書籍・雑誌

やさしい音色と共に

何気なしに付けたラジオから「きいちゃん」の事を話す女性の声に耳を傾けた。

きいちゃんは高校生。家から4時間もかかる養護施設に預けられ訓練を受けています。
お姉さんの結婚式を楽しみにしていた、きいちゃんは先生に涙に濡れた顔をあげて訴えました。
「お母さんが私に、結婚式に出ないで欲しいと云うの。お母さんは私のことが恥ずかしいのよ。生まれてこなければ良かったのに・・・」
きいちゃんは、小さい時の高熱がもとで手や足が思うように動かない障害がでてしまったのです。

お母さんは、結婚式でお姉さんに肩身の狭い思いをさせてはいけないとの配慮があったのかも知れないです。
何の手助けも出来ないいる私は、きいちゃんに「結婚式のプレゼントを作ろうよ」と云って、手足が自由に動かないきいちゃんは浴衣作りに挑戦していきます。満足に食事を取ることもできない不自由な手で一所懸命に針を操り、時には指を血で真っ赤に染めても、なお頑張って作ることが出来たのです。
結婚式に出られないけど・・・喜んでくれるかな。
お姉さんから連絡があって、結婚式に出席してほしいと云って来ました。みんな白い目で見られないかなと不安がよぎるが喜んで出席します。

お姉さんは、お色直しできいちゃんが作った浴衣を着て出てきます。そしてお姉さんは浴衣を縫ってくれた妹をみんなに紹介するんです。
「妹はわたしの誇りです」と。

Gazo_2

お話をされた養護学校にお勤めの山元加津子さんの話に感動した私は検索した。
たくさんある著書の中から「ゆうきくんの海」を購入した。

読み始めるとすぐに「やさしい音色」が書かれています。

隆君は、お姉さんが習っていたピアノが大好きで、ピアノの音を聴くと、どんなに激しく泣いていてもピタッと泣くのをやめた。いつもピアノの側に行って、3歳のころはには、もう音階を弾いたりして天才ぶりを発揮していきます。
未来のピアニストが誕生するんだと、誰もが思っていたのです。

しかし、隆君は生まれつきの難病を抱えていたのです。
少しずつ筋肉が衰えていく病気なのです。大好きなピアノの鍵盤に手を持ち上げるのも、よいこらしょと云った感じです。
指の自由が奪われ、鍵盤を押す力も失われていく それでも、あらん限りの力を振り絞りピアノに向かう隆君の音色はやさしくて、淋しさや嬉しさを、心深く表現しているようです。

ご両親は、
「隆には、ピアノを弾いてもらいたくないと思っているんです。毎日毎日筋肉が衰えて、ピアノが弾けなくなっていく。聴いていてもそれは良く分かります。弾かないともっと弾けなくなる・・・あの子はそれを恐れて練習しているのかも知れない。
もう、ピアノの音は聴きたくないです。あの子の病気はご存知のように、筋肉が弱って、そのうちに起きられなくなり、いつか息することも出来なくなって死んでしまうのです。」

それでも隆君は、やっぱり毎日、微笑みながらピアノを弾いていきます。

隆君とのお別れは突然おとずれます。
その前日に、山元加津子先生は隆君とお話をしています。

『今から、隆のコンサートをします。観客は一人。でも心をこめて弾きます。
今日の僕の演奏をずっと覚えておいてね』

翌日に、隆君は急性肺炎にかかって帰らぬ人となりました。死を予期したかのようにロウソクの炎は、やさしい音色と共に消えていったのです。


親しくしている後輩の長女は高校生になり養護施設に入っている
ひとみちゃんは、先天性の水頭症で脳脊髄液を潤滑にするために、脳に穴を開けて蛇腹が埋め込まれている。神経が冒され排泄行為が難しく介護が必要な難病です。

持って生まれた障害を苦にすることなく明るく笑顔を絶やさないでいる。
連休があると、自宅に戻ってくるのでたまに会うことがあります。ねぇトランプやろう! 料理を作るね、食べていく?と聞かれることもあります。
日焼けして、元気な顔を見ると嬉しくなってホッとします。
将来のことを考えると、両親だって、ひとつずつ年をとります。ひとり娘である、ひとみちゃんの事を考えると辛いものがありますが、何とか良い方向に乗り切って欲しいと願わずにはいられない。

授かった赤ちゃんが障害を受ける原因はいろいろとあるのでしょうが・・・
添加物とか化学肥料を用いた食物連鎖が根底にあるのかも知れないですね。

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そういうものなのです。

Hitozuma

嵐山光三郎著「人妻魂」の中に相馬黒光の話が載っている。

相馬黒光と云えば、新宿中村屋を開業する苦労話が「パンとあこがれ」の主人公としてTBSのドラマになりました。この番組は良く観ていた様な気がします。
会社に行く前の、ほんのチョットの時間だったでしょうか。
筋書きは殆ど忘れてしまっているが、日本で最初にアンパンを作る話は興味深く思い出します。
それに、この番組の挿入歌だけは、今でも口ずさむことが出来ます。
不思議な感覚です。

仙台の士族出身で気位は高いが生活が厳しいと云った環境で育っています。
十六歳で上京して明治女学校に入ります。明治女学校の創設者である巖本善治と島崎藤村に可愛がられます。
名前が黒光(こっこう)とは珍しい名前ですね。これは、眩しくて余りにも美しいので黒い光で包むと云う護符にも似た意味合いがあるとして巖本善治が付けたそうです。
それは、「夜明け前」で有名な島崎藤村が色情教師として、可愛い娘をみるとすぐに手をつけてしまう悪癖があり、藤村の色情から守る為とも云われていますが。

黒光は秘かに心寄せていた画家の布施淡が別な女性と結婚したことがショックで信州穂高出身の相馬愛蔵と結婚して信州に移り住みます。
信州穂高地方は、今でも芸術家が多く住み美術館も数多くあります。
いつの間にか相馬家には芸術家が集まってくるようになります。
その中に、彫刻家で有名な荻原碌山がいます。

