屋敷です。想像を超える広さです。しかし門はしっかりと閉ざされていました。隣の敷地には緑豊かな公園が広がっていましたが田中角栄死後の相続税を土地で別納した場所です。広い公園には4~5人の方が屯されていました。

T_img_0930 T_img_0935

田中家を過ぎると椿山荘がオアシスのように現れてきました。
緑豊かな椿山荘の庭園です。
○○研究会「七夕の夕べ」には時間もあり、庭園の中を散策しました。
覆い茂った木々の間に流れる小川のせせらぎには平家ボタルが棲みついて夏の夜を楽しませてくれるそうです。
今宵は、ホタルのショーを観る事が出来ると良いですね。

T_img_0921

そして今日一番の出来事は・・・。

散策の途中に、六人の美女に呼び止められ記念写真のカメラマンを仰せつかりました。美女を前にしてシャッターを押すのは手が震えます。
気持を冷静に保ち、ようやく差し出されたインスタントカメラをガチャと押しましたが、果たしてきれいに撮れたでしょうか。ボケてないと良いのですが。
ついでに、私の持っていたデジカメでも美女図鑑のひとコマとして撮らせて戴きました。
了解を得てブログに載せますよと云いましたが・・・検索「椿山荘」で果たして、このブログまで到着して戴けるのかどうか不安です。
六名の美女図鑑の拡大画像、お気に召して戴けたら是非にダウンロードしてください。
画像クリックで960×640サイズの拡大画像になります。

| | コメント (6)

流行っているのかな

ココログのアクセス解析をみてビックリした。
検索Keywordで「君に捧げるほろ苦いブルース」で15人ほど訪問者が続いた。
検索してお見えになっても、そのこと自体を集約して書いていない、あくまでも刺身のつま状態の内容で申し訳ない気持でいっぱいになる。

以前にメダカのビオトープの事を書いたら、数日後、訪問者が300人を越したときは魂消た。それほど人気があるブログとは思えないので、恐る恐るリンク先を調べたら、なんとココログフラッシュで取り上げられていたことが分かって、リンク先を誘導するブログのディストリビューターみたいだと思ったことがあった。

ビオトープが一段落すると、オーブ現象のKeywordでお見えになる方が下駄履きだったり、運動靴だったりしてたくさんの方がお見えになった。オーブ現象の何を調べられているのか、知りたいところだったが2ヶ月ほど続いたが、覘いただけで通り過ぎていかれた。オーブ現象を解説したブログではなかったので、エイ!クソ!時間の無駄だ!と思われたに違いない。

オーブ現象がつむじ風のように巻き込んで去って行ったあとに、海外出張のカテゴリーを読まれる方が一気に増えた。また、なんで海外出張なんぞを・・・と思ったが、なぜなのか知る術がない
なにしろ、数十年前に渡航した時の日本をおおっぴらに恥を曝け出し体全体から醸しだすエロの欲求が書かれている。いまさら読む人もいないだろうと思って削除しなかったのが裏目に出て、公に恥を晒してしまった。人間性を疑われた裏面史です。

そのあとは、今でも続く三島由紀夫での検索です。どこまで続くのやら。
載せている画像に特徴があるのか、画像検索でお見えになる方が多いですね
多いときは、三島由紀夫だけで50~60人ほどお見えになる。三島由紀夫の何を知りたくてお見えになるのか分からないが、三島文学の根幹をなす陽明学の思想はもとより思想のなんたるかも知らない縁遠いブログを読まれて、さぞやガッカリされていることと、心よりお詫びするしかない。
はやいところ、三島由紀夫での検索が下火になれば良いな~と思っています。

メダカのビオトープはリンクの誘い水がありましたが、それ以外のオーブ現象とか海外出張・三島由紀夫とかは急に増える要因が不明です。それとも、どこかで流行っているのかな。

Red

流行ると云えば。
商社の企画室にいた時に、リサーチャーとして種々雑多の雑誌を読むのも仕事のうちでした。いまの時代のようにインターネットとかTVを先頭にしたメディアが誘導して先取りの流行を作ることのなかった、ごくごく普通の雑誌優先のアナログの時代です。
フランスのELLEとかmarie claireを競って先読みして、流行のデザインやら色をチェックしていった。それでも、何が流行るのか分からないのが現状だった。
TVもいまのようにバラエティなんてなかったし、もちろんワイドショーもなかった。