新宿に新時代を思わせるパンを引っさげて中村屋を開業します。
パンを求めて押すな押すなの大行列が毎日続き、大繁盛となり益々忙しくなるのです
穂高からの繋がりで中村屋サロンを開設して芸術家を応援していくのもこの頃ですね

中村屋が繁盛すると苦労を重ねて来た反動か、愛蔵は他に女性を作り遊び呆けます。
忙しい稼業に夫はいない、男手がいる時に・・・そんな時に碌山が加勢するのです。
親しくならないわけはないですね。

本にはこんな件があります。

碌山は、夫のご乱行に悩む黒光の相談相手でした。だいたい不倫というのは、こういうところからはじまります。悩んでいる人妻の相談にのっているうちに、つい不倫の仲になってしまう。いや、男は人妻との不倫を期待して人生相談に応じるわけですから、どっちもどっちです。
黒光が図太いのは、碌山に人生相談している最中に夫と性交して妊娠して、お腹が大きくなるところです。碌山は「冗談じゃねぇや」と怒り心頭に発し、死んでしまった。
これは碌山の考えが甘いわけで、人妻とはそういうものなのです。

碌山は中村屋のお店にある奥の部屋で喀血し、障子や畳を真っ赤に染めて30年の生涯を終えた。世間は自殺と騒いだ。失恋の末の儚い命だったのか
黒光は、碌山の棺を掴み、人目も憚らずに泣き崩れたと云う。

Rokuzan

信州安曇野にある「碌山美術館」には、最高傑作としての評価を受けている作品がある。
ひざまずき両手を後ろに回している裸像は黒光がモデルだと。

千の風 
『碌山』・・・プロローグ。それは碌山が黒光に出会ったときめきが

それは明治30年
安曇野の春のはじめ
彼は畦道に腰をおろし
常念岳をスケッチしていた

「こんにちわ」という声に振り向けば
徹笑みかける美しい人
彼は思わず頬をそめた
胸の高鳴り押さえがたく

碌山美術館には一度だけ行った。
良く覚えていない。
色づく秋のころに行ってみようかな・・・。

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おかえりなさいまし

アジサイの葉っぱにチョコンと・・・
Kaeru

おかえりなさい。
待ち構えたように三つ指ついてご挨拶をする愛しきあまがえるがそこにいます。

青々とした背中を自慢して、あ~忙しい忙しいと足早に葉っぱから葉っぱへと飛んでいきます。小さくて可愛いあまがえるを両の掌を膨らませるように抱えると、まさに観音さま。

手で囲ふ 観音さまの 雨蛙     小林共代 

雨蛙とも青蛙とも云われます。
緑色しているのに青蛙なんて変ですね。
変と云えば、信号も「赤」「青」「黄色」と交通標識を覚えますが
色盲でない限り交通信号の「青」は緑色をしていますが・・・
どうして、緑色なのに青色と云うのでしょうか

昔むかし小耳に挟んだ話によると、はじめて交通信号がお目見えした明治時代には
緑色としての色彩概念がなかった聞きました。それで、いつまで経っても緑の信号は青の信号なんですね。
子どもたちに嘘の色を教えているようにも思えるのですが。
それはさておき

小説の神様志賀直哉の短編小説に「雨蛙」があります。
こんな話です。

文学にうつつを抜かしていた男が、迎雲館で行われた知己である作家の講演会に急用ができて行けなくなり、素養のない妻に少しでも学問を身に付かせようと妻を行かせたことで妻は成り行きで作家と不貞をはたらく。
翌日、妻と一緒の帰り道。妻の仕草に変化が見られ生き生きとした表情になっているのを見て、男は昨夜妻の身に何かがあったと確信して驚きを隠すことが出来ない。

男は妻でありながら妻を女性として扱っていなかった心の葛藤にさいなまれる。
そんな時に男は何気なしにみた電柱のくぼみに雨蛙が二匹うずくまっているのを見つける。その様子をみて男は『雨蛙はその灯りに集まる虫を捕る為、こんな所につつましやかな世帯を張っているのだ、これはきっと夫婦ものだろう、そう思った。』と述懐する。
夫婦は愛しさの中に生活の糧があると思うようになる。
不貞を働いたであろう妻を許す、そして、よりいっそうに愛しさが募り欲情してくる。

ずいぶん前の話ですが
志賀直哉「雨蛙」はまったく知らなかったのですが、太宰治が志賀直哉に喧嘩を吹っかけた(平幕が横綱に挑むようなものですが・・・)『如是我聞』の中に雨蛙を批判する箇所があり読んでみようと思った。批判することは、それだけ評価も高いと思ったんです。

志賀直哉 VS 太宰治の喧嘩と云っても私の思いは、どっちが買っても負けても気にもならない。・・・が三島由紀夫と松本清張の喧嘩でなくて良かった。

「青蛙 おのれもペンキ ぬりたてか」   芥川龍之介
好きな一句です。

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おねしょのはなし。

『おねしょ』は世界地図とも云われた。               

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笑いを堪えながら読み進めると、おねしょについてこんな件がある。

「それで、中学のとき、もう治らないとあきらめかけていたら、演劇部の先生の家でクリスマスパーティということになった。ぼくは気が弱いくせに、友だちと演劇部なんかに入っていたんですね。それで・・・その晩は遅くなって、みんなで泊まることになった。

困った。雑魚寝ですよ。もうこの時間に1人帰るわけにもいかない。遠くて道もわからない。はじめての外泊。ここでおねしょしたら、もう自分は死ぬ。絶対に寝ないように目をきっと開いていた。そうしたら、結局、寝ていた。目が覚めて、しまった!とあわてて布団を触ると、濡れてない。ホッとした。このときのうれしさがおねしょを克服する最終的なきっかけになったようだ」と。

画家であり、芥川賞作家である赤瀬川原平氏の中学生まで、おねしょをしていたとの告白エッセイ「中古良品」からの抜粋です。

おねしょはいつまでしていたのか・・・。
はっきりと覚えているのは小学4年生のときに、上級生の仲間入りになり週番の担当になった。明日は、朝礼で全校生徒の前で1メートルほどの高さのある壇上にあがって「きをつけ~」「なおれ~」の号令を発する役目があった。
明日になることが怖くて、緊張のあまりおねしょをしたのを覚えている。
下腹部が生暖かさに包まれて飛び起きた。隣に寝ている兄や弟に見つからないように、そっと起きだして敷布をはいだ。
バタバタと音がしたのを母が気がついて戸を開けて入ってきた。
母は何も云わずに布団は引っぱり庭に持っていった。
悲しくて死にそうだった。
それ以後、おねしょはしていない・・・が、それから何十年も経ったいま、あと十年・二十年でおねしょが復活しそうな年に突入する。恐ろしいことが立ちはだかっている。

原平氏のおねしょにまつわる話は続いていく。
こんな話もある。

「友人の姉は、ここだけの話、子供のころ便所に落ちたらしい。昔の汲取り式の便所だ。それが原因かどうか分からないけれど、ひ弱な兄弟の中で、その姉だけは強いし、気も強い。私だけ、橋の下で拾われた子どもだと云っていたらしい。昔はそういう言い方がはやっていた。」

畦道に有機肥料として溜めてあった肥溜めに落ちたと聞いた話はあったが、周りで便所に落ちた人はいなかった。
それと、橋の下で拾われた・・・云々の話は多い。
私もご多聞にもれず、弟によく云っていた。「おまえは大堂津の橋の下で拾われて来たんだ」と、囃したて弟がしょげるのを楽しんでいた。兄貴としての特権のようだった。

中学に入ると、トイレにまつわるある事件は起きた。
中学3年になると、6時限が終わると、高校受験生を対象にした課外授業が180分設けられていた。それぞれの不得手科目を集中的に補うのが目的で先生はボランティアだった。と思うがそれ相当の残業代を戴いていたのかも知れない。

課外授業が始まる前に友人H君とトイレの周りで騒いでいると、なにげなしに掴んだトイレの取っ手を壊し、戸が外れてしまった。これが女性トイレだったから始末が悪い。
課外授業を欠席させて校長室に呼ばれて、教頭から命令が下った。
『明日から1ヶ月間女子トイレの掃除を命じる』ショックだった。
次の日から、六時限が終わるとすぐにバケツにデッキブラシを手にして女子トイレに出向き掃除が始まった。他の同級生からは罵声と笑い声を浴びながらもマスクをして必死に掃除をした。

各トイレの中には蓋のしてあるバケツが置いてあり、入っているゴミを回収した。
血で真っ赤に染まっているのでビックリしたが、だれか怪我でもしているのだろうと気にもしなかった。
しかし、毎日、毎日蓋のあるバケツの中は血で染まった脱脂綿みたいなものが、いっぱい詰まっていた。H君と話し合った。
これは、相当の大怪我だぞ、先生に言ったほうが良いのかどうか、分からないので、次の日は課外授業を休んで、誰が怪我をしているのか確認しようとなった。
遠くから、女子トイレを見ていたが怪我をしている人は1人もいなかった。
それでも、毎日、毎日トイレの中にある蓋のあるバケツには血に染まった大量の脱脂綿を拾い上げ捨てた。

同じ社宅に住んでいる女子の同級生に聞いたことがあったがバカ!と云って取り合わなかった。結局、意味が分からずに解決しないまま中学を卒業した。

教頭がなんで女子トイレの掃除を命じたのか、いまもって分からない。
何かの考えがあってのことだったのでしょう

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1Q84を読んだ・・・不思議な世界へどうぞ

まとまり下手で長編日記になってしまいました(笑)

1q84 1q842

感想文を書くのは苦手です。
話の辻褄があっているのかどうかの問題はありますが、あくまでも読後感として

k.466を聴きながら、マドラーの代わりに指で掻き混ぜたウィスキーの水割りを作り、チビリチビリと咽喉を鳴らしながら本を読むさまは、至極でありまさに遅読のススメであります。
長編小説は飽きが来て栞を挟んだまま終わること数知れずあり、いつしか短編小説に手が行き短い情景を懐かしむように楽しんでいた。

遅読法を取り入れている私が別人のように駆け抜けてしまった。

長編小説と云えば三島由紀夫「豊饒の海」を読みました。豊饒の海は壮大なる輪廻転生の話でしたが、感動して眠れない日々を過ごしたことを思い出します。現世の中での絡みが霊界として浮かび上がってきます。それ以来の長編小説への挑戦だったかも知れない。
豊饒の海は、円錐の頂上に君臨する月が人々を余すところなく隅々まで照らし続けるとあったが、1Q84は月が二つ見えることで現実の世界と異次元の世界を区別している。月は生死をつかさどる大事なもののようです。
そして、現実の世界にレイヤーとして虚構とも云えるが異次元の世界を重ねることで、あたかも現実として進行しているように思われた。
Book1では、二つの異なるストーリーが章立てごとに進んでいきます。そこには交じり合うことのない二本のレールが同じ方向に向って走っていたのです。

天吾と青豆の二人を主人公にして章立てを交互に展開していきます。
ヤナーチェック「シンフォニエッタ」は共通の音楽として全編に流れているようにも感じました。章立てと組曲との因果関係があるのかも知れない。

その前に・・・。
私は心霊にとても興味があり、以前、ダンテの神曲を読んだことがあります。ダンテが霊界に紛れ込み霊界を垣間見た話が綴られています。そんな霊界とか、異次元とかの話には身を乗り出して聞くほうです。UFOは信じるほうです。他の惑星から飛来してくると云ったUFO伝説は信じませんが、至るところにあるポケットを出入口にして異次元(四次元)からの偵察部隊であろうと、かたくなに信じています。人間が入り込めない四次元の入口は、空気の中に目に見えないほころびにあるのでしょう、そこから変幻自在に飛び出してくるUFOは正義なのか、それとも、地球を滅ぼす悪なのか・・・。一度、連れて行ってくれないかなぁ、などと思っています。
そして、私は運命論者です。
縁あるものに対して、その流れに従うのが元来の性格です。まぁ、怠け者と云った感じでしょうか。