夏本番を迎えた6月のころ。担当していた子会社のニットメーカーにある1本の電話が掛かってきた。秋田市に店舗を構える小さな店から「赤のベストはありませんか」と。
どのファッション雑誌にも盛夏・晩夏・初秋の予測として本命ではないがベストはあったが、アースカラー全盛で色として『赤』はなかった。
ところが、時を同じくして、覚えているだけでも鳥取・久留米・松山・郡山と立て続けに「赤のベスト」が欲しいと云って来た。
赤のベストを企画することに頭が行って、いまもって、赤のベストが欲しいと思われたソースはどこにあったのか、とても気になるが長年の経験がそうさせたのかも知れない。その年の晩夏から秋冬にかけて、赤のベストは大流行した。

きょうもまた、君に捧げるほろ苦いブルースの検索でお見えになっている。
訳ありの「君に捧げるほろ苦いブルース」のブログなので、読まれてガッカリされたことでしょう、が。
お気に召していただけると嬉しいのですよ、ほんとのことを云えば。

いち時期は、「いもがらぼくと」とか「ストレンジャー」の検索も多かったが、いまでは滅多にない。これも流行だったのでしょうか。

| | コメント (2)

選挙の思い出

611
舩見公園から見る夕日

彼は、初めての選挙で大量の票を集めて市会議員になった。
選挙期間中は、素人の寄せ集めで選挙事務所を運営していたので、携わるみんなが右往左往していた。そして、その中の一人が私であった。

目出度く当選して、議員さんとなり忙しさが倍増したのであろう、連絡は途絶えていたが、節目ごとに議員活動の会報を住まいまで届けに来ていた。すれ違いで会うことはなかったが

昨日の朝に、珍しく電話が入り「緊急の用件です・・・」と話し始めた。
「ネットワーク設定でプリントサーバを入れたのですがプリント出来ないんです!」と泣きが入っていた。
昨日まで、議会があるとのことで、議会のない日を選んで市役所内にある議員事務所に顔を出した。
予定より早めに着いたので廊下にある椅子に座り、鞄の中に放り込んでいた1Q84を取り出して読み始めた。はなしの展開が二歩進んで一歩下がる、そんな感じで、少しまどろこしい感じがする。

議員がやって来た。
部屋に入るや、「ひさしぶり!」「良い眺めですね・・・」素晴らしい環境です。
議員は勉強会があるとのことで、すぐに3台あるパソコンを開いて確認をする。
確かに、設定時にはプリント出来るが、再起動するとプリント出来なくなってしまう。
ネットワークの概念を破った新しい設定だった。
ダラダラとしながらも2時間ほど掛かってしまった。どうもサーバ本体に問題があるように感じたので、ネットでトラブル情報を探してみたら、100人中50人までが、最悪プリントサーバだと悪評プンプンだった。
1台のPCが使っているときは、他のPCで接続するとエラーが発生すると云ったトラブル情報が一番多かった。ネットワークの意味を持たないプリントサーバだった。

認識しない場合は、パソコンを再起動すると時間も掛かるので、サーバ本体の電源をON/OFFして下さいと伝えてきた。
その後の連絡がないので、上手く使っていることでしょう。

市会議員は選挙で選ばれるが
選挙と云えば苦い思い出がある。

70人学級が10クラスあった中学2年の時にその事件は起きた。
クラスから一人ずつの10名の生徒会長の立候補者を出すことが決められた。
学校からの教育的指導の下での強制。
いまの時代、選ばれる生徒会長のことは分からないが、当時の生徒会長は人望があって、賢くて優秀な生徒が選ばれた。チョットした学年のエリート。
私のクラスには、とんでもなく傑出した人物がいて、全員一致でK君は候補者として選出された。
候補者は応援弁士を選ぶ権利があり、K君の幼馴染だった私は応援弁士として指名された。
神のみぞ知る運命は始まっていたんです。

私は、K君の人となりを書いては破り、書いては破りで原稿をしたためた。
親兄弟を生徒達として見立てて聞かせると、笑っていたが良い良いと喜んでいた。

・・・その日は、緊張の中、静かにやって来た。
全校生徒が集まり、立錐の余地もない講堂で立会演説会は行われた。
I級だったので、演説順番の時間が廻ってくるには、相当に掛かりそうだったのでK君に原稿を見せたりして緊張でお互いの話も笑いも強張っていた。
K君も原稿を目にして「大袈裟だな・・・でも良いか・・・」そんな会話があり 順番が廻ってきた。
原稿を握り締めて、いざ壇上に向かおうとした時に、ふいに
K君が、原稿をもう一回見せてくれる?と、云って、私の原稿を手にした。