"It's Only a Paper Moon"
ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべて本物になる

BOOK 1 第1章 「見かけにだまされないように」
で始まりました。時は1984年。

青豆はタクシーの中でヤナーチェックの組曲「シンフォニエッタ」を聴いた。
青豆は重い過去を引き摺っている。誰に対しても心を開くことをしない。
自分の体を苛め抜いた過酷なトレーニングによって鍛え抜かれた体を資本にインストラクターの職についている。お腹が空くように、これまた性欲を満たす為に行きずりで好みの男を探し強欲にも堪能する。性に対して鷹揚だ。研ぎ澄まされたニュートラルな心を持つ反面、正義感が強くなり裏の顔を持つことになる。

ヤナーチェック「シンフォニエッタ」の出処は最後まで分からないが、青豆が「シンフォニエッタ」を聴いたことで運命の扉は開かれ、脳を支配されることになる。
多分に・・・。そして、現実のレイヤーと異次元のレイヤーが重なっていった。

高速道路で渋滞に引っ掛かったタクシーで、約束の時間を気にしている青豆に対して
運転手が路肩にある駐車場には非常用の階段があることを告げる。
こんな件がある

「ここに座って良い音楽を聴きながら、のんびりしてらしても、私としちゃちっともかまいません。いくらがんばってもどこにもいけないのですから、こうなったらお互い腹をくくるしかありません。しかしもし緊急の用件がおありなら、そう云う非常階段もなくはないと云うことです」

とある。青豆の運命が変わるかどうかの重要なところですね
『・・・なくもないってことです』 なくもないとは・・・。
あなたが必要とすれば非常階段は目の前に、しかし、ないかも知れないと。
考えたすえに青豆は非常階段を利用して約束の場所に行きます。運転手は1Q84の世界に誘う代理人だったのか。

もう1人の主人公である天吾は比較的自由な予備校で数学の講師をしているが、本当は、小説家を目指していて文芸誌に何度も、何度も投稿している。
文章を広げる才能はあるが、ストーリーを考える力が弱いのか、いつも落とされている。小松と云う名の編集者に励まされているが、いっこうに芽が出ない。
そして、天吾も時を同じくしてヤナーチェック「シンフォニエッタ」を聴く。
青豆と天吾は運命のスイッチが切り替わったのか・・・。

そこに、「空気のさなぎ」なる原稿が持ち込まれた。
ふかえりと呼ばれる17歳の少女が書いた小説。
編集者の小松と天吾はたいそう気に入り、「空気のさなぎ」はストーリーは申し分ない、しかし文章の広がりがないので、編集者小松は天吾にゴーストライターとして「空気のさなぎ」を小説らしく文章にするように指示をする。

「空気のさなぎ」はあるコミュニティの中で起きた現象が書かれていた。
コミュニティで生活をしていたふかえりは、不注意で目の見えない山羊が死なせてしまう。ふかえりは反省のための部屋と呼ばれる土蔵の中で死んだ山羊の側で生活することを余儀なくされる。その夜に、死んだ山羊の口を出入口としてリトル・ピープルが7人出てくる。
ふかえりとリトル・ピープルは仲良しになり、空気の中から糸を取り出し、蚕のような住みかを作っていく。空気さなぎと呼ばれる。空気さなぎの中にはふかえりの分身が納まっている。
まるで、白土三平「カムイ伝」に出てくる分身の術のようだ。

リトル・ピープルの出入口を作った、ふかえりはリトル・ピープルから発信されたものを知覚するものとなる。神様の巫女の役目でしょうか。
巫女になったふかえりは必然的で多義的な要素の中で父親とセックスをする。リトル・ピープルがそう仕掛けた。そして父親はリトル・ピープルの操りとなり預言者になり、リーダーと呼ばれるようになった。狂信的な信者が集まってくる。

空気さなぎの小説は、天吾が文章を書き加えたことで、誰もが認める小説となりベストセラーになったが、天吾は知らず知らずのうちに脳は支配され書かされた事があとで知らされる。

別々な方向に投げ出された運命の糸は、しだいに呼び合うように近づいていく。天吾と青豆は10才の時に、はじめて手を握った同級生だった。
その後は、別れ別れになり、意識することもなく、日々の生活に追われ、愛のないセックスに嵌ることもあった。しかし、心の奥にある閉ざされたところに、お互いが惹かれあう心が落ちていた。
お互いが異次元である1Q84の世界に入り込んだことで、10歳の時の心が蘇りお互いを意識する。
青豆は1Q84の世界で正義を貫き、天吾との再会を望みながら1Q84の世界から失われていく。
天吾は、ふかえりとセックスをしたことで1Q84の預言者になることになるのかな。

平家物語もチェーホフの紀行「サハリン島」が長く記述されるが、落ちどころの話がないように感じたが人間の不条理さを意識させる為に書かれたのかも知れない。
アンソロジー「猫の町」は、失われていく心の葛藤として捉えた。臨死体験のようなものであろうか

そして本編に於ける助演男優賞を挙げたい私のお気に入りの編集者小松はどうなったのか、リトル・ピープルに抹殺されたのであろうか

1Q84を総括すれば、五里霧の中で起きた現実ではないかと思う。
五里霧は、深い霧の中にある、霧の中のある現実と、いまの現実とを巧みに交差させた部分で物語が展開している、そんな感じ。
決して、うかがい知ることの出来ない異次元の世界から現実のすべてが支配されていることは、ありえる話かなとも思った。預言者とか、霊能者とか呼ばれる人々の脳を支配することで世界の舵取りを行っているのかも知れないと感じた。

霧と云えば、トライアングルと呼ばれるバミューダ海域は深い霧が出ることで有名です。そして、バミューダ海域で遭難すると、決して見つからない
まさに五里無に紛れ込んだ異次元の世界であります。

ずいぶんと昔の話ではありますが、こんな現実に起きたこんな話もあります
イギリスの大型ヨットがバミューダ海域で遭難した。通信も途絶えた。
それから、10日過ぎたある日、ゴムボートに乗った7人を見つけた。
7人のイギリス人は英語しか話せなかった。
しかし、見つかった7人は英語のほかに、フランス語・ドイツ語を巧みに操り雄弁に喋ったと云います。
そして、周りをビックリさせたのは、彼らは、ある世界に紛れ込み語学の学習をしたと云ったことです。1日24時間が、ある世界では、この世の1日が1000日もあったようです。

記憶ですので、箇所ごとに記憶違いがあるかも知れませんが
多国語を喋ったのは本当のようです。

そして、
1Q84は続くでしょう。BOOK1(4月~6月)BOOK2(7月~9月) までの話ですから、それ以降があっても不思議ではないし、引き金を絞ったが青豆が死んだとは書かれていない。
青豆と天吾は再会できるのかな・・・
続編がありそうな終りかたになっている。

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平家物語のひとコマ

昨夜はスイカをスパッと真ん中から切った上弦の月が浮かんでいた。
太陽が昇った8時ごろでも、明るい南の空に、ぼんやりと姿を現していたが、1Q84では”月”はとても重要なキーワードになっている。

1Q84を読み進んでいくと、展開の主人公とも云える大事なポジションにいる「ふかえり」と呼ばれる17歳の少女が出てくる。
作家デビュー?する彼女に記者は「好きな作品は?」と、尋ねると平家物語と応えるシーンがあります。

彼女は好きな部分を暗証した。長い暗誦が終わるまでにおおよそ五分かかった。

とある。小説の中であるが、ふかえりなる少女は古典「平家物語」で義経の心が暗転し京を追われ都落ちする「判官都落ち」の大事な部分を暗誦したようです。

また、ふかえりは目を瞑り、壇ノ浦の合戦をも暗誦する場面もある。
あたかも盲目の琵琶法師が衆人を前にして源平合戦の様子を口承していくように・・・。
源氏物語にも負けない壮大な人間模様を描いた抒情詩が平家物語だと思っています。
平家物語が好きな私はセンテンスの一部分でもでてくると、チョットだけでも嬉しくなります。
感慨に耽る想いがあるのです。

古典か・・・。
得意とした時期もありましたね。過去形です。
古典としての平家物語は何度か挑戦して読んだことがありますが、しかし読む度に欠伸を抑えることが出来ずに眠ってしまいます。
小癪な古典に別れを告げ、しからばと、吉川英治「新平家物語」を買い求め、これを読み始めると、これがまた面白いんですね。主権を狙って平家と源氏それに、取り巻く人間模様が心に刺さります。幾度となく読み返し新平家物語の虜になったものです。

今でも、座右の書は?と云われれば、吉川英治「新平家物語」を躊躇なく応えることが出来る。孤独な老人になっても、新平家物語だけは手元に置きたいと思っています。

義経が金沢にある白山比咩神社(全国にある白山神社の総本山)に、無事に平泉に戻れるように祈願した時の請願書を奉納したとありました。血判書のようなものなのでしょうか。

安住の地として平泉に到着した義経は藤原秀衡に擁護されるが、藤原秀衡が亡くなった後は、藤原四代泰衡の裏切りにあい衣河館で焼き討ちにあいます。

その時の様子を、山田風太郎「人間臨終図鑑」では、義経は燃え盛る持仏堂に座り、小さい頃より慣れ親しんだ天台宗の経典である法華経を読経する。
弁慶が、判官殿逃げましょうぞの声にも、終わるまで待て!と読経を続けたとある。
義経の首は、丁寧に扱われ黒漆の箱になみなみと注がれた酒の中に納められ、鎌倉に運ばれた。
変わり果てた義経の首を見た頼朝は嗚咽したとある。
義経殺害を実行した裏切り者の藤原泰衡に追っ手を差し向ける。
矛盾した人間関係が読み取れる。


祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらわす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

薩摩琵琶と語りは坂田美子
尺八は坂田梁山 ご夫婦での共演。

1Q84のその後、420ページまできた。個人的感想として
どこまで行っても永遠に交わらないはずの二本のレールが、少しずつ内側に
傾き始めた。弘兼憲史描くところの五里霧の世界があるようだ。
上・下巻ではなくて、BOOK 1 BOOK 2 になっているところが続編に期待を持たせる。五木寛之「青春の門」のように大河小説になりそうな予感。

p.s
グリムスの苗木が79日間で大人の樹に成長しました。
早いのか遅いのか分かりませんが嬉しいです。

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1Q84を手にした。

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いろいろな販売戦略もあるが告知をせずに、行くぞ!行くぞ!と煽りたて、しかし、なかなか姿を見せない。作家本人が日本に居ないから余計に気持が募ってしまう。戦略とは、そんなものであろう。最初はIQ84かと思った。IQ84であれば私のレベルである。

6月9日ののyahooニュースでは
作家村上春樹氏の最新長編小説「1Q84」(全2巻)について、発行元の新潮社は9日、7度目の重版(8刷)を決めた。全国発売から12日間で発行部数は1巻56万部、2巻50万部の計106万部となった。同作品は発売前から注文が殺到し、品切れとなる書店が続出していた。

散歩がてらに、近くの書店に顔を出し品切れの様子を見て来ようと、ある種の探偵の気持になって書店の入口に滑り込んだ。
新刊書のコーナーに554頁もある分厚い本が上下巻2冊がうず高く積まれていた。
今日、入荷したばかり出来立てのホヤホヤかな、それとも、一昨日からの二日ほど鮮度が落ちた在庫なのかなと思いつつもBOOK 1<4月~6月>と書かれた上巻を手にした。