K君は私から原稿を手にするや否や、バリバリバリと原稿を破ってしまった。
「あれ~~~~」私の大事な原稿が紙屑となり舞っていた。
破られた原稿が床に散らばり、私の頭は白い世界が広がり、南無・・・チ~ン!
原稿を見なくても、暗記して空で云えるまで覚えていた言葉のひとつひとつが消えていた。
何も喋る事が出来ない宙に浮いているようで文章が窓から逃げていくのが分かった。
それでも、壇上にあがると、マイクに向った。一礼すると
「2年I級の月の砂漠です。生徒会長立候補者として、2年I級のK君を紹介します」で終わった。3秒の展開

紹介されたK君はと云うと。
「ただいま紹介された2年I級のKです」で挨拶を終えた。
二人合わせて5秒の出来事であった。選挙を愚弄している、そんな感じだった。

立会演説会が終わるとすぐに、二人して校長室に連行された。
2時間・・・いや、もっと長かったかな 怒り心頭で口角泡を飛ばす校長・教頭そして担任の唾を避けることも出来ずに、静かに暮れて行く時間を眺めていた。
二度とするまい。応援弁士は嫌だ。

| | コメント (2)

演習風景・・・その2

曇り空であるが、絶好のゴルフ日和になった。
新緑に囲まれたゴルフ場は野鳥が飛び交い歓迎しているようにも見える。
仰ぎ見れば、妙高連峰のところどころには残雪が光り、雪の深さを物語っている。

ETCで高速に入ると同時に、駐屯地から編隊を組み飛んでいるヘリコプター八機に出会った。もしかして・・・総合演習かな。

ゴルフ場に向う沿道には、自衛隊の誇る車両が隊列を組み集結している。
ゴルフに興じるより、演習を眺めていたほうが私は好きです。
ゴルフの終わる時刻まで演習が続きますようにと願いながら。ゴルフ場に入って行きました。

T_p1040379

年1回のゴルフイベントがありました。
100人ほどの大きな大会です。
前もって、組み合わせ表を戴いていたので、1位・2位を当てる馬券もあります。
成績が良いから優勝するとは限らない新ぺリア方式のゴルフ大会です。

新ぺリアの説明をチョットだけ
OUT/INの18ホールを回り、そのうちの難易度によって決められた12ホールが強制的に既定打数のパーとして計算される隠しホールのルールなんです。決められた12の隠しホールで大叩きしても、既定打数のパーと計算されるのですから、有りがたい隠しホールとなる訳です。
・・・が、どのホールが隠しホールなのか分かりませんから、神のみぞ知る運命の隠しホールとなるんですね。
しかし、弱い人でも優勝のチャンスがあると云っても、弱い人はそれなりに関係ない普通のホールでも大叩きしていますから、優勝のチャンスは遠のきます。
上手い人も、下手な人も、同じスタートラインに立っている・・・そんなルールです。

演習場に隣接しているので、低空飛行するヘリコプターが縦横無尽に飛び交っています。プレイしているゴルファーは格好の餌食でしょうか、至近距離から狙い機関銃を構え、逃げ惑う仮想敵としてゴルファーを狙っていそうな、そんな感じです。

キャディさんのお話だと、10日ほど前から演習の日程は配布されるようです。
初日には夜間の行軍が行われ、犬も寝静まった漆黒の闇の中、夜のしじまを打ち破るように軍靴が鳴り響くことになることを、お許し下さいみたいな注意書きの回覧が回るそうです。夜間行軍は是非に撮りたかったのですが、隊員ほどの体力も気力もないので、行軍の様子は諦めました。

ゴルフが終わるや否や、カメラ片手に演習場の沿道に向いました。沿道には、車を止めてヘリコプターの離着陸の訓練を固唾を呑んで見守っている方が大勢いました。

その中で、自衛隊の休憩時間だったのでしょうか
雪の残る妙高山麓から帰還する編隊を見つけて、バシャバシャと撮ってきました。
三脚があれば、動いている様子が撮れたのですが・・・素人の私には無理な話です。

北朝鮮の動向によっては、有事訓練となりそうな緊迫した演習かと思いきや、至ってのんびりと、しかし動きは機敏に感じましたがどうでしょうか。

T_img_0608T_img_0610

T_img_0613

T_img_0617 T_img_0619
T_img_0623 T_img_0630
T_img_0636

T_img_0639 T_img_0640

T_img_0631

・・・で、ゴルフの結果はと云いますと、思いもよらず良い成績となりましたが、隠しホールでは、意外と良い成績をあげていて何の恩恵に浴することはありませんでした。順位も至って平凡な18位と拍手がパラパラと素通りする情けない順位です。
それより、演習風景が撮れたことの方が嬉しかった。
早速、デスクトップの背景にしました。

| | コメント (2)

より以前の記事一覧