村上春樹の本は、実はノルウェイの森しか読んだことがない。
ビートルズの名曲ノルウェイの森だったので、題名に惹かれて読んだ記憶がある。
内容はと云うと、想いの入り組んだ性描写の展開が・・・等と書くと、まるでアダルト小説のようだが、駆け抜ける青春とは、奔放な性に翻弄され、言葉による精神的な暴力が渦巻いてしまう。青春の蹉跌なのかも知れない。

実はノルウェイの森ではないが、私もビートルズの And I Love Herを聴くと、苦々しくも急流に流される葉っぱのように性に翻弄され蟻地獄から抜け出せなくなっていた時期がある。
彼女と聴くAnd I Love Herは麻薬のようでもあった。まさしく青春の渦に飲み込まれたが
今となっては、過ぎ去った青春をしみじみと思うことはない。

手にした1Q84(上巻)をパラパラと捲ってみると
タクシーのラジオは、FM放送のクラシック音楽番組を流していた。曲はヤナーチェックの『シンフォニエッタ』。渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ。運転手もとくに熱心にその音楽に耳を澄ませているようには見えなかった。中年の運転手は、・・・・と続く。

果たして、どこまで読めるのか見当もつかない。
長編小説は、意気込んで読み始めるが展開に飽きてくると積読状態になりがちである。何度か、速読術を身につけようと資料を取り寄せて試してみようと心掛けたが、速読が身につかないことが良く分かった。
速読術の免許皆伝の持ち主でない私はのろまの遅読術を得意としている。

机の上に乱暴にも積み重ねられ本の間からはお気に入りの栞が覘いている。
これ以上の積読は危険な状態です。
その中でも、上下巻ある吉田綾霊談集は読む度に2頁と遅々として進まない。

下巻を手にするようなことがあると一気に完読となり感想ブログが書けそうですが
果たして、どうなりますか・・・
過激な性描写があるのかもしれない
チョット楽しみにしているような、そんな気分でもあります。

村上春樹と云えば・・・。
原文を翻訳するほどの力量がありませんので和訳されたのを読みました

エルサレム賞の授賞式でスピーチした『常に卵の側に』が有名ですね。

今日私はエルサレムに小説家、つまりプロの嘘つきとしてやってきました。
で、始まるスピーチは感動を呼びました。

「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」

世界は平和であって欲しい。
宗教家なんだから人の痛みを理解して、宗教対立がなくなれば良いと思ってきたが
宗教対立の対極にあるパワーバランスの覇権主義が世に蔓延りはじめた。
三国志の歴史が世界に広がりつつある。

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子ども図書館のはなし。

その方は物心がついた時から出版社をやりたい、と思っていたと話された。
図書館にある書籍は管理しやすいように背表紙をお客さんに見せて、ジャンル別に置かれている。沢山の本や雑誌を管理するには都合が良いが背表紙に付いたタイトルだけで、どれほど中見がわかるのであろうかと。
子ども図書館をイトーヨーカ堂の中に併設する時は、このことを一番悩んだと云われる。
絵本は表紙が顔で、背表紙を見せる普通の図書館にしては絶対にダメだ!と力説された。
それで、絵本架なる絵本専用の書架を作って、絵本の表紙が見えるように作ったと熱く語りかけた。

そうそう、私も絵本は可愛い表紙の絵がすべてだと思っています。

それにしても、イトーヨーカ堂の店内に子ども図書館とは奉仕の精神がないと出来ない発想です。それが30年も続いているなんて素晴らしいです。イトーヨーカ堂の社風と子ども図書館を夢として目指された童話屋の田中社長の夢は叶ったのです。

小さい頃に童話を読んだ記憶はないし、欠片すら覚えていない。
小学生になるとすぐに付録がどっさりと付いた小学1年生の雑誌を読んだ。いつも付録には豆本が付いてきた。手の平に乗るほどの小さな本にマンガが描かれていた。大切にしてブリキの箱に入れて保管していたが、我が家を襲った貰い火の火事で焼けてしまった。

病弱だった私は活字を拾い、雑誌を読むことが唯一の楽しみで、大人しく部屋の片隅に背をもたれて静かに本を読んでいたらしい。
そんな時に、母方の兄弟が東京帰りだと云って、子ども版「曾我兄弟」の本を戴いた。
曾我十郎・五郎の若干15歳にして親の仇討ちをする話です。
これが童話だったのか、それとも日本史の本だったのか覚えていない。

9784591092477

建久4年5月28日(1193年6月28日)源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。

涙を流しながら、夢中になって読んでいたと父が笑いながら云っていたのを覚えています。
仇討ちに涙を流すなんて、小さい頃にして右翼の思想が芽生えていたのでしょうか(笑)
曾我兄弟の映画を見ては号泣して、助けに行かなくては・・・と周りを困らせたようです。
五郎斬首の指示をした頼朝嫌いは根強く残り、憧れの義経を殺した事で終生の敵となった(笑)

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学校から戻り、家の用事を済ませると歩いて15分ほどの距離にある明治屋書店に顔を出し立ち読みに精をだしていた。この時は、まだ小学校に図書館がなかった。
家が全焼して引っ越すことになり、小学校を転校した。
今度の小学校には図書館があり、授業が終わると図書館に入り浸り、いつの間にか自動的に図書部員として登録されていた。
小学校の図書館で最初に読んだのは「西郷隆盛」だった。憧れに憧れた。
この時から西郷隆盛は終生のアイドルとなった(笑)

童話を読むこともなく、曾我兄弟から入ってしまったのは、人生の誤りだったように思われる。図書館で夢中になって読んだ「トムソーヤの冒険」を、曾我兄弟の前に読んでいたら人生は変わって行ったんだろうな・・・。
復讐に燃える話より、未知への冒険心が役立ったかも知れない。

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黄昏流星群「大人の恋ストーリー大賞」

Title

七月のお話。
愛読している漫画ビッグコミック・オリジナルに連載している弘兼憲史『黄昏流星群』が連載300回を記念して「大人の恋ストーリー大賞」の作品を募集していた。
募集テーマは「携帯電話」で、エッセンスを散りばめた1000字以内との条件だった。
未発表であれば、プロアマを問わない門戸を広くした募集。
愛読している『黄昏流星群』だったので応募することにしました。
他愛もない展開ですが・・・。
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台風が過ぎ去るこの時期は、アジを追ってワラサが登場する。ポイントを探しに夜の日本海に船を出した。降り注ぐ満天の星を眺めながら鼻歌気分で探っていると、携帯から閃光が走り着メロが鳴りだした。
知らない番号であったが、釣り予約の電話かも知れない。
携帯を耳に当てると、優しい声で、しかも懐かしい声が響いてきた。
「こんばんは。和範さん!お元気でしたか?」
「初枝です。もうお忘れになったのかも知れませんね。」

私と初枝は20年前までは結婚を前提で同棲していた。しかし生活する意見が少しずつ食い違いが起きてお互い背を向き合い別れた。主張するばかりで余りにも若い二人だった。
別れた私は都会を離れ、実家のある日本海沿岸の田舎に戻ってきた。魚市場で働いて割烹屋の娘と結婚したが離婚した。独身になり50歳を過ぎて漁師への憧れ が強くなり人生の荒波に立ち向かいながらも、海への情熱は衰える事がなく、船舶の免許を取得し念願の45フィート14人乗り6.5トンの遊漁船を手に入れ 釣船の船長として生活をしている。人気も上々である。釣り客の安全第一に考え、天気予報と潮見表を日夜ニラメッコしている毎日である。

忘れたわけではないが、初枝との思い出は流れ星のように一瞬で消え去る運命だったのかも知れないが、愛し合った二人は長い年月をかけた沈黙であったが初枝の声が蘇ってきた。

時を経て初枝の声に少しも変化はなかった。
星空を仰ぎ見ると幾つもの星が流れ、錨を下ろし波に漂う甲板の上で懐かしい声に聞き入っていた。初枝は、ここ1週間立て続けて私の夢を見たと云う。私の身 に何かあったのかも知れないと思い手帳を探り、友人に電話を入れて、私の携帯番号を聞くに至り、家庭の主婦でありながらも居ても立っても居られず携帯の番 号を押したと云った。
「元気で良かった」「とても心配だった」
取り止めもない話が続いたが、仲良かった昔が偲ばれ、目頭が熱くなった。忘れ得ぬ初枝の声も、いつしか涙声に聞こえて来た。
「いつか会いたいね」
「うん!会えると良いね」
これ以上、話をすると大声で泣きそうだった。しかし、このまま携帯を切ると、二度と会えないような気がした。それは、二人して同じ思いだった。
「佐渡は近いの? 佐渡に行きたいなぁ」
「ねぇ!満月の夜に船で佐渡まで連れて行って・・・」
早速、船舶手帳にある月齢を眺めて満月を探し始めた。
離れ離れの20年は、あっという間の20年であったのか、空を見上げると北の空にはカシオペアが現れている。
握りしめた携帯に星が降っているようだ。

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妄想もここまでですね。やはり天変地異が起きても作家にはなれないようです。

発表がありました。
大賞(100万円)1編と佳作(10万円)2編が発表になりました。
100万円を手にされた方は神戸市在住の方に決まりました。おめでとうございます♪
さてと、私の作品ですが、3755通の応募作品の中の1通であるわけですが
1次審査でも通れば良いかなと思って出した作品でした、どの程度の評価を受けたのかどうかは不明です。
しかし、最終選考において、予想を遥かに超える多数の応募に「弘兼特別賞」として50篇を発表するとのこと。果たして・・・その50篇に入っているのかどうか、2月中旬に弘兼氏の直筆サイン入りの本が送られてきたら入選と云うことになるようです。
たぶん、この程度のストーリーでは無理だとは思いますが、初めての投稿で面白かった。

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ある短編小説・・・

志賀直哉『城の崎にて』を青空文庫で読んだ。
城崎温泉の風情が伝わってきて温泉に行きたいなと思った・・・でも、城崎温泉に行く事はないかも知れない。

志賀直哉と云えば、小説の神様・・・その小説の神様に喧嘩を売った太宰治の「如是我聞」は面白かったですね。
横綱と前頭の喧嘩で眉間にしわを寄せて怒っている太宰治は可愛かった。
しかし、
学校で暗記させられた「走れメロス」。約束と友情が散りばめられた感動的な話でしたが好きになれなかった。無二の親友だったら、どんな情況でも受け入れてくれるのか
甚だ疑問を感じながら読んだような・・・当時は感動して読んだのかも知れません。
天邪鬼が住み着いている私です。

15歳で放逐させられた私は愛情の灯った家庭で談笑することもなく、異国の地で、
すきま風の入る薄暗い部屋でジュニア小説を読み耽っていました。
戦争を知らない世代ではあるが、まさしく軍隊的な呼吸を要求される団体生活です。
いつしか篭の鳥となり、孤独を味わっていた。
その反動として青春恋愛小説に嵌ってしまったようです。
貸本屋のジュニア小説は完全制覇していた。
しかし、嵌りにはまったジュニア小説も内容が似たり寄ったりで、マンネリ化し,だんだんと離れてしまった。
そんな時に寺子屋の図書館で読んだ本に・・・
志賀直哉「剃刀」がありました。
いま思うと、以下のような感想を抱いたのではないかと思いました。

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読み終わっても、最初は何が何だか良く分からない 何が起きたのか分からなかったし、作者は何が云いたかったのか理解できなかった。・・・時間が経つにつれ、ひとつひとつの言葉が浮かんで来て怖くなった。
閉じてしまい。
その後、読む機会もなく忘れてしまった。寺子屋17歳の時です。

ある文芸書評に、志賀直哉にみる究極の短編小説「剃刀」の事が書かれていて過去の記憶が彷彿してきて目に焼きついてしまった。
また、読む機会が生まれて来ました。
もう、内容すら覚えていない作品です。
お友達の日記にある城崎温泉についての記述がなければ、「剃刀」の表題を見ても何も感じる事はなかったでしょう。

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新潮文庫『清兵衛と瓢箪・網走まで』460円。
珠玉の短編集18作品が集められています。

先ずは気を落ち着かせる為に「網走まで」を読みました。
網走まで・・・と表題にも関わらず宇都宮の友人に会いに行く話。
車中で出会う母子の観察はまことに絶妙です。
子供がトイレを我慢する場面・次の駅でモタモタしている子供に叱咤する母親。ほらほら 早くトイレに行かないと、汽車は出てしまうよ、ちびってしまうよ、等と罠に嵌ってしまい、出会いと別れが淋しくもありました。
葉書の投函を依頼する場面はほのかな愛情をも感じてしまった。
その後の母子はどうなったのかと気になる結末でもあります。

他の短編をひと通り目を通して「剃刀」のページです。

冒頭・・・
麻布六本木の辰床の芳三郎は風邪のため珍しく床へ就いた。それが丁度秋季皇霊祭の前にかかっていたから兵隊の仕事は忙しい盛りだった。彼は寝ながら一ト月前に追い出した源公と治太公が居たらと考えた。

腕が良いと評判の床屋の主人芳三郎が風邪で唸っている、ところから始まった。
稼いれ時に主の芳三郎が風邪で寝込んでいたところ、剃刀を研いでくれとの依頼が来る。
急な依頼ではあるがお得意さんである。どうしても必要なので主に研いで欲しい
風邪を引き、頭が朦朧としている中で急いで研いで渡すが、切れ味が悪いと云って研ぎ直しで戻ってくる。
無理をして研ぎにかかるが、どうしても上手く行かず、店まで出てきて作業をしていると、客がやって来て、髭を剃ってほしいと云われる。
頭の中は夢虚ろで疲れ切っている。それでも剃り続けていると・・・。
顔を傷つけてしまう。腕の良い職人気質の芳三郎は傷つけたことで気が動転してしまう。
どうしようもない程に心と体が磨り減ってしまうが、何とかしなければ行けない気持ちが昇華され、一閃が走る。
こんな風に追いつめられてしまう事を考えると、恐ろしく想像されます。

ドキドキしながら読んでしまった。
読後感では、より一層のドキドキが走ってしまった。
これが、志賀直哉の得意とする深層心理を突いた試みだったのでしょうか。
作家を目指す方への登竜門小説なのでしょうか・・・・
巧みな心理描写は巧妙すぎます。

末尾・・・
総ての運動は停止した。総ての物は深い眠りに陥った。
只独り鏡だけが三方から冷ややかにこの光景を眺めて居た。

私のひとり言
末尾の文章は凄いな・・・すべてを物語っている。感嘆してしまった。
人間社会において不合理さを説いたのかな・・・
分かりませんが、17歳の頃よりは少し理解したような気がしました。

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耳は疲れないのか・・・

Eye

長いこと、素朴な疑問として心に引っ掛かっていた事がある。
眼科医で大学教授の坪田一男氏のエッセイ「眼科医という仕事」を読んだ。
エッセイの中に、良くある質問がいくつか書かれていて、その中に・・・。
「なんでこんなに眼が疲れるんだろう?」
「どうして、瞬きの度に暗くならないんだろう?」
「どうして速読法が可能なんだろうか?」
「耳は疲れないのに・・・」があった。
この耳は疲れないのには、小さい頃からの疑問だった。
耳が痒くなるとは聞くし、痒くなることが良くある。しかし、耳が疲れたとは、いまだに聞いた事がないし、じっさい、耳が疲れたと感じたことがない。
いま、まさに子供のころからの疑問が氷解して答えが読めると思うとワクワクした。
読み進めると、・・・と云うような素朴な疑問は苦手だと書いてあった。
あれ~ 答えが先送りされてしまった。

読んでいくうちに「耳が疲れる・・・」は解決しなかったが、ある事が分かった。
眼が疲れるは良くある事で、15年に亘ってPCを見つめてきたのでPC依存症になり眼が疲れてぼやけてくる。その後に車を運転すると急に眠くなる。
これは、末期的な病気かも知れないと思うと、勇んで病院に行く気は起きない。しかし、このエッセイを読んでいくと、何だか解決したような感じがする。

眼が疲れる原因として。
「仕事を遅くまでしている時に眼が疲れる」
「PCを長時間やると眼が疲れる」
「本を読むとすぐに眼が疲れて眠くなる」
「運転すると眼が疲れてしまう」
「会議中でも眼が疲れて居眠りしてしまう」等など・・・。

眼に関する本を本を読むと、大概の本は、疲れは齢を重ねるのと同じで回復力がなくなり老眼とかメガネが合ってないとか、精神的なものだとか、ひどい本になると「眼を使えば眼が疲れるのはあたりまえ」などと書かれているようです。
ところが、眼の疲れは意外と簡単で、『眼が乾くと眼が疲れる』と云う、単純だったようです。
眼の乾きを予防すれば眼が疲れないし、眠気を誘うこともないと結論付けていた。
そうだったのか。
明日からはPCの横には濡れたタオルを置いて、定期的に眼を拭いてあげれば良いのかも知れないですね。それと目薬を注すことも大事かも知れないですね
ただ、目薬はけっこう怖い。
自分の力では出来ない・・・自分で息を止めて自殺する人がいないように自分で目薬を注すには、それなりの根性がいるようです。
車の中には、それこそ濡れたタオルを忍ばせて運転しようかと思っています。

余談。
『眼医者歯医者が医者ならば、とんぼちょうちょも鳥のうち』と云う言葉があるそうです。笑ってはいけませんが、歯医者の友人がいるので読みながら笑った。彼の生活態度を見ると、いつか最高の場面で突き放すように云ってあげたい。(笑)

